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夏の午後はにぎやかに〈後〉

「おう、壱成。邪魔すんでー」 「え? 何でマッサ!?」  戻ってきた彩人の影からひょいと顔を出したのは、マッサこと朝羽直将である。ほんの十数分前に彩人が誘いをかけたのは知っているが、いくらなんでも到着が早すぎやしないだろうか。  するとその後ろには、大きなサングラスをかけた忍の姿もある。壱成はさらに面食らった。 「忍さんまで!?」 「どーも。ったく……なんで僕まで」 「え、どうしたんですか? 二人揃って」  突然大人が増えたことに驚いた空を抱っこして、壱成はふたりのほうへと歩み寄った。マッサは手にしたペーパーバックを彩人に押し付けると、壱成のパーカーを握りしめる空をしげしげと見つめながらこう言った。 「その辺まで来てたもんやから、ちょっと寄ってこか〜ってことになってな」 「あ、そうなんだ。なに? 二人で遊んでたわけ?」 「遊びちゃうわ。午前中、接待ゴルフやってん」 「接待ゴルフ? へぇ〜ホストもそういうのあるんだな」 「そういうこと。ナンバー1は色々忙しいもんでね」  そう言って、忍まで空の顔をジロジロと見つめ始めた。  聞けば、以前、『sanctuary』のホスト達を出張させた他店オーナーの友人男性にいたく気に入られ、ゴルフに誘われたのだという。一人で行くのはつまらないし身の危険を感じなくもないので、マッサを連れて行ったという。それを聞き、彩人がギョッとした顔をしている。 「み、身の危険? 忍さん、何すかそれ、どういう意味すか」 「その男、この業界じゃ有名な遊び人でね。僕を愛人にしたいらしくて」 「は、はぁっ!? 愛人……!?」 「ゆくゆく独立するつもりなら、いくらでも金を出すって言ってくれてんだけど……やれやれ、肥え太った金持ち親父の愛人なんて、ちょっとごめんだな」 「え? 忍さん、独立の予定まで?」 と、彩人が立て続けに驚いている。だが忍は肩をすくめて、「まぁ……色々考えてはいるけど」とはっきりしない返事をした。そしてサングラスを外してシャツの襟元に引っ掛ける。  とその時、だんだん不安げな表情へと変わってゆく空に気づいたらしく、彩人はサッと二人の前に割って入った。 「ていうか、ふたりとも見過ぎ。特にマッサは目つきわりーんだからあんまジロジロ見んなって」 「はあ? 目つき悪いて何やねん。この涼しげで切れ長の目のどこが、」 「はいはい、まあ上がってよ。忍さんもどうぞ」 「お邪魔するよ」  メンチを切り始めたマッサをさらりと受け流し、彩人は愛想よく二人を家へと招き入れた。壱成は不安げな空の小さな手をきゅっと握って、安心させるように微笑んで見せる。 「いっせー、だれぇ?」 「大丈夫だよ。このおじさんたちは、彩人の友達だから」 「へ? にぃちゃんのともだち?」 「そうだよ。お仕事一緒にしてる、お友達」 「へぇ〜。にぃちゃん、いっせーじゃないおともだちもいたんだねぇ」  空はちょっと感心したような口調でそう言うと、改めてのようにマッサと忍の方を見た。 「こっちはマッサで、あっちは忍さんだよ」 「まっさ? しのぶさん」 「そうそう。二人ともやさしいおじさ……お兄さんだから怖くないからね」 「うん……」  頷きつつも、まだ警戒心は取れないのだろう、壱成にぴったりとくっついている空である。するとマッサは少し身をかがめ、空と目線を合わせてこう言った。 「ほんまに彩人そっくりやなぁ。空くん、やろ?」 「うん。……こ、こんにちは」 「おう、こんにちは。へぇ、挨拶ちゃんとできるんや。えらいやん」 「え? ……へへへ〜」  マッサの大きな手でわしわしと頭を撫でられて、空が嬉しそうに笑っている。その笑顔につられるように、マッサもいつになく優しい笑みだ。あまりにも物珍しい光景に、壱成は目を瞬いた。  するとダイニングに座って脚を組み、彩人の出した辛口ジンジャーエールを飲みながら、忍がしみじみ呟いた。 「四歳か……すごい歳の差だなぁ。彩人の子って間違われるだろ?」 「そーなんすよ。保育園じゃしょっちゅう空くんパパって言われてて。訂正すんのもめんどいから、流してるんですけどね」 「へぇ、現役ホストでパパか。面白いな」 「まぁ似たようなもんですよね。そういや忍さんは? 恋人いないんすか?」  