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だが、辰巳やフレデリックが言う”男前”とは、外見だけの事ではなかった。この二人はどちらも互いに、相手の内面も外面も、立場も含めて惚れ込んでいる。
「嫌味だなんて酷いね。今日だって、辰巳と過ごしたくて我儘を通したっていうのに」
「足手まといになんなきゃいいがな」
「無茶さえしなければ、今日のようなケースでは辰巳の方がクリスよりも役に立つと僕は思ってるんだけどな」
「どうだろうな。だが、もし俺が下手こいても他には当たんなよ?」
辰巳が怪我をした時のフレデリックの行動は予測がつかない。怪我をさせた当人に向えばマシだが、時と場合によっては一緒に仕事をするクリストファーに向く可能性を秘めている事に辰巳は気付いていた。
それに、部屋でフレデリックが言っていたように、フレデリック自身に向くのも辰巳は御免だ。
「これだけは約束しろフレッド。もし、俺が怪我してもそれは俺の落ち度だ、それ以外はねぇからな。そうじゃねぇなら、俺は部屋に戻る」
「………分かった。約束する。その代わり、もし辰巳が傷付くような事があったら、僕は相手を絶対に許さない」
「どうせ私怨じゃ始末すんだろぅが」
「それでも、簡単に死ねるのとそうじゃないのとでは大違いだと思うけれどね」
クスクスと笑いながら言うフレデリックの言葉は真実だ。辰巳が怪我を負ったなら、相手は拷問されると決まったようなものである。マフィアというのは恐ろしいと、そう思う辰巳だった。
フロアを一周し、前方の螺旋階段を上がり上部のバルコニーへと場所を移した辰巳とフレデリックである。大きなガラス窓とは反対側の、入口の上にバルコニーはなく、一周する事は不可能だ。
「こりゃあ、逆側だったら面倒だよな」
「そうだね。フロアは人が大勢いるだろうから、それよりは早く移動できるとは思うけれど…」
「ここに上がってくる連中もいんだろ?」
「委任式までの間は、そう多くないと僕は予想してるけれど」
こういった式典などは人脈作りの場でもある。招待客の中には、今回ターゲットにされたような金蔓になりそうな人物や政治家、その他諸々の金持ちが集まっているようなものだ。それを放置してバルコニーから海を眺めるような人間は、そう多くない。
「どっちにしても委任式までにとっ捕まえなきゃならねぇなら、そう心配も要らねぇか」
「そうだね。出来る事なら、マイクの晴れ舞台に水は差したくない」
「俺も、お前が制服着て踊ってっとこは、ゆっくり眺めててぇよ」
ガラス張りの壁の前を通り、後方の螺旋階段の上部に差し掛かったところで二人は白い制服に身を包んだマイケルと遭遇した。今日、フレデリックからマイケルへと正式にこの船のキャプテンの座が譲られる。それは、マイケル本人には知らされていない事だった。
関係者から新しいキャプテンへのサプライズなのだという。
辰巳とフレデリックは一度、マイケルの悩みを聞いている。それは些細なものではあったが、マイケルの仕事に対する姿勢がとても真摯なものであるという事は、部外者の辰巳にも理解できた。
それに、フレッドが弟と呼び、クリストファーの恋人であるならば、辰巳にとってもそれは家族同然だ。些か真面目過ぎてどう絡んで行けばいいのか悩む辰巳ではあったが。
『フレッド。今日は随分と派手だな』
『そうかな? 似合ってるだろう?』
そんな遣り取りをしていれば、クリストファーが螺旋階段をふらりと上がって来て、四人で簡単な打ち合わせに入った。
式典中の無線での遣り取りは、元より日本語で行うと決めている。それは、この船の乗客には日本人の方が少ないからに他ならない。会話を聞かれても理解できる人間は少ないだろう。
辰巳とフレデリックたち四人は受信機を二つ持っている。一つは、セキュリティースタッフと共通のもの。それと、四人だけで会話をするためのものだ。音声は四人とも両方聞くことが出来るが、共通の無線で話せるのはフレデリックとマイケルの二人のみである。辰巳とクリストファーの音声は、四人にしか聞こえない。
要はフレデリックが司令塔の役割を果たす。マイケルは、式典中はゲストへの対応が主だった仕事だ。
簡単な打ち合わせを済ませてしまえば他にする事もなく、バルコニーの手摺に肘をついてフロアを見下ろしていた辰巳の隣にクリストファーが並んだ。フレデリックは、マイケルと話をしているようだ。
