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第38話

   不規則な生活はお互いさまで、溜まっていた洗濯物を一緒にベランダに干した。ついでに布団も陰干しする。先日、泊りの予約を入れてくれたお兄さんに対する礼のブログも書いた。シフトを詰め込まれた涼はここ最近一気に人気が高まり、彼のブログには頬を膨らませ、ふて腐れたナツとべったりくっついている写真が載っていた。  そして、ヨシの方はいつの間にかヘタレわんこと化していた。見た目に反する素直さは苛めて、かわいがりたくなるものだ。どうやら見た目ギャップがここにも顕在することになった。  ごろごろと余暇の午後を満喫する。気温の高さですぐに乾く洗濯物だとか布団を取り込んで畳んだ。その家事をする間に店舗へ出かけていた守代が戻って来た。 「良いものだな」 「なにが」 「家で待っていてくれる人がいるのは」 「そう」  この部屋にいる時にだけ感情を言葉にしてくれる。そちらの方が葵にとってはとても良いことだった。外では分かりにくい優しさばかりだ。  考えを全て相手に伝えることは、したくなかった。隠しているから愛情が足りていないのではなく、自分の中で完結していることを繰り返す必要がないからだ。だから今回のことも、一切言うつもりはない。  ワンプレートにつまった愛を守れた、という功績だけをそっと胸に秘めておく。   「目、閉じてろ」 「何かな?」 「いいから」  すっかり日が長くなり、夜に差しかかる時刻に水色の空に茜が混じる。それはあっという間にぶわりとピンクオレンジの色に染まり上がりいつまで見ていても飽きないものだった。  微風が通り抜けて、長めの後ろ髪が靡いた。ベランダで一人佇んでいると扉が開く音がした。守代も出て来たのだろう。気付いてはいたが、構わずに眼前に広がる風景を眺めていたところに声がかかる。  言われた通りに瞼を閉じる。耳に何かがつけられる、こそばゆい感覚がした。  金で体を売っては、自分だけのものにしようと物品をプレゼントされる。それが日常となる世界で生きているのだから今更だと思うが、そこにあまり価値を見出せなくなっていた。それよりも欲しいものがあった。それがなければ生きられないと彼に、彼だけに自ら打ち明けたというのに、他の客と同じことをするのかと疑問が過ぎる。  まだ開けていいと言われないので、瞼は閉じたままだ。そうすると頬と耳の横を通り過ぎる風だとか、平日の帰宅時間の渋滞でのろのろと走る車の走行音だとかが、いつもよりもはっきりと聞こえた。不意に頬が温もりに包まれる。触れることにも触れられることにも慣れてしまった体温だ。  食むように柔らかな唇が重なり、ざらりとした舌先が舐めてくる感覚にこちらも舐め返す。表面を擦り合わせ、舌全体で小さな水音を奏で合う。  音ばかりがやけに耳についた。 「ん……っ、ふ」  巧く呼吸することは出来ても、いつかのようにここで止められては堪らない。手探りで守代の体に触れる。  出かけた時はスーツだったはずだが、いつの間にかまた着替えている。カジュアルとは言っても年相応に落ち着きのある質の良いブラウスだ。這わせた掌に伝わる鼓動と、離された唇が呟く葵の名前に目を開く。  もう夕焼けは闇に浸食されかけて、紫色と混ざろうとしていた。欲しいものがあると眼差しで訴えてみる。通じるとは思わない。通じればいいのにとは思う。  ただ純粋に想いたいだけだ。  手を引かれて室内に戻る。  どうやら気持ちは通じたらしく、二人して倒れ込んだベッドの布団からは太陽の匂いがした。ふんわりと体を受け止める柔らかさに癒される。 「いつか」守代が夜に溶けそうな優しい声で喋る。 「いつか、お前の体質が元に戻るようにしたい」  初めて告げられる、そのはっきりとした宣言に葵は目を丸くした。  自分のことを都合の良い存在だと思っていても構わないと思っていただけに、恥ずかしさが押し寄せてくる。 「本気?」発した声は心なしか震えていた。長年つき添ってきた依存症は、性癖の一部と化す程になっていたのだ。それが普通ではないということも自覚している。 「冗談でこんなこと言うように見えるか?」 「……見えない」  ゆるりと首を振ると、耳につけられた物が髪に当たった。  それに触れてみると、どうやらただのピアスではないようだ。ゆっくりと手に取ってみると、昨今流行りの耳に引っかける装身具のイヤーカフ。  一番好きな季節の、葵の誕生石のパール。 「すぐに止めるのは危険だから少しずつな」  そう言って笑んでくれる彼の手をしっかりと握った。  守りたいものがここにある。                                                                           了

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