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七夕番外編『みんなの願い事』
「いっせー! おかえりぃ〜!!」
「ただいま空くん……あれっ、何持ってんの?」
いつものように『ほしぞら保育園』へ空を迎えに行くと――空が、自分の身体と同じくらいの大きさの笹を持って駆け寄ってきた。
ぷっくりした小さな手に握られた青々とした竹(プラスチック製だ)に、色とりどりの飾りが綺麗に映えている。そして、折り紙で作られた飾りの中に、淡いブルーの短冊が結わえてあった。
「あ、そっか。今日は七夕だ」
「そーだよぉ。おうちにかざってねって、あいこせんせいがいってたの」
「おお、いいねいいね。空くん、お願い事何書いたんだ?」
空の前にしゃがみ込み、壱成は裏返っていた短冊をひょいとひっくり返してみた。……が、そこには字のような何かが並んでいるものの、内容が分からない……。
「ねぇいっせー。じ、きれいにかけてるでしょー?」
「う、う、うん! す……すげぇちゃんと書けてるな」
「へへーでしょ〜? るいにねぇ、おしえてもらったんだよぉ」
「そ、そう……」
誇らしげな満面の笑みを浮かべている空に、「これなんて書いてあるの?」とは聞きづらい……。しかもわりと長い文章だ。かろうじて「い」や「に」などの文字は判別できるのだが、これを解読するにはかなりの時間が要りそうで――
――うーーーーん、どうしたもんかなこれ……。
と、壱成が内心ひそかに唸っていると、とたとたと軽い足音とともに、累がこちらへ駆けてくる。その後ろには、空の担任であるあいこ先生の姿も。これ幸いと、壱成は立ち上がって会釈をした。
「霜山さん、お疲れ様です」
「あいこ先生、今日もありがとうございました。あの、この笹……」
「あ、これ、お家でぜひ飾ってくださいね。園のほうでは本物の笹に飾り付けをしたんですけど、これはお家用なので」
「ああ、なるほど……」
「これ、ご家族分の短冊です。よかったらどうぞ」
「ありがとうございます」
あいこ先生が差し出したのは、淡いグリーンとレモンイエローの短冊だ。爽やかな色合いの短冊を手に、壱成は救いを求めるような目であいこ先生をじっと見つめた。……が、下からちょいちょいとスーツの裾を引っ張られる。
「いっせー、おしっこぉ」
「えっ、あ、おしっこ? じゃ、トイレ行ってから帰ろっか」
「ああ、いいですよ。わたしが連れて行きますので、ちょっと待っててください。いこ、空くん」
「はーい」
壱成に向けられていたキリッとした表情から一変、空へ手を伸ばすあいこ先生の顔には優しい笑顔が浮かんでいる。さすがプロだな……と感心しつつ、気づけば累とふたりで取り残されているではないか。
「こんやもそらくんをつれてかえっちゃうんですね」と恨み言を言いたげな大きな瞳が、ジーッとこちらを見上げていて――壱成の笑顔が若干ひきつる。
「えーと……累くんは、今日はお泊まり?」
「いいえ、かえります。でも、もうちょっとおそくなるみたいです」
「そうなんだ……。あっ!」
空はさっき、累に字を教えてもらったと言っていた。壱成はさっと累の前に跪き、空から預かったばかりの笹を累の前に掲げてみせた。
「空くんに字を教えてくれたんだってね。ありがとう」
「いいえ……ぼくもそんなにじょうずじゃないけど。どうしてもかきたいことがあるっていってたから」
「あの……それについてなんですけど」
じり、と累に少し近づいて、声のトーンを落とす。毛穴など一切見当たらない白い肌や、けぶるような金髪、そしてクリスタルガラスのような青い瞳の美しさに見惚れそうになるが……不意に近づいてきた壱成を訝しげに眺める累の視線が痛い。苦笑を浮かべつつ、壱成はひそひそとこう尋ねた。
「空くん、短冊になんて書いてたか知ってる?」
「え? しってますけど」
「あ、あの……教えてくれないかな。ちょっと……読めないところがあって」
よほど必死そうな顔に見えたのだろう、合掌している壱成をちろりと見て、累がやれやれといったふうにため息をつく。そして、スラスラと淀みなくこう言った。
「にいちゃんと、いっせいと、ずーっとまいにちいっしょにあそべますように、ってかいてました」
「あっ……そ、そうなんだ……!!」
空の可愛らしい願い事にきゅんきゅんと胸が高鳴る。溢れ出そうになる愛おしさを抑え込むように、壱成は口元を両手で覆った。
