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第24話 花火

 七月終盤。帰宅して直後、稀一郎は鼻息荒く述べました。 「おい!今から出かけるぞ!」 「はぁ?明日も早いんだぞ。さっさと飯食って寝ろ」  鍋を混ぜながら、朔之介はにべもなくあしらいます。しかし稀一郎は引き下がりません。 「花火だよ!有名な両国の花火、今夜なんだってさ。せっかく近いんだから行こうぜ」 「味噌汁ができてるのに」 「明日食うから!な、行こうぜ」  朔之介は渋りながら、かまどの火を消しました。  稀一郎は朔之介の腕を引いてずんずん歩きます。三十分ほどで浅草へ。河原は相当なにぎわいでした。たくさんの夜店が立ち並び、食べ物や玩具を売っています。人混みに気圧されている朔之介の手を、稀一郎はしっかり握りしめました。 「離れるなよ」 「お前こそ、離すなよ」  朔之介の指は稀一郎の指の間にするりと滑り込みました。稀一郎はどきっとして何か言いかけますが、花火の音に遮られます。それは世界をぶち壊すような炸裂音と共に、晴れた夜空一面に咲き誇りました。刹那、幻のように輝いた大輪の花は小さな光の粒となり、夜の闇へと吸い込まれていきます。その儚さが美しく、稀一郎は嘆息しました。 「今の見たか!?」  稀一郎は興奮気味に横を振り向きます。朔之介は瞳をめいっぱい開いて見入っていました。片目に夜空の全てを映しています。二度目の爆発音が鳴っても、稀一郎の目は朔之介に釘付けです。息をするのも忘れて、朔之介の顔が橙黄色に煌めく様をじっと見ていました。瞳の中の夜空に、無数の火花が舞い散っています。  視線に気づいた朔之介は、稀一郎に目を向けます。唇を薄く開き、花火を見ろと言いました。人々の歓声と続く破裂音の中、稀一郎は耳聡く朔之介の声を拾い上げます。 「見てるよ」 「おれを見てんじゃねぇ。花火を見ろ。お前が連れてきたんだろ」 「そうだけど」  稀一郎は純粋に花火が見たくて来たはずでした。朔之介にも見てほしかったし、一緒に見たかったから無理に連れてきたのです。 「花火も綺麗だけど……」  食い入るように花火を見つめる朔之介の横顔が予想以上に真剣で綺麗だったのだから仕方ない、と稀一郎は言い訳します。 「ちゃんと見てるよ。ちゃんと、目に焼き付けてる。瞬きしてる間に消えちゃうもんな」 「だから目を離すな」  朔之介はすぐに視線を戻します。その目を見て、稀一郎は不意に、自分たちの立ち位置が固定していることに気づきました。必ず稀一郎が左、朔之介が右です。朔之介の横を向いた左目を、稀一郎は呆れるほど見慣れているのです。  稀一郎はおそらく、朔之介の包帯に隠れていない素顔を拝みたくて、無意識に左側に立っていたのでしょう。朔之介も同様に、稀一郎の姿を視界に入れておきたくて右側に立っているのだとしたら、これほど嬉しいことはありません。 「お前って、なんだかんだ言って、やっぱり俺のこと好きだよな」  朔之介はつんと口を尖らせましたが、黙して空を見上げていました。  花火の後、大勢の人たちと共に帰路に就きます。河原から遠ざかるにつれて人は減り、辺りはしんと静まり返ります。頼りない街灯がぽつぽつと並ぶ暗い夜道。あの熱狂が嘘だったかのように、街はすっかり冷ややかです。 「なぁ、来てよかったろ?花火」 「そうだな。初めて見たが、案外悪くない」  稀一郎は離れてしまっていた朔之介の手を握りました。いつものように、右手で左手を取ります。 「もう迷子の心配はないぞ」 「いいじゃん。どうせ誰も見てないんだから」  朔之介も手を解こうとはせず、するりと指を絡めました。 「その触り方やらしいんだけど、外でするのやめない?」 「今すぐやりたくなるからとか言うなよ」 「それはないけどさぁ、口吸いたくなる」 「……すればいいだろ」  喉から変な声が漏れました。驚いて見ると、朔之介は伏目でうつむいています。表情はわかりませんが、何となく、接吻していい合図のような気がして、稀一郎は朔之介の顎に触れて上を向かせました。そのままゆっくり顔を近づけると、朔之介はわずかにたじろぎますが、すぐに目を閉じて稀一郎を受け入れます。  軽やかに澄んだ音を鳴らして、稀一郎は唇を離しました。朔之介はきょとんとして、鼻先に手を添えます。 「やっぱやめだ。こんなとこで口吸ったら絶対もっとしたくなる。俺、我慢できる気がしねぇ。早く帰って、布団の上でしようぜ」  稀一郎は朔之介の手をぐいっと引っ張って駆け出しました。朔之介はからかって笑います。 「やっぱり、まだ童貞くさいな」 「うるせぇ!もう童貞じゃねぇんだよ」 「おれは別に、外でしたって構わんぜ」 「お前ぇ、そういうのやめろよな。せっかく我慢してるんだからさぁ。外でするなんて、そんなのだめだろ。俺は、屋根のある部屋で、丁寧にしたいんだ」 「はは、来年は川沿いの宿でも取るか?」  稀一郎は思わず足を速めます。来年も、なんて。次を期待していいのだろうかと、ますます高ぶってしまいます。 「それなら再来年は、屋形船を貸し切ってやる。花火見ながら抱き潰してやるからな」 「恐ろしいやつだ」  無理だとわかっていながら、威勢のいいことを言いました。毎日がその日暮らしで、金を貯める暇も、貯める金もありません。そもそも、来年にはもう東京にいないかもしれないのです。何かあれば、田舎へ逃げていく可能性だって大いにあります。  しかし今の彼らにそんなことは関係ない。ただ手を繋いで、二人の家へ向かって、全力で駆けていくだけです。 

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