やがてフロアに招待客が入り始めたのをきっかけに、マイケルが螺旋階段を下りて行った。それに手を振るクリストファーを横目で見遣って、この二人の付き合い方はどんなものだろうか…と、そんな事を辰巳は思う。
フレデリックとはまた違った系統だが、マイケルも男らしい整った顔立ちをしている。白い制服がよく似合っていた。
クリストファーはどちらかというと幾分か女性的な美しさを持っている。その外見からは、自らトラブルに首を突っ込みたがるような性格だとは誰も思わないだろう。
マイケルとクリストファーは、対照的だ。外見も男前と美人なら、性格も真面目と不真面目である。
一度フレデリックにこの船のクルーには見目がいい人間しかいないのかと辰巳は聞いたことがあったが、こういった客船では容姿も重要な要素の一つだと聞かされて納得したものである。確かに、才能が同じなら見栄えが良いに越した事はない。
手を振るクリストファーに軽く片手を上げるマイケルは、頗る凛々しかった。ちらりと、辰巳がクリストファーを見遣る。
「まるで王子様とお姫様みてぇだなお前ら」
「はん? どっちが姫だ?」
「そりゃあお前、見送る方が姫だろぅ」
「ははっ、それはいい」
そんなくだらない遣り取りをしていれば、不機嫌そうなフレデリックの声が二人の耳に流れ込んだ。英語で告げられるそれは、どうやらクリストファーに向けたものらしい。
『クリス。僕は機嫌が悪い。それなのにキミはいつまでそこでマイクを眺めているつもりだい?』
『はいはい。仕事はきっちりするさ』
『向こうが呼び鈴を鳴らす前に見つけ出すんだ。いいね?』
『相変わらず無茶を言う…。会場にどれだけの人がいると?』
どうやらマイケルの前以外では、素で通すらしいフレデリックの態度に辰巳が苦笑を漏らす。仮面を被ったり外したり、器用なものだと辰巳は思う。
『出来るか出来ないかは聞いてない。やれ』
『はいはい。仰せつかりましたよお兄様』
フランスで辰巳がクリストファーに言われたような言葉をさらっと本人に投げつけるフレデリックに、まったくうちの嫁は恐ろしいと再確認した辰巳である。おどけたように返すクリストファーも、それには気が付いているようだった。
程なくして、クリストファーも辰巳の肩を叩いて階段を下りて行った。フロアは、クリストファーが担当する。辰巳は、上部のバルコニーから会場全体を見渡して獲物を探すという訳だ。
運よく会場の招待客の中に白い服を着ている者はいなかった。まあ、例えいたとしても相手が着替えに戻りたくなる程度には、フレデリックに白いスーツは似合っていたが。ともあれフレデリックの他には、制服を身に纏ったマイケルくらいのものである。これも、計算通りだった。
おかげで対象の居場所は辰巳の位置からでもすぐに見つける事が出来た。のだが…。そのビジュアルは思わず辰巳とクリストファーが溜め息を吐きたくなるような残念なものだった。
だが、一番の被害者はフレデリックである。ハゲでデブ。それに浅黒い肌は、いくら仕事といえども投げ出したくなる程度には不細工だ。
こんな顔の奴はイタリアンマフィアに殺されて魚の餌にでもなんでもなってしまえばいいとすら思うフレデリックは、誰もが認める面食いである。ツラが気に喰わないというそれだけの理由でフレデリックに葬られた人間は、そこそこいるから恐ろしい。
ふぅ…と、小さく息を吐いて、フレデリックは辺りに視線を走らせた。なにも対象をじっと見ている必要はない。最低限行動を監視すればそれでいいと、自分に言い聞かせる。
そんなフレデリックの耳に最初に流れ込んだのは、やはり予想通り辰巳の声だった。
「クリス。フレッドの右前方、グレーのスーツの男だ。獲物かどうかは知らんが、腰に呑んでる」
「くくっ、よくやった」
「確保はセキュリティーに任せる。クリスは対象正面、辰巳はターゲット付近上部で待機」
「弾除けか…?」
フレデリックの指示に不満を漏らしながらも移動するクリストファーの姿を、辰巳の視線はしっかりと捉えている。クスクスとフレデリックの愉しそうな笑い声を聞きながら移動する辰巳は、自分の見つけた男が銃を抜かないかどうかだけが心配だった。
クリストファーが弾除けとそう言うのなら、フレデリックが対象に張り付いている以上、最悪の場合は盾になる可能性があるという事だ。