サラッと彩人がそう問いかけると、忍は喉の奥で低く笑って、「アハハっ、そういう質問久しぶりだなぁ。みんな気を遣って聞いてこないから」と言う。 「ま、聞かれても色気のある話出てこないしね」 「え、じゃあいないんすか。意外っす」 と、彩人が全員分のグラスをテーブルに並べながらそう言った。  壱成も、空とダイニングへ移動しようとしたけれど、空が「まっさとあそぶの」と言ってリビングにおもちゃを広げ始めたので自由の身だ。何やら妙に寂しい気分である。 「んー。もう五、六年はまともな付き合いしてないんじゃないかな……」 「へー、結構長いっすね」 「ま、僕も若い頃は散々遊んだからなぁ。一人の方が気楽でいいよ」  そう言って苦笑する忍は今も十分に若く見えるのだが、いったいどの程度過去の話をしているのだろうか。壱成は我慢ができず、忍にこう尋ねてみた。 「つかぬことをお聞きしますが……忍さんて、おいくつなんですか?」 「僕? 今年で三十五だけど」 「えっ……十も上なんすか……?」  その答えに、彩人とマッサが驚愕している。  壱成は付き合いが浅いのでそこまで驚きはしないが、忍の容姿は、確かに二十代後半あたりに見える。そこへ落ち着きや貫禄がプラスされ、多めに見積もっても三十くらいか――というところが、壱成の見立てだった。が、もう少し上だったらしい。  忍は面々の反応を見て肩を揺すり、満足げに笑っている。 「ふふっ、そんなに驚くほどの年齢差でもないだろ」 「いや……てっきり、俺らより三つくらい上かな〜って思ってました」 と、彩人はマッサが土産にと持参した桃を剥いてきれいに切り分け、テーブルに置きながらそう言った。 「三つってことは、二十八くらいには見えるってことか。いや嬉しいね、かわいいよお前たち」 「ってことは、何年ホストやってはるんですか?」 「ええと……『sanctuary』がオープンした年だから、ざっと七年てとこか」 「え、じゃあそれまでは別の仕事してたんですか?」 と、壱成まで前のめりに質問してしまう。  おっとりと微笑む忍の肌は、じっくり観察してみてもつるんとして実にきれいだ。なるほど、若さの秘訣は肌なのか……と壱成は悟った。 「二十八まで、警視庁にいたんだ」 「警視庁って……え? 刑事だったってことですか!?」 「そう。警察庁に二年、警視庁捜査二課に四年ね」 「け、警視庁……えっすごい、エリートじゃないですか!」 「……ヤクザちゃうかったんや。まさか警察官だったとは……」 「んん? ヤクザ? 何それぶん殴るよ?」  にっこり笑顔のまま、忍はマッサに向かって物騒なことを言う。  警視庁捜査第二課はいわゆる知能犯を扱う部署で、詐欺や収賄事件など、金銭が絡む犯罪を担当するものである。刑事ドラマ好きの壱成が俄然前のめりになっていると、忍は「よく知ってるね」と言って他人事のように笑った。 「ま、色々あったんだよ。若い頃は頭でっかちで、自信過剰で強気で……しかもこんな見た目だろ? セクハラとかウザくてさ」 「セクハラ……ひでぇな。それが原因で辞めたんすか?」 と、彩人が問いかけると、忍は首を振った。  多忙で荒んだ生活、鬱陶しいセクハラ。仕事で成果を出したとしても、上の刑事たちに手柄を持っていかれてしまうという虚しさ――それらの鬱憤が積もりに積もって、忍は一時期ストレス解消のため、かなり雑な遊び方をしていたらしい。女でも男でも誰でも良い、クラブなどで出会う相手と片っ端からセックスをしていたのである。  ただ不運なことに、その相手の中に、警察庁上層部の御曹司がいた。  忍に交際を拒否されたその男は、親の権力を使い、忍を警察組織から追放した。破廉恥で堕落した男であるとレッテルを貼られ、忍は職を失ったのだと―― 「ま、当然誰も庇ってくれなかったよね。身から出た錆なんだけど」 「それこそパワハラじゃないっすか! なんであっさり退いたんです?」 と、リビングにいるマッサが憮然とした表情で腕組みをした。気づけば、空はマッサの膝に小さな頭を乗せて、すうすうと昼寝モードに入っていた。よほど話がつまらなかったのだろう。 「いやいや、僕ごときが騒いでどうにかなるようなことじゃないから。警察組織は怖いよ?」 「けど」 「いいんだよ、もう未練はない。免職の理由が理由だから、何となく普通の会社員とかする気にはなれなくてね。