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『ハロウィンナイトは砂糖菓子②』

 保育園に到着すると、すでにたくさんの親子で園庭は賑わっていた。  園庭のそこここに飾られているのは、不気味可愛いジャック・オ・ランタンだ。きっと先生たちのお手製なのだろう。普段はしんと静まり返った夜の園庭はオレンジ色に照らされ、まるで祭りのように華やいだ雰囲気だ。 『ほしぞら保育園ハロウィンナイト』と、門にでかでかと設置されたアーチ型の看板にはモールがきらめき、デフォルメされたコウモリや魔女のイラストが飾られている。空は目をキラキラと輝かせ、「すごい、すごいねぇ! みんないつもとぜんぜんちがうー!」とはしゃぎながら、園庭の中へと突っ走って行った。 「うわぁ、すげーなぁ。本格的じゃん!」 と、壱成も思わず感嘆の声が漏れる。もっとお手軽なイベントかと思いきや、ものすごい手の込みようだ。今日のためにいかほどの時間がかけられ、準備がなされたのだろう。通常保育もあり、夜の保育もあって忙しいだろうに――と、壱成は先生たちを拝みたい気分になった。 「ほんとだなぁ。がっつり仮装してきて良かったな」 と、彩人も心底感心しているようすだ。保護者たちの仮装への熱の入り方もまたすごい。  彩人と同じく、夜の店をやっているみさきちゃんママは、タイトなロングドレスにとんがり帽子をかぶった妖艶な魔女。救急救命士で昼も夜もなく働いているというたくやくんパパは、ボロボロの白衣に頭にぐるぐると包帯を巻き、見事なフランケンシュタインに扮している。  そのほかにも、白い着物に長い髪を振り乱した幽霊風のママさんや、がっちりした身体にアイドルアニメキャラの衣装で着飾っている社長パパなどなど……見ているだけで飽きない人々で園庭は賑やかだ。  そんな中でも、やはり彩人は派手に目立っている。ツイードの渋めのスーツを着ていても、ランタンの光にきらめくアクセサリーは彩人の華やかさを昼間以上に引き立てているし、いかんせん今はケモ耳と尻尾がくっついているのだ。楽しそうに走り回っている空に目を光らせ、「人にぶつかんなよ!」と声をかけている姿さえ凛々しいやらカッコいいやら可愛いやらで、壱成の胸は密かにきゅんきゅんと高鳴りっぱなしだ。  ――しかも狼兄弟だぞ……? 反則だろ可愛すぎる……。素のときでも彩人が空くん抱っこしてるだけで死ぬほどかわいいのに、ケモ耳つけてたら可愛さ百万倍増しだよどうすんだよ……。  壱成がぽわんとしていると、いつも以上におおはしゃぎの空が大人にぶつかり、彩人が慌てて走ってゆく。壱成も駆けつけようとしたけれど、謝罪を受けているジャックオランタン母娘が「いやいや全然! 全然大丈夫でっ……!!」と言いながら目をハートにしているのを見て、壱成は自分が出る幕でもないかと思い足を止めた。  すると、とんとん、と誰かに控えめに肩を叩かれた。 「こんばんは。霜山さん、お疲れ様です」 「あ、その声はあいこ先生……あいこ先生!?」  確かのその声は聞き慣れたあいこ先生のものだ。だが、そこにいるのは、文字通り顔が真っ青すぎるほどに真っ青なあいこ先生である。  顔は真っ青だが服装は普段通りの保育士スタイル。エプロンにジーパン、そしてスニーカーという動きやすそうな格好であるため、余計に顔色だけが異様である。 「……えーと……顔色が悪いようですが……」 「ああ、これは仮装です。働きすぎてゾンビになった保育士という設定で」 「あ、ああーなるほど……世間の声を反映した仮装ですね……」 「まぁ、わたしはこの程度の労働は苦ではないですけどね。時間がなかったもので、園長先生のドーランをお借りしたんですよ」 「はあ」  そんな話をしつつも、あいこ先生はしげしげしげしげと壱成の全身を眺め回している。普段お迎えに来る時はよれよれのサラリーマンスタイルなので、ヴァンパイア姿が珍しいのだろう。  とそこへ、空を抱っこした彩人が壱成のもとへ戻ってきた。  するとあいこ先生は、狼兄弟に扮している彩人と空を見た瞬間目玉をひん剥き、血走った双眸を刮目して――……その恐ろしい形相に壱成は震えた。 「あいこ先生!? 顔色悪ぃっすよ!? それ仮装?」 「おっ……!! お二人はおおかみ、ですねっ……おおかみっ……グフッ……!!」 「そーなんすよ、お揃いにしちゃいました。たまには楽しいっすね、こういうの」 「ええ、ええもうほんとうによくおにあいで……っ!! そ、そらくんもよかったね、ハロウィンやってみたいって、言ってたもんねッ!!」 「うん!! みんなおばけになってて、すっごくたのしい!!」  