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第71話:獅子と牝山羊14
どんなにつらいことがあっても、山羊たちがユァンを休ませてくれない。生きものの命を預かる責任が、ユァンを仕事に向かわせた。
バルトロメオを求める気持ちを引きずったまま山羊を追い、修道院の西側にある牧草地までやってきた。いつもの牧草地は山羊たちの好きな若いネズミムギが減っていて、それが育つまで少し休ませなければならない。それで今日はこちらへ来たわけだ。
到着するとすぐ、四つ足の美食家たちは美味しそうな葉を探し、四方へ散らばっていった。
丘の影になるこちら側の牧草地は、あまり日当たりがよくない。湿気を含んだ空気を吸い、ユァンの口からは自然とため息が出るのだった。
振り返って見上げる丘の上は、十字架の並ぶ墓地になっている。ユァンは山羊たちがそちらに迷い込まないよう気にしながら、木陰にある岩の上に座った。それから久しぶりに本を開く。
以前は山羊たちを見張りながら時々、古い詩や小説の本を開いていたが、バルトロメオが来て以来そういう時間はなくなっていた。山羊だけでなく彼からも目が離せないということもあったが、それより一緒にいて話をするのが楽しかったからだ。
けれど本を読む時間もユァンは好きだ。現実の悩みから少しの間だけ解放してくれる。
しおりを挟んでいたところから数ページ遡 り、読みかけの本の内容を思い出そうとした。ところが……。
ページから顔を上げた時、山羊が一頭見えなくなっていた。それ自体はよくあることだが、いなくなったのがこの春産まれたばかりの子山羊だったから不安になる。
子山羊たちをこちらの牧草地に連れて来たのは今日が初めてだ。二頭ともまだユキのそばを離れようとしないので、大丈夫だと思っていたが……。
姿が見えないのは雄の方だ。少年らしい冒険心が目覚めてしまったのかもしれない。知らない場所を闇雲に進み、どこかへ迷い込んでしまっから自分では帰って来られなくなる。
「坊や~!」
ユァンは本を置き、子山羊を探し始めた。
坂の上から周囲を見渡し、背の高い草を掻き分け。すぐに見られるところは全部見た。ところが子山羊は見つからなかった。
この短時間では丘の反対側までは行っていないだろうから、考えられるとすれば墓地の中だ。そう思い、ユァンは墓地を囲む柵に子山羊の入れるほころびがないか探し始めた。
そんな時だった。
(……あれっ?)
近づいてくる足音が聞こえた気がした