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第3話:バルトロメオ3

 ユキは一昨年産まれた牝山羊で今回が初産(ういざん)なのだが、彼女の母親はユキが乳離(ちばな)れする頃に旅立っている。  出産で産道を傷つけたのか何日も尻を湿らせる程度の出血が続き、ようやく回復してきたと思った矢先に力尽きたように天に召されてしまった。  ユァンにとっても、あれは後悔の残るお産だった。  それから残されたユキは一緒に飼われている群れには馴染まず、飼育担当のユァンを親代わりに育った。  夜も寝付くまでついていてやらなければ彼女は鳴くのだ。  そんな状況の中、ユァンは宿舎のベッドより、山羊小屋の飼葉の上で眠ることの方が多くなってしまった。  それがユキにとって、いいことなのかどうかは分からない。だがユァンはユキを突き放せなかった。  懐かれてかわいいのもあるが、理由はそれだけではなかった。  幼くして親を亡くし、集団からも外れがち。そんなユキの姿が、ユァンにはどうにも自分に重なって見えてしまうのだ。  彼女には保護と愛情が必要だ。  ユァンも十二年前、ちょうど十歳の時に母親を亡くし、ここ聖クリスピアヌス修道院に引き取られていた。  その上ユキは、か細い体つきやミルク色の毛並みまでユァンとよく似ている。  ユァンはこの国に住む多くの人とは違う白い肌、時折ミルク色にも見える淡い金色の髪をしていた。  瞳は太陽が射し込めば、薄水色に光る。  見るからに北方の異民族を思わせる容姿なのだ。  二十一世紀もそろそろ半ばに差しかかる今でも、東洋の外れにあるこの島国では民族意識が根強い。そんな中、特殊な容姿に生まれたユァンは、物心ついた頃から「鬼の子」「いかにも売女の子だ」と後ろ指を差されて生きてきた。  けれどももはや、そんな過去はユァンにとってどうでもよかった。教会では皆が等しく神の子だ。  ユァンは唯一愛してくれた母親と引き替えに、この聖クリスピアヌス修道院で信仰と安らぎを手に入れた。  聖クリスピアヌスは世界でもっとも多くの信徒を持つケイ教の修道院で、信徒たちからは〝最果(さいは)ての楽園〟とも呼ばれている。  すべては神の(おぼ)()し。この世界に悲しむべきことなど何もない。  ところが今夜訪れた嵐は、安らぎと祈りの修道院に不穏な影をもたらしていた。  *  真っ暗な空に閃光が走り、百五十年前からここにあるという高い時計塔を照らし出す。  普段は優雅に佇む赤褐色の三角屋根が、今は血塗られたロンギヌスの槍先に見えた。  思わず見上げて足を止めると、菜園の泥をまとわりつかせたゴム長靴が重くなる。 (ぼんやりしている時間はないんだ!)   ユァンは横風にレインコートのすそを煽られながら、礼拝堂の外回廊へ飛び込んだ。

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