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夏の午後はにぎやかに〈前〉

 じわじわと盛夏が迫りつつある。セミの声が街中に響き始め、空高くでぎらつく太陽の光が、容赦無く地上に降り注ぎ始めたとある日のこと。  今日は空の希望もあり、庭にビニールプールを出して水遊びだ。  早瀬家の庭はぐるりと木目調のフェンスで囲まれており、窓から張り出すように四畳分ほどのウッドデッキがあある。ウッドデッキと柵の隙間は砂利敷きで、さほど手入れはしなくとも済むようだが、砂利の隙間から生えてくる雑草が生えてくる。そのため、平日の昼間に彩人が草むしりを敢行したらしい。  このキラキラした男が、いったいどんな顔をして草むしりをするのだろうか……と壱成は少し首を捻った。  ちなみに空は、今年初の海水パンツに大喜びだ。  名前に似合う晴れやかな雲柄の海水パンツを履き、買ったばかりの水中眼鏡を装備して、浅いプールに潜っては顔を出し、潜っては顔を出しを繰り返している。顔が水に濡れることが苦手だったけれど、壱成とプールで遊ぶためにと、バスタブで練習をしたのだ。  その甲斐あって、壱成がプールに沈めたおもちゃを拾ってきたり(浅いので潜る必要はないのだがが)、シャワー状にしたホースの水をかけられてもきゃっきゃと楽しげだ。 「いっせー! あった! たからものだよー!」 「おお〜よく見つけたじゃん。これで全部だっけ?」 「えーとねぇ、ぜんぶで5こだったから……あといっこ!」 「おお……引き算できてるじゃん。賢いぞ、空くん」 「? ひきざん?」     小首を傾げ、空はまたざぶんとプールに顔をつけて、キラキラした石を探し始めた。キャンプ用の椅子に腰かけて、壱成はほっこりと休日の午後を楽しんでいた。  ――はぁ……かわいい。癒されんなぁ……。 「空〜、こっち向いてこっち」 「いまいそがしーの!」  ちなみに彩人は窓辺に座り、スマホでカシャカシャと写真撮影中である。前髪をクリップで留めて額を出し、目元はレイバンのサングラス。シンプルな白いTシャツと色鮮やかな海パンといういでたちは、全国のビーチに出現するチャラ男を彷彿とさせる派手さである。  彩人は膝下が長く、ふくらはぎの位置が高い。ジムで鍛えているおかげなのか、感心してしまうほどにすらりと引き締まった美脚である。見慣れつつあるとは言え、こんなにも明るいところで彩人の生足を拝むことになろうとは……と、壱成は密かにドキドキしてしまった。 「空〜、水平気になったんだな。すげーじゃん」  彩人はスマホをポケットにしまい、プールから出てきた空の頭をくりくりと撫でた。空は得意げに「えへへー」と笑い、壱成の膝によじ登る。そして、ぐびぐびと水筒の麦茶を飲んだ。 「すごいでしょー! るいがねぇ、めをつむってたらこわくないよっておしえてくれたの」 「あー……るいくん。へー、そーなんだ」 「うん、あとねぇ、いきをとめてたらいーんだよって、いっしょにれんしゅうしてくれたの」 「ふーん。てかそれ、前兄ちゃんも教えただろ?」 「そーだっけぇ」  累の話題が出ると、若干おもしろくなさそうな彩人である。以前のセクハラ事件以降、累にあまり良いイメージを持っていない上、最近さらに空にべったりなことが気がかりらしいのだ。  壱成が保育園での仲良しエピソードを話すたび、彩人は安堵の表情を浮かべもするが、『なんか、がっちり空のハート掴んでない?』と複雑そうな顔をするのである。兄心は難しい。 「なぁ空、累くんさぁ、もう無理やり触ってきたりしねーの?」 「しないよー。るい、やさしいし、みんなとなかよくできるようになったし」 「……そーか。ならいいんだけどさ」  しぶしぶ拳を収める頑固オヤジのような顔をして唸っていると彩人を、壱成は「まあまあ」と宥めた。 「累くん、彩人のこと尊敬してるらしいよ? すごくカッコいいって」 「えっ? まじ?」  この間小耳に挟んだ情報を提供してみると、頑固オヤジ面だった彩人の目がきらんと輝く。ちょろい兄貴だな……と、壱成はため息をついた。 「そーだよ。んで俺は、『かっこいい方じゃないほうのお兄さん』とか言われてんだよ」 「えー、何だそりゃ。壱成、こんなにイケメンなのになぁ?」 「いけめんー?」 「カッコいいおにーさん、て意味だよ」 「へぇ〜。じゃあいっせーもいけめんだねぇ」  空の頭を撫でながら、彩人が新しい日本語を教えている。『イケメン』と褒められてあっさり気分をよくしている自分も相当ちょろいなと思いつつ、壱成は小さく咳払いをした。 「……とまぁ、園でのことは、色々あいこ先生が教えてくれるんだよ」 「ふーん、あいこ先生、壱成には優しーんだな」 「優しいか? 普通だろ」 「いやいや、あいこ先生、俺にはマジ冷たいから。