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第4話:バルトロメオ4

 強い風と雨音が遠ざかり、ユァンはそこで息をつく。雨脚は相変わらずだが、建物の陰になっているこの場所には静けさが取り残されていた。  月の見えない今夜、外回廊は真っ暗だが、この建物のことは知り尽くしている。ここでの生活が長いユァンに、灯りは必要なかった。  辺りの気配を窺いながら回廊を駆けていく。時折吹き込む雨のせいで、足下の石畳は湿っていた。  雨と、濡れた土の匂い。一昨日からの長雨で微生物が活性化しているのだろう、大きく息を吸うとカビ臭さが鼻につく。  石畳を駆ける自分の足音が、やけにかん高くこだまして聞こえた。  それから回廊を折れ、建物の裏手に回り込んだ時、ユァンはゴム長靴の底がぬるりと滑るのを感じた。  なんだろう、違和感を覚える。普段なら石畳が濡れていても、長靴を履いていればそう簡単に滑らないのに。  そこで闇に慣れた目が、足下にあるものを捉えた。黒い水たまり。この鉄臭い液体は……。  背筋がぞっと反応する。  それは血だまりだった。 (なんで血が?)  反射的に横へ逃げたところで、壁際に転がっている大きな黒いかたまりにかかとが当たった。  よく見ると血だまりはそこから繋がっていて……。 (これ……人!?)  あまりの驚きに、ヒュッとのどが鳴った。 「だっ、誰? 生きてるの!?」  ユァンはしどろもどろに口走りながら、倒れている人物のそばにしゃがみ込む。  視線で体をたどって頭部を探し当てると、修道服のフードから覗く毛虫のような太い眉と、対称的に薄い頭髪が目に入った。 「ペティエ神父!?」  石畳に当たっている顔半分が血に濡れていた。  そこに打ち付けたのだろうか。だが、ただ転んだだけとも思えない。 「……神父さま……ペティエ神父さま……」  震える声で話しかけるが反応はなかった。生きているのか、暗がりでは顔色すら分からない。 (どうしよう、死んでる!? 意識を失っているだけ?)  胸の鼓動が恐怖に振り切れそうになる中、ユァンは脈を取ろうと彼の手首を探した。  触れるのも怖いが、思い切ってその手を取る。  ところが手首に触れても、あまりに動揺していて脈が見つからなかった。  その上、濡れた手首はひんやりしていて生気を感じ取ることができない。 (どうしよう……)  あせりと緊張に吐き気をもよおす。 (駄目だ、先に人を呼んだ方が!)  神父のそばにうずくまっていた体を起こし、後ろを振り返ったその時だった。  壁際に並ぶ石柱に隠れるようにして、人が立っているのが目に入った。  見てはいけないものを見てしまったんだと直感する。  黒い影が、驚きに身構えるように何か柄の長いものを振りかぶり――。 (この人がペティエ神父を――……)  逃げなければと思うのに、恐怖に足が凍りついてしまった。  頭上に振り上げられたものは農作業用の(くわ)だった。  鍬の先についていた、黒い液体がしたたり落ちる。  もう逃げられない、そう思った瞬間――。 「馬鹿、死にたいのか!」  真上から叱りつけるような声が飛んできてハッとなった。

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