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第23話 告白
朝食も食べず、布団も片さず、着物だけ着てだらだらと過ごしていました。時刻は既に昼前です。蝉の声がやかましく響き、これに被せるように人々の生活音が聞こえます。
「おい」
朔之介が口を開きます。朔之介はうつ伏せに、稀一郎もその隣で寝そべっていました。この部屋だけ、外の喧騒から免れた別世界のようでした。
「どうして急に、やる気になったんだ」
朔之介が問います。稀一郎は腕枕をしたまま向き直りました。重たい動きをしているのは腰が痛いからです。最中は興奮しすぎて気にならなかったものの、冷静になってみると全身が痺れて痛いのです。日常生活では使わない筋肉を酷使したせいです。
「どうしてって、お前が言ったんじゃん。好きなら寝るはずだって。俺は俺の気持ちを行動で示しただけだ。お前に証明したかった」
「証明って、なんの証明だ」
「お前が大切だってこと」
稀一郎が朔之介の腰に触れると、咎める目が向きました。
「ちがっ、そういうつもりじゃなくて!さすがにもうしねぇよ、俺だってもう何も出ないし。お前も腰痛いって言ってたから、せめてもの償いっつうか」
朔之介は顔をしかめながらも、黙ってされるがままになります。稀一郎の手は朔之介の背中から腰を往復し、撫でさすりました。引き締まった尻が色っぽい、とひそかに思いました。
「そのわりにはめちゃくちゃやってくれたな」
稀一郎が咄嗟に謝ると、冗談だと言って軽く笑います。
「あれくらいで、おれにはちょうどいい。お前はあんな風におれを抱くだろうなとずっと思ってた」
稀一郎は反射的に尻を揉んでしまいました。またもや咎める視線が刺さります。
「ごめん、いやほんと、するつもりはないからね」
「当たり前だ。これ以上したら死んじまう」
稀一郎は曖昧にうなずいてお茶を濁し、再度背中をさすり始めます。
「でも、やっぱりちょっと乱暴だったよね。お前が泣いてやだって言うのに、それ見てたらますます抑えられなくなってさ」
「お前はいつもそうだ。夢中になると周りが見えなくなる。加減ってもんをわかってない」
稀一郎が謝るのと同時に、でも、と朔之介が続けます。
「そこがお前のいいところだ。直情的で手が早いが、それでおれは何度も救われてるんだ」
「お前……」
稀一郎はしみじみと言います。
「俺のことそんな風に思ってたのかよ」
照れくさかったのか、朔之介はうつ伏せのままうつむいて、腕の中に隠れてしまいました。
「いらんことを喋りすぎた」
「ええー?もっと聞かせてほしいのに」
稀一郎は朔之介の背中に乗り上げるようにして抱きつきました。足を絡めてじゃれつくと、朔之介が鬱陶しそうに言います。
「お前こそ、おれのことどう思ってるんだ。どうして急にやる気になったのか、結局よくわからんぞ。何か決定的な出来事があったからじゃないのか」
「さっき言っただろ」
「もっと具体的にだ」
「それは……」
下手なこと言わなきゃよかったと思いました。稀一郎は言いよどみます。
以前指摘された通り、稀一郎は当初から朔之介に死んだ妹を見出していました。指摘されるまで自覚はありませんでしたが、朔之介のことが気にかかって仕方なく、無性に恋しく感じられたのも、おそらく妹の面影があったためでしょう。愛着できる相手を現世にほしかったのかもしれません。
しかし、それはあくまで切っ掛けに過ぎません。稀一郎にとってはこれが初恋で、だからこそ親愛との区別がつかなかったのです。妹が死んでからも、稀一郎にとって最も大切な人は妹だけでした。この不動の順位を塗り替える人物が現れるなんて、しかもそれが同い年くらいの男だなんて、まさか思いもしなかったのです。
恋と知っても、一線を越えることについては依然怯えがありました。妹の面影があったことも無関係ではないでしょう。しかし、そのことが朔之介を苦しめるのなら怖気づいている場合ではないと奮起したのでした。朔之介に死んだ妹を見出してはいるがそれだけに留まらないということを、自分自身に証明したかったのです。
「だってお前、俺が好きだって言ってもあんまり信用してなかったろ。好きなら寝るはずなのにそうしないから、ずっとちょっと疑ってただろ。でもそんなんじゃねぇって、お前のことちゃんと好きだぞって、わかってもらいたくて。……妹の代わりになんかしてないって」
最後の方、呟くように言いました。いつのまにか顔を上げた朔之介は目をぱちくりさせ、神妙な面持ちで稀一郎を見つめています。
「お前、そんな風に思ってたんだな」
朔之介がしみじみと言います。稀一郎は真っ赤になって目を伏せました。傷んだ髪をくしゃくしゃと掻きむしります。