だが、目を輝かせて喜んでいる壱成を前に、累の表情はどこか生ぬるく……壱成はハッとして、保護者然とした爽やかスマイルを浮かべた。
「ごほん……え、えっと。じゃあさ、累くんはなんてお願い事したのかな?」
「ぼくは……」
壱成の問いかけに、累はぽっと白い頬をピンク色に染めた。そして軽く俯いてもじもじしながら、小さな声で教えてくれる。
「そらくんとけっこんできますようにって」
「け……結婚」
「うん。ぼくのじんせいのもくひょうです」
「そ、そっか……うん、そうだよね。累くんは空くんのこと、大好きだもんな」
空にはいまいち伝わっているのか謎な部分はあるけれど、まわりの大人たちは(おそらく子どもたちにも)、累の一途な恋心は皆がよく知っている。
壱成はしみじみと頷き、少し躊躇いがちに、累の頭を軽く撫でた。
累はちょっと驚いたような顔をしていたが、やがて少し照れ臭そうな表情を浮かべている。
睨まれていない時であれば、累とてかわいい四歳児である。壱成は心から、「叶うといいね、願い事」と、累に伝えた。
とそこへ、空が猛ダッシュで戻ってくる。背後から「そらくん、走っちゃダメよ!」と注意するあいこ先生の声と共に。
「いっせー! かえろー!」
走ってきたそのままの勢いで、天使の笑みを浮かべた空がぎゅーっと抱きついてくる。
そのあまりの愛くるしさに目尻がでろでろと下がってしまいそうになるのだが、累のスンとした目にハッと気づき……壱成は保護者として適切な笑顔を浮かべ、立ち上がった。
「ばいばーい、るい! またあしたねぇ」
「うん、またあしたね」
意気揚々と壱成の左手を握り、累に向かって笹を振る空もまた可愛らしい。だが累は四歳児とは思えないほどに切なげな微笑みを浮かべ、空に向かって手を振っている。
とても寂しそうだが、傍らにはあいこ先生がいるから大丈夫だろう……。
毎晩のように繰り広げられる切ない別れのシーンだが、空は上機嫌に歩調を弾ませ、鼻歌を歌っている。
「たなばた♪ たーなばた♪ いっせーも、たんざくかいてかざろーねぇ!」
「うん、そーだね。あいこ先生がくれたしね」
「いっせーはなんてかくー?」
「んー、なんて書こっかなあ」
身体は仕事で疲れているが、空と手を繋いで歩いていると、自然と歩調が軽くなる。
蒸し暑い夜だけれど、七夕飾りと笹の葉がサラサラ触れ合う音が、涼しい風を運んできてくれるような気がした。
+
空の寝かしつけながらそのまま寝落ちしてしまい、午前二時過ぎに目覚めた。
せっかくなので彩人を待つか――と思い、リビングの一角に立てかけられていた七夕の笹を写真に収めていたら、ガチャリと鍵の開く音だ。彩人が帰ってきたらしい。
「彩人、おかえり」
「お、ただいまー。壱成、まだ起きてたのか?」
「おう、寝落ちしちゃってさ。さっき起きたんだ」
「そっか、お疲れ」
彩人は優しい笑顔を浮かべ、壱成の額にキスをした。
久しぶりに、キラッキラのホストモードで帰宅した彩人を見た気がする。
光沢のある濃紺のスーツに、凝った織柄の入った黒いシャツといういでたちだ。ダイヤモンドがきらめくピアスや、長い指を飾る高級そうな指輪などもあいまって、まるで星の瞬く夜空を身にまとっているようだ。
――はぁ……ほんっと、かっこいいな彩人のやつ……。
ジャケットを脱ぐと、引き締まった男らしい身体のラインが露わになる。少し疲れたようなため息をつきながら時計を外す姿まで途方もなく色っぽくて――ついつい見惚れてしまっていた自分が、恥ずかしい。
「あっ、そ、そうだ。これ、空くんが持って帰ってきたんだ」
「え? お〜、毎年恒例の笹な」
彩人にとっては馴染みのあるものであるらしい。壱成の隣にあぐらをかき、彩人は空の短冊を手に取った。
「お、去年より字っぽくなってんじゃん」
「毎年チャレンジしてたんだ。……かわいいなぁ」
「えーと? 『にいちゃんと、いっせいと、ずーっとまいにちいっしょにあそべますように』……か。いいね」
「えっ!? 読めんの!?」
壱成には解読不能だった空の字だが、血のつながりのなせる技なのか、彩人がスラスラ読んでいるので仰天してしまう。彩人は笑って、「なんとなく分かんだよな〜」と言った。
「すげぇ……俺読めなくて、累くんに教えてもらったのに」
「まぁ、暗号? みてーな感じかな。といってもまぁ、もっときれいに書けるようになんなきゃだけど」