そんな辰巳の心配をよそに、最初に見つけた男は無事確保され、セレモニーの開式は宣言された。
キャプテンを務めるマイケルが挨拶を終えたその時、唐突にクリストファーの声が無線に流れ込んだ。
「ミシェル、気を付けろ。あの女がそっちに向ってる」
その声に辺りを見回すマイケルと、すぐ傍に、先日会議室で行われたクリストファーとマイケルのカップル成立発表会などという場の空気をぶち壊した女の姿が辰巳からは見えた。
同時にフレデリックの舌打ちが聞こえてきて辰巳が視線を移すと、フレデリックの目の前に妙に落ち着きのない男が居る事に気付く。すぐさま螺旋階段を下る辰巳の耳に、イヤホンから声が流れ込んだ。
「辰巳、すぐにホールへ。僕の目の前にひとり、怪しい男が居る。クリスはそのままマイクを頼む」
だが、螺旋階段の影にどう足掻いても式典に不似合いな表情と雰囲気を持つ男を発見した辰巳である。
相手は三人。一人確保しているのなら、残りは二人だ。フレデリックと、今辰巳の目の前に居る男を確保してしまえば仕事は終わる。
「フレッド、お前そっち自分で片付けろ、俺はもうひとりの相手しなきゃなんねぇからよ」
「本当に…キミには参るね辰巳。是非ともお願いするよ」
フレデリックの声と同時に男に気付く気配があって、辰巳はそのまま距離を詰めた。捉えようとした腕を抜けられ、背後に回ったその時。左腕に奇妙な衝撃を感じて飛び退る。しくじったと、そう思った時には遅かった。
距離を取った瞬間に悲鳴が聞こえて、招待客の誰かに気付かれたかと辰巳は一瞬焦りを覚える。だが、それはどうやら違うようだった。声が遠い。
間をおいてじくじくと痛み始めた腕にちらりと視線を走らせれば、ばっさりと裂けた服地の下に肉が見えている。腕を伝って床に滴り落ちる血液に、思わず辰巳は顔を顰めた。随分と抉られてしまったものだと、そう思う。
と、そんな事を思っていれば、男の背後に白い服が見えて辰巳は目を見開いた。数メートルの距離を一瞬にして縮めたうえに、辰巳に気を取られている男の首をあっさりと締め落としたのはマイケルだった。
まさかマイケルに助けられるとは思ってもいなかった辰巳だ。明らかに何か格闘技でもやっていそうな動きに、正直な話驚いた。フレデリックやクリストファーのようなマフィアならいざ知らず、マイケルは普通に雇われている一般人だと聞かされていたのだ。
礼を言おうと口を開けば、マイケルは指を一本唇の前に立ててみせた。そのまま無線を使ってセキュリティーとメディカルスタッフを要請する。すぐ後にフレデリックの不安そうな声が聞こえてきて、辰巳は大丈夫だと無事を告げた。
間もなく到着したメディカルスタッフにその場で応急処置を施された辰巳は、合流したフレデリックと共に船内にあるメディカルセンターで処置を受ける事となった。
部分麻酔で腕を縫合されている間も辰巳のそばを離れずにいるフレデリックは、まさに顔面蒼白。さすがに辰巳も申し訳なく思う程である。
「そんなに心配しなくても大丈夫だフレッド。掠っただけだ」
「掠っただけでそんなに縫う訳がないだろう!? どうしてキミはそう僕に心配ばかりかけるんだ…」
「悪かった」
処置を終えた辰巳は左腕を吊るされてメディカルセンターを後にした。マイケルの委任式にもまだ余裕はある。
船室へ戻って制服に着替えるフレデリックを眺めながら、辰巳はぼんやりと煙草を吸った。鎮痛剤のおかげか、腕はそう痛くはない。辰巳の着替えは、すでにフレデリックの手によって済まされていた。
同じ白い服でもやはり制服姿のフレデリックの方が男前に見えるのは何故だろうかと、そんな事を考える辰巳である。恋人という欲目だろうか。
さっさと着替えを済ませたフレデリックが、ソファに座る辰巳の足元に膝をついた。
「痛くないかい?」
「ああ」
「なるべく早く戻るから、それまで安静にしてるんだよ?」
「あん? 何言ってんだお前、俺も行くからな」
フレデリックが制服で優雅に踊る姿が見れると楽しみにしていた辰巳である。たかが片腕を吊っているくらいで部屋で大人しくしている気などない。
それに…と、そう呟いて辰巳は立ち上がると、右手をフレデリックに差し出した。
「踊ってくれるんだろう?」
「っ…辰巳…」
「まあ、右腕一本じゃまったくサマにはなんねぇけどな」
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