「さっきの仕返しのつもりかよ。すごい恥ずかしい」
朔之介は、くっくと細かな声を上げて笑いました。
「それで、どうだったんだよ。おれの抱き心地は?」
「見りゃわかんだろ。最高だったよ。もう、めちゃくちゃによかった。お前すげぇかわいいし、たまんなかった。時が止まればいいのにって本気で思ったよ。一生このままでいたいって何回も思った」
今度は朔之介が赤面する番でした。
「今日が俺の人生の最高潮だって言われたら余裕で信じるね。今も俺、お前のことぎゅっとしたまま一生を終えたいとか思ってる。おかしいよな」
「……恥ずかしいやつ」
「全部ほんとのことだぜ」
朔之介の肩が震えているのに気づき、稀一郎は顔を上げました。朔之介は腕の中に表情を隠し、耳が髪の隙間から見えるだけです。
「照れてるの?」
「うるせぇ。こっち見んな」
「ん……恥ずかしいついでに言っちゃうけど、俺もずっとお前に救われてたんだ。あの頃も今も、お前がそばにいてくれるだけで息がしやすかった」
「そんなの……」
くぐもった声がよく響きます。
「お前がいなきゃ、おれはとっくに死んでた」
「安心しろよ。お前を泣かすやつがいたら、これからも俺が殺してやる」
「お前な、そんなだから手が早いって言われるんだぜ」
朔之介が呆れたように笑います。稀一郎は何だかたまらなくなり、朔之介を無理やり抱きしめました。逃げる素振りもないのに、ぎゅうぎゅうと強い力で抱きしめます。朔之介の匂いで肺を満たします。
俺はお前の全部になりたかった。お前の心に隙間があるのなら俺が全部埋めてやりたい。切ない夜も憂鬱な朝もいらない。お前を悲しませるもの、苦しませること、俺が全部取り除いてやりたい。お前が望むならどんなことだってしてやりたいのに……
「俺、お前の全部になりたかったんだ」
稀一郎は、薄紅に色付いた耳を噛んで囁きました。朔之介は一瞬息を呑んだ後、ぽつりと呟きます。
「おれはお前になりたかった」
同じ人間になりたかったんだ、と。
*
翌朝、稀一郎は通常通り仕事へ向かいましたが、お昼前に帰宅しました。ちょうど、朔之介が屋根に上って布団を干しているところでした。
「どうしたんだよ。仕事は?」
「いやぁ、はは……首になっちゃって」
驚いて屋根から飛び降りた朔之介に、稀一郎は気まずそうに話します。
「一昨日殴ったやつが、実は俺より数か月先輩だったらしくてさ。親方は上下関係に厳しいし……俺が辞めることになった」
「お前……」
朔之介も苦々しい顔で立ち尽くします。
「だから手が早いと言うんだ。なんですぐ手が出るんだ。戦わずして勝つという言葉を知らんのか」
「おま、そんな怒んなよ」
「怒っちゃいねぇが、金のことは面倒みるから心配すんなって豪語してたくせに、一体どうするつもりなのかと思ってな」
朔之介は鼻を鳴らし、とげのある口調で皮肉ります。稀一郎は縮こまって言いました。
「だっ、でも、お前のためだろぉ?大体あっちが悪いんだぜ。俺のもんに手出すから」
「おれはお前のもんになった覚えはない」
「もうー、そういう意味じゃなくって、めおとになったってことだろ。金ならまだ大丈夫だよ。掛け持ちの仕事が他にもあるし、そっちをもっと増やせば全然……」
稀一郎がまだ喋っているのに、朔之介は視線を外して明後日の方を見ます。やっぱり怒っているのか、と稀一郎は焦ります。金のことは面倒みるから心配するなと言ったのは事実なのです。
「なぁ、ごめんって。ほんと、これからはすぐに手が出ないように気を付けるからさ」
稀一郎が肩を叩くと朔之介は殊更うつむきます。その表情を見て、稀一郎は吹き出しました。ほんのりと羞恥に染まって、決まりの悪そうな何とも言えない顔です。
「何笑ってやがる」
「え、あ、ごめん。お前があんまりかわいいんで、つい」
「ついもクソもねぇ」
夫婦という語が琴線に触れたのだろうかと稀一郎は思いました。それと、まだ言葉にしてもらっていませんが、態度から察するに体を売って稼ぐという選択肢は朔之介の頭から抜け落ちているようです。
「とにかく心配すんな。すぐに別の働き口を見つけるし、しばらくは配達と荷運びと……便所の汲み取りでもして凌ぐか」
「……おれだって、働ける。新聞配達くらい、おれにもできる」
朔之介はむっつりと眉を寄せながら、落ち着きなく髪を弄り回します。
「無理しなくても」
「できるって言ってんだろ」
熱い風が風向きを変え、颯々と駆け抜けました。稀一郎は涼しげな笑みを浮かべ、深くうなずきました。
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