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七 ①
あれから数日。ようやく涼に会う事の出来た響は、二人で屋上に来ていた。今朝早くにメールが入っていて、教室に鞄を置くなりすぐさまここへ来た。
「涼、珍しいな、こんなに早く」
柵に肘を付き、景色を見る涼は返事をしない。
屋上から見える景色は山と森ばかり。ぽつりぽつり民家があり、少ない道路の側には段々畑。反対側には店や娯楽の集まる街が見えるが、こちらはのどかな田舎の風景しか見えない。
響は涼の隣まで来て、もう一度声を掛ける。
「涼……その、話があるんだけど」
涼はふうっと息を吐き、隣の響を見ないまま問いかける。
「俺も話がある。だからここに呼んだんだけど……響お前、神様と結婚すんのか」
響はびくりと肩を揺らし、体を強張らせる。
「そう……だよ」
「分かってんのかお前、あの世に行くんだぞ。じいちゃんから聞いた。巫女は時が来れば昇天して、常世で生まれ変わるんだって。それって、死んじまうって事だぞ!」
「そうなんだ」
けろりと答える響に、涼は初めて顔を合わせ胸ぐらを掴む。
「そうなんだじゃねーだろ! ちゃんと聞いてたのか? 死ぬんだぞ!? おじさんとおばさんには何て言うんだよ、神様と結婚するから死にますとでも言うのか!?」
顔を近付け怒声を浴びせる涼の顔を見上げ、響は静かに声を落とす。
「……オレ、ずっと前に死んでた筈だから。それが今まで保留になってただけだ」
「やっぱり……聞き間違いじゃなかったんだな」
「うん、そう……死にかけたんじゃなくて、本当は死んだ。息も止まった、心臓も止まった。目の前が暗くなって、死んだのが分かった。だからあの世で、死者の列に並んだ」
涼は掴んでいた手を放し、静かに話す響を悲痛な面持ちで見る。
「……その時、約束したんだ。大人になったら、結婚するって」
「そんなガキの頃に交わした約束、破ったっていいだろ!」
「出来ないよ。だって、その約束のためにオレ、今まで生きてきた。助けてもらったんだ。それに……」
顔を伏せ、僅かに頬を赤らめる響を見て、涼はもう堪らなかった。今響の頭には誰が描かれているのか、その胸を占めているのは誰なのか。
「そんなに神様の事が、あの男の事が好きかよ」
俯いたままそうだとぽつりと肯定する響。涼は拳を握りしめてごくりと唾を飲む。
「……男じゃねーか」
「……そうだよ。オレも煌隆……神様も男だよ」
「おかしいだろ、そんなの……」
そうだ、おかしいと罵ってくれ。
響は顔を伏せたまま願う。
わけが分からないと、変だと、男が男を好きになるなんて気持ち悪いと。
ちらりと見上げた涼の表情は軽蔑のそれではなく、痛い程に悲しそうだった。
何で、そんな顔を。
「……こんな事になるんだったら、もっと前に友達やめてりゃ良かった」
いいんだそれで。友達をやめてくれて構わない。男を好きになる気持ちの悪い奴の事なんて早く忘れてしまっていいから。
「俺はさぁ、お前とずっと一緒に居たかったから、ずっと黙ってたんだぞ」
「え?」
「変に思われないように、空閑ちゃんの事を好きなフリしてさぁ。お前に嫌われるぐらいならずっと友達で居た方がいいって、そう思ってたのに」
何を、何を言ってるんだ、涼。それじゃまるで、まるで……
「お前が笑った顔も、怒った顔も、呆れた顔も、ずっと俺だけのものだったのに……それなのに、あんな、いきなり出てきたわけわかんねぇ男に、全部持ってかれるなんて……我慢出来ねぇよ! 俺は、俺はずっと前からお前の事が好きなのに! なぁ響、何であいつなんだよ……! 女なら、我慢出来たのに!」
すがり付く涼は今にも泣き出しそうで、震える腕は響を引き寄せようとして、やめた。
涼は響から離れ、柵を握りしめる。
「馬鹿みたいじゃねーか……神社に案内した俺はただのキューピッドで、最初から俺が入る隙なんて無かったんじゃねぇかよ」
響は小さく震える涼の背に、思いきり抱き付いた。一瞬涼はびくりと震え、すぐに冷たい声が返ってくる。
「……なんだよ、同情か? 神様に怒られんぞ」
「オレも、好きだったんだ、涼の事ずっと好きだったんだ」
同じだ。嫌われて友達の関係さえも終わってしまうくらいなら、飲み込んで隠しておきたかった。涼が楽しげに笑う姿を壊したくなかった。
今になって涼もそんな風に想っていたなんて分かったって、もう遅い。
「けど……けど今は、オレ煌隆が好きなんだ、もうどうしようもなくて、止まらなくて、堪らないんだ! ごめん、ごめん……もっと早く……涼に言えば良かった…」
涼は振り向き、響を押し離す。
「何泣いてんだよ……ったく、言うなよな、そうゆう事は。手ぇ出したくなるじゃねーか」
涼は響の頬に流れる涙を指で拭き取り、握った手を軽く引き、顔を近付ける。響はぐっと目を閉じたが、その先は無かった。
そうっと目を開くと、涼は少し頬を染めて頭を掻いている。
「涼、あの」
「やめとこ。天罰で死にたくねぇし」
「え?」
響は知らない事だが、過去、駆け落ちした巫女と守りの者の末路は悲惨なものだったらしい。命も短く、子も宿らず、果たして二人は幸せだったのか。
自分は良いけれど、我儘で響を巻き添えには出来ない。
「……悪かったな、お前にそんな事言わせて。そんな顔させて。俺ってガキだからさ、黙ってお前らの事見守る事なんて出来なかったんだ」
本当は松山老人に釘を刺される前から、響に打ち明けるつもりは無かった。けれど、響が自分以外の男を想い幸せそうに頬を染める姿を見たら、我慢出来なかった。堰を切って溢れた想いは、止まらなかった。一度だけでいい、一瞬だけでいい、笑顔だけじゃなく、その心も自分だけのものにしたかった。
けれど響は言ってくれた。涼が神社に連れていくまでは、響の心はずっと涼のものだった。
それだけでもう良いと、自分に言い聞かせる。
「へっ……折角両想いだったのに、お前はもうすぐ神様の嫁に行っちまうんだな」
もう、例えここで響の気持ちが変わっても、一緒になれない事は分かっている。
「涼……オレ、もう少しこっちに居られるかな」
「やめとけよ、余計未練タラタラになるだけだからさっさと行けって。もう充分だから。てか、こうりゅうって誰」
響ははっとした。つい名前で呼んでいた。
「あ。その、神様?」
「へー……変な名前」
「そんな事言っていいのかよ、守りの者のくせに」
「まだ修行中だから良いんだよ」
呆れて笑う響を、涼は少し躊躇って抱き締めた。ぐっと力を込めると、響も返してくれた。
なぁ、これくらい許してくれるだろ。あんたは響を連れてっちまうんだ。余計辛くなるだけかも知れないけど、後は全部くれてやるから、今だけ、今だけは……
涼は響の額を撫で、薄く開いた唇に自分の唇を重ねた。
今までで一番近い響の体温、少し震える唇の感触、触れ合った胸に伝わる鼓動、この瞬間を、一生忘れない。
「……天罰下るかもよ?」
「そんときゃそん時だ!」
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