どうせなら、この容姿を使える仕事に就こうと思ったのさ」 「なるほど……」 「それに今の生活は楽しいし。きっとこっちが天職だったのさ」  忍は目を伏せて微笑み、空のほうへ視線を移した。マッサが、無意識のように空の頭を撫でているのを見てか、忍の口元が微かに緩む。 「事件がらみで知り合った飲み屋のオッサンが、『sanctuary』のオーナーに引き合わせてくれてね。ありがたいよ、こうして今、毎日楽しく働けてんだから」  噛み締めるようにそう語る忍を、彩人とマッサがじっと見つめている。知り合って間もない壱成が忍の過去に驚かされたくらいだ。付き合いの長い彩人とマッサは、壱成とは違った感覚の驚きがあるのかもしれない。  するとその時、マッサの膝で寝ていた空が身動ぎをして、「にぃちゃぁん……おしっこぉ……」と目をこすりながら起き上がった。神妙な顔をしていた彩人も我に返ったらしく、「お、おう、ちょっと待ってろ」と言って立ち上がる。そして、寝ぼけ眼の空を連れてトイレへと消えていった。  それを見た忍は壱成の方へ視線を向け、ふっと微笑む。 「まるで本物のパパだ。和むなぁ」 「ええ、ほんとに。俺も癒されっぱなしで」 「そう……いいね。君たちを見てると、僕も落ち着いた暮らしがしたくなってくるよ」 「あ、ありがとうございます。忍さんがその気になれば、すぐにパートナーも見つかりそうですけどね」  壱成が照れながらそう言うと、忍は頬杖をつき、少し物憂げなため息をついた。空がいなくなったのでマッサもダイニングの方へやってくると、ガラス皿に盛られた桃を一つつまんだ。 「といっても……ひとりが長いから、他人とまともに付き合える気がしないよ」 「あー、それ分かりますわ。仕事忙しいからプライベートな時間もあんまないし。自由時間に誰からも拘束されへんのは、楽でいいですよね」 「だよね〜」 「あー……」  壱成も頬杖をつき、独り身だったころの生活を思い浮かべる。  独身若手の壱成だ、繁忙期などは休日出勤など当たり前だった。恋人が欲しいという願望はあったけれど、休日はとにかくくたびれていて眠かったし、たまった家事を片付けるのは面倒だし……と、だらけた休日を過ごしていた。  そして休日が終わる頃になって、自堕落に過ごした時間を悔いていたものである。  今は、これまでになかった『育児時間』があり、前よりも忙しいといえば忙しい。だが、以前と比べて毎日が充実していると感じるし、幸福度の上昇率は計り知れない。彩人と空と出会ってから、休日のたびに感じていた虚しさはきれいに消えた。  ――俺にとってはいいことづくめだけど、忍さんもマッサも、忙しそうだもんなぁ……。 「なるほどねぇ。生活時間も変則的だしな」 「そうやねん。それに、何やかんや空いてる時間も営業メールとかせなあかんし、ジムも行くし……。彩人のやつ、これまでどういう生活しててんやろ」 「ほんとだよね」  そう言って、マッサと忍が頷き合っている。  つくづく、この三人は仲がいいのだろう。なんだ、彩人にもちゃんと友達がいたんじゃないか、と壱成は少しホッとした。 「そういうお前の自由時間、こっちの接待に連れ回して悪いね」 「いやいや、何を今更。それに、あっちこっち人脈増えて俺もありがたいですよ。忍さん一人で行かせるわけに行かへんし」 「僕も助かってる。マッサを連れ歩くようになって、妙なのに絡まれなくなったからな」 「絡まれる……。それ、どっかに訴えなくて大丈夫なんですか?」  壱成も中年大学教授に尻を揉まれるので他人事とは思えず、忍にそう尋ねてみた。こっちの意思などお構いなしに接近されるあの不快感は、男同士でもひどく不快なものである。 「大丈夫だよ、慣れてるし。まぁ、そういう相手からすると、マッサはかなり邪魔だろうけど」 「ですよね……。一人で来いとか言われません?」 「たまにね。けど、『sanctuary』の代表として招かれた席だし、ナンバー上位の若いのを連れていくのは、べつにおかしなことじゃない」 「そっか……」 「それにマッサは、クソみたいなスケベ親父とも爽やかに仲良くなっちゃったりするからね。ふふ、本当に助かるよ」 と、珍しく忍がマッサを褒めた。マッサの照れ顔が拝めるかと思いきや、当然だと言わんばかりのドヤ顔である。 「ま、高校出てすぐは土方(どかた)やら安っすい居酒屋やらでバイトしてましたから、オッサンと仲良くなるのは得意なんで」 「へぇ……マッサすげーじゃん。