絶対きらわれてるし」 「そんなことないだろ、忙しいだけだよ。あ、一回ホストモードで空くん送って行ってみたら?」 「ていうか、俺、これまで空迎えに行く時いっつもスーツのままだったけど、あいこ先生全く無反応だったし。壱成みたいな爽やか系の方がタイプなんだろーな、あいこ先生」  彩人はちょっと寂しげにそんなことを言い、空が食べているおやつのビスケットを一つ摘んで、口に放り込んだ。早瀬兄弟が向かい合ってもぐもぐ同じものを食べているという絵面は微笑ましく、壱成の表情筋はゆるゆるだ。 「ま、別に俺は嫌われててもいいんだけどさ。先生たちみんな、空のこと大事にしてくれるし」 「確かに、俺らよりずっと長い時間一緒なんだもんな」 「『ほしぞら』がなかったらどーなってたんだろって思うと、ほんとゾッとするわ」 「だよなぁ……」  そんな話をしていると、小さな身体で様々な経験をしている空が無性にいじらしく思え、壱成は膝に座った空をぎゅうっと背後から抱きしめた。すると、口の周りにビスケットをくっつけた空が、不思議そうに壱成を振り返る。 「いっせーどーしたのぉ? ねむいの?」 「ううん、みんなと仲良く出来て、空くんえらいな〜と思ってさ」 「へへへ〜! そーだよぉ。おれ、みんなとなかよしだもん」 「えらい、えらい! さすがだな〜!」 「ふふふ〜」 と、壱成と空がじゃれていると、彩人がまたスマホでカシャカシャとやり始めた。あまりにもシャッター音がすさまじいので、壱成は渋い顔を彩人に向ける。 「おい、どーすんだよそんなに撮って」 「いや……今日という日をちゃんと残しておきたいっつーか」 「にしても撮りすぎだし」 「へへ、マッサに送りつけてやろうかと思ってさ〜。空のことかわいいって言ってくれたし」 「へー、あいつ子ども好きなのかな」 「どーかなぁ。なんか好きっぽい感じしたからさ、今度うち遊びに来いよって誘ってみたんだ、ソッコーでフラれたけど」  などと話しながら、彩人は早速、ぽんぽんとマッサに写真を送りつけているようだ。すると即座に返信があったらしい。それを見た彩人は苦笑しつつ、壱成のほうへスマホの画面を向けた。 「『がきんちょは可愛いけどお前らがいちゃついてんのはなんかハラタツ』って、ははっ、心の声まんまって感じの文面だな……。マッサって彼女いないの?」 「うん、いないって言ってた」 「へぇ……なんか意外。派手に遊んでそうな顔してんのに」  まさかあいつもインポなんじゃ……という邪推が脳裏に閃くが、壱成は軽く首を振って、くだらない妄想をかき消した。そうこうしている間に、彩人はまたぽちぽちとスマホに何か打ち込んでいる。マッサとやりとりしているのだろうか。 「暇なら遊びにこいよって送っといた」 「そっか。これも意外なんだけど、彩人ってマッサと仲良いんだな」 「んーまぁ、今まではそーでもなかったけどな。やたら絡んでくるしで若干うざかったんだけど、同い年だし、空のことも店じゃ黙ってくれてるし、あいつも色々苦労してるとこあって、なんか急に親近感わいたっつーか……」 「へぇ」 「ごちそうさまぁ」  おやつを食べ終え、空はすとんと壱成の膝から降りた。そしてふたたびビニールプールの中へどぼんと飛び込み、今度は彩人にホースを差し出す。 「にぃちゃん、おみずかけてー! かおにかかってもいいよ!」 「へぇ、いいんだな? 頭からドバーッといってもいーんだな?」 「い、いいよー!」  ホースを手にニヤリと笑う彩人と、やや身構えている空。  彩人め、大人気なく頭からドバドバと水をかけるつもりなのか……? と思いつつ成り行きを見守っていると、彩人が手にしたシャワーヘッドから、しゃわしゃわ〜と細かいミストが降り注ぐ。  そこへさんさんと太陽の光が降り注ぎ、見る間に色鮮やかな虹が浮かび上がった。それを見た空は歓声を上げ、目をキラキラ輝かせながら虹に向かって手を伸ばしている。 「わぁ〜にじだ! にぃちゃんすっげー!」 「へへ、どーだ。すげーだろ」 「すげーすげー! わぁ〜!」  空に褒められ、得意満面な顔をしている彩人だ。それがあまりにも可愛くて、壱成はすかさずスマホを手にして、カシャカシャと二人の姿を写真に収めまくった。 「いっせー、みて! にじだよ、にじー!」と言って満面の笑みを浮かべる空もまた、愛くるしくてたまらない。こっちまでにこにこと顔が綻んでしまう。  とその時、ピンポーンと呼び鈴の音が聞こえてきた。  インターホンがある玄関の門扉とプール遊びをしている庭はすぐそばだ。彩人は「なんだ?」と訝しみながらホースを壱成に手渡して、そのままひょいと門扉の方へと出て行った。

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