「おお……」
「おっ、壱成の短冊は……と?」
淡いグリーンの短冊に、壱成は『皆が健康で過ごせますように』と書いたのだった。
早瀬家で共に暮らし始め、空と過ごす時間が増えてゆくにつれ、日々「健康で長生きしなくちゃな……」と思うようになった壱成である。(まだ二十五歳だが)
「ジジイかよ」と笑われるかと思ったが、彩人は神妙な顔で深々と頷いている。
「健康かぁ……確かにな。俺もこんな仕事だし」
「夜の仕事でも、お前は俺より健康そうだけどな」
「そーかぁ?」
「ジムもちゃんと通ってるし、体力もあるしさ」
「へへ、まーね。顔と身体は資本だからな」
「顔ね、確かに。自分で言えちゃうとこがすげーわ」
深々と納得しつつそう言うと、彩人は楽しげに笑って壱成の肩を抱く。そして、ちゅっと壱成の耳にキスをした。
「んっ……こら、やめろって。ほら、彩人も短冊書けよ」
「何て書こっかなぁ。……けどその前に、ちょっとだけ」
「わっ、こら、彩人っ……」
どさ、とリビングのラグマットの上に押し倒されてしまった。こんな夜中から何をしだすのかとたしなめようとしたが、着飾ったままの美貌の彩人に視線で射すくめられてしまえば、壱成の胸はきゅんと高鳴る。
「お前……襖の向こうで空くんが寝て、」
「知ってるって。けどさ、七夕の夜に起きて待っててくれたのがさ、すげー嬉しくて」
「ああ……うん」
まばゆいほどに美しい笑顔で見下ろされ、とろけるように心地よいキスであやされてしまえば、抵抗などできなくなる。
柔らかな彩人の唇であっという間に高められ、指輪を嵌めたままの手で昂らされながらも、空を起こさないようにと必死で声を殺した。
「ん、は……ァっ……彩人っ……ん」
着衣も、呼吸も乱されながら、身体に馴染んだ快楽を与えられる。これ以上ないというほどに硬く張り詰めてしまった壱成の屹立を見下ろして、彩人は小さく舌なめずりをした。
「……エロいね、壱成。俺、ちょっとキスしただけなのに」
「ちょっとじゃねーだろ……っ! も……イきたい……」
「俺シャワーまだだし、一緒に入ろーぜ」
「う、うん……」
「手でイかされんのと……ナカでイくの、どっちがいい?」
「へ」
じくじくと熱を燻らせた身体と頭のまま、彩人を見上げる。その瞳の奥に、壱成を欲するぎらつきを見つけてしまい、思わずごくりと息を呑んだ。
「……な、ナカ……が、いいかな……」
「ほんと? いいの?」
「……う、うん。……すげぇ、したい」
「壱成……」
恥ずかしげもなく壱成がそう口にすると、彩人は甘い甘い笑みを浮かべて、壱成を引き起こす。そして軽々と抱えられながら、バスルームへと……。
シャワーの熱い湯に打たれながらキスをして、また昂って。彩人の屹立を口で愛撫したあとに、中までじっくり愛されて――……
へろへろにさせられ、気持ちよく眠りにつかせてもらった翌朝。
壱成はふと、七夕飾りの中に、レモンイエローの短冊が増えていることに気づいた。彩人が昨晩のうちに書いて飾ったらしい。
「あいつ……やっぱ体力半端ねぇな」と呟きつつ、短冊に書かれた文字を見て……壱成は、きゅと唇を噛んだ。そこには、彩人が胸に抱えた切なる願いが、書きつけられている。
とそこへ、「いっせー、おはよぉ……」という空の眠たげな声が聞こえてくる。壱成ははたと我に返って、空に笑顔を見せた。
「空くんおはよ。あのさ、彩人がまだ寝てるんだよ。起こしてきてくれる?」
「えー、にーちゃんねてるの? しょーがないなぁ」
彩人を起こすというミッションに、眠たげだった空の目がぱっちり開いた。
そして、駆け込んでいった彩人の部屋で、「にーちゃんおきて!!」という楽しげな声が聞こえてくる。彩人のくぐもった悲鳴も……。
「……確かに、幸せだな」
もう一度レモンイエローの短冊に視線を向ける。
『この幸せが、ずっと続きますように』
思いのほか綺麗な文字で書かれた彩人の願いを見つめて、壱成はふっと微笑んだ。
――続くよ。続くに決まってんじゃん。俺も、空くんも、そう願ってるんだから。
返り討ちにあっているのか、きゃっきゃと笑う空の声が賑やかに聞こえてくる。
朝の風を部屋に入れるべく窓を開けると、さらさらと揺れる笹の葉の音色が、小気味よく部屋に響いた。
『七夕SS・みんなの願い事』 終
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