ぱぁぁぁ……とかがやかんばかりの満面の笑みで楽しさを訴える空の表情に、あいこ先生が「グブゥッ……!!」とゾンビめいた呻き声を漏らした。ゾンビだけに、早瀬兄弟という光に目を焼かれてしまったのだろう。  リアルすぎるゾンビっぷりにやや引きつつも、壱成は「だ、大丈夫ですか?」とあいこ先生を気遣った。 「えええ、ええ、ええ、わたしのことはお気遣いなく……じゃ、じゃあ空くん、いっぱいお菓子もらって帰ってねッ!!」 「はーい!」  右手を上げていいお返事をする空にニタァと不気味な笑みを残して、あいこ先生はフラフラとその場から消えて行った。さすがに彩人も苦笑いだ。 「先生フラフラじゃん。準備大変だったんだろーな」 「そ、そうだな……。ドーランの下もあんな顔色なのかもな……」 「それやばくね?」  そんな話をしつつも、じ……とこちらを見つめてくる彩人の視線にふと気づく。壱成が「ん?」と首を傾げると、彩人ははたと目を瞬き、すいと視線を外して空の頭を撫でた。  何やらもの言いたげな表情だが、空がふたたび「あ! ともくんだ! おかしあげっこしてくるねぇ」と言って身を捩り、彩人の腕からぴょんと飛び出して行った。  空が走るたび、ズボンにくっつけたしっぽが揺れ、楽しいという感情が目一杯に伝わってくる。その愛くるしい姿を見送りながら、壱成は改めて彩人を見上げた。 「どした? 疲れたのか?」 「ううん、全然へーき。こういうの結構楽しいな、みんな普段より気軽に声かけてくれっし」 「うん、そうだな」 「ていうか壱成ってさ……オールバックにするとすげぇ大人っぽいっつーか、なんつーか」 「えっ……マジ? 老けて見える?」 「いやいや、そーじゃなくてさ……美人、つーか。色っぽい、って意味」 「へ」  少し身を屈めて壱成の耳元に唇を寄せ、彩人は声をひそめてそう囁く。ふわりと吹きかかる彩人の吐息が妙にくすぐったく、壱成はぱっと耳を押さえて彩人を見上げた。  ジャックオランタンのオレンジ色の明かりを受けて、やや潤んだ彩人の瞳がゆらりときらめく。  ここは空の通う保育園で、しかもたくさんの保護者たちがすぐそばで談笑しているというのに、壱成の胸は唐突にどきどきと激しく高鳴り始めてしまう。  壱成のほうこそ、いつもとはまるで異なる彩人の姿に胸をときめかされっぱなしなのだ。こんな場所であるにもかかわらず、じわりと身体が熱くなりかけたその時――  くいくい、とマントを引っ張られる感触で、壱成はハッと我に返った。きっと空が戻ってきたのだろうと思い、「あっ! 空くんおかえりっ……!!」とうわずった声で振り返った壱成の鼻先に……銀色の鎌がある。 「うおおおおっ!? 鎌!?」 「そらくんのおにいさん、かっこいいほうのおにいさん、こんばんは」 「あっ……ああ! る、累くんか、びっくりした……」  壱成と似たような黒いマントに白いフリルシャツ姿の累が、右手で空と手を繋ぎ、左手に大きな銀色の鎌をかついで背後に立っていた。どうやら、鎌はあえて鼻先に突きつけられていたわけではなかったらしい。壱成は冷や汗を拭い、膝を折ってしゃがみ込んだ。  すると、空は頬をつやつやと輝かせながら、持参してきたカボチャバケツに入ったたくさんのおやつを「じゃーん!」と披露する。 「みてみて! いっぱいこうかんしたんだよぉ!」 「おー、すごいじゃん!」 「空もちゃんとみんなにあげたか?」 と、彩人も壱成の横にしゃがみ込み、空と累の頭を交互に撫でる。空は大きく頷いて、「うん! とりくおあとりーとってあいさつして、あげっこしたー」と満足げな笑顔だ。  空の笑顔を見守る彩人の瞳は底抜けに優しく、そしてどこか安堵したような表情だ。その横顔を見守っているだけで、ほっこりと胸の奥があたたたかくなる。  そして、空のとなりにいる累の表情もまた柔らかい。ひとときたりとも空から目を離すまいという決意が伝わってきそうなほどに熱い眼差しで、ケモ耳姿の空を見つめている。  そんな累の表情を前にすると、普段何かとツンツンされがちな壱成でさえ、累が可愛くてたまらないような気持ちが湧き上がってくる。壱成は累のほうへ向き直った。 「累くんの仮装は何? ひょっとして、俺とおそろいかなぁ」 「たぶんちがいます。ぼくはしにがみだから」 「し、死神……」 「はい、しにがみです」  累はキッパリした口調でそう宣言し、青く大きな瞳でじいっと壱成を見つめるのだ。  毎晩のように「そらくんをつれてかえっちゃうんですね」と凄まれているせいもあり、累の持つ銀色の大きな鎌が妙にギラついて見え、壱成は引きつった笑みを浮かべた。

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