ダテに関西弁喋ってねーな」 「そうそう。それに、彩人はきれいめだから、うっかり僕の代わりに狙われても困るしね。こいつならそういう心配もないし」 「なるほど、いい人選です」 「なんや褒められてる気がせぇへん」  初対面の頃は、忍はえらくマッサを雑に扱っているように見えたものだが、なるほど、深い信頼関係があってのことらしい。それに、マッサの対人スキルは相当高いようだ。傷心だった若森が秒で落とされるのも頷ける。  ――んー、若森(あいつ)ともせめて友達くらいにはなってやって欲しいもんだけど……なんか、住む世界が違いすぎるって感じだなぁ……。 と、ぼんやりそんなことを考えていると、彩人が空を抱えて戻ってきた。  彩人に全体重を預け、すうすう寝息を立てている空の背中を撫でながら、彩人は壱成を見てちょっと微笑む。  トイレついでに、空は着替えも済ませている。夕寝なら和室でちゃんと寝かせるべきだろう――そう思い至った壱成が無言で頷き立ち上ると、忍とマッサが顔を見合わせた。 「はぁ……溢れ出る夫婦感……いや、夫夫か。はぁ……独り身のおじさんにはつらい眺めだな」 「ったくなんやねんお前ら全身痒いわどんだけラブラブやねん腹立つな」  ほぼ同時にため息をつきながらそんなことをぼやき出す二人を見て、壱成は思わず赤面だ。つい「う、うるさいな」と照れてしまうわけなのだが、彩人はニマニマと笑いながら「えっ? まじっすか? えへへへっ」と素直に喜んでいる。 「あ、なんなら夕飯食ってく? 空、マッサのこと気に入ってたみたいだし、もっと遊んでやってよ」 「はぁ? なんで俺が」 「そのうちさぁ、『マッサおじちゃん』とかって懐いちゃったりして」 「誰がおじちゃんやねん! んー……まぁ、それはそれで、別にかまへんけど」 と、満更でもなさそうなマッサを見て、忍もため息まじりに苦笑している。  壱成はそっと空を布団に寝かせながら、ワイワイと和やかなホストたちを和室から眺めた。  店ではキリリと引き締まった表情をしている高級ホスト三人組だが、ここではとてもリラックスした表情だ。親しげに笑い合う姿はとても『普通の若者』らしく、彩人もとても楽しそうだ。壱成にも、自然と笑みが浮かんでくる。  すると彩人が不意にこちらへと視線を向け、笑顔を見せた。 「なぁ壱成ー、晩飯、ピザ取ろっか。空も好きだしさ」 「うん、いいね。そうしよ」 「僕はあっさりしたもののほうがいいんだけどな、胃もたれするし」 「なんや急にオッサン風吹かしてきはるやん、忍さん。いうても35でしょ? 若い若い」 「んん? 誰だい今僕をオッサンて言ったの?」  にっこり笑いながらマッサの太腿をつねり上げる忍に、くぐもった悲鳴を上げるマッサ。  そんな風景には慣れていると言わんばかりに、普通にピザ屋に電話をかける彩人。そして、この喧騒の中、すやすやと昼寝をしている空――  ――なんか、平和だなぁ……。  ほんの少し前まで、この家には彩人と空しかいなかった。そこへ壱成がやって来て、今度は彩人のホスト仲間が遊びに来て……こんなにも賑やかに、食卓を囲む日が訪れた。  くたびれた表情で苦労を語っていた彩人も、今は見違えるように明るい笑顔だ。壱成にとって、それは何より嬉しい変化である。  空のそばで壱成があくびをしていると、彩人が和室に入ってきた。彩人は壱成の隣であぐらをかき、空のタオルケットをそっと直した。忍とマッサは、近くのコンビニまで酒を買いに出かけたため、ふたたび束の間の静けさである。  夕暮れが近づき、開け放した窓を覆うカーテンが、徐々に茜色に染まってゆく。どこからともなく夕飯どきの食卓の香りが流れ込んできた。  それはどこか懐かしさを感じさせる、あたたかい家庭の匂いだ。 「注文ありがと。空くん、すぐ起きるかな?」 「大丈夫大丈夫、こいつ、ピザの匂いでそっこー起きるから」 「ええ? ほんとかよ」 「ほんとほんと。マジで可愛いから見てて」 「ははっ、楽しみ」  そうして笑い合っていると、自然と肩が触れ合って、唇が重なった。  これから始まるにぎやかな宴を前に、ふたりは小さく笑い合う。 『夏の午後はにぎやかに』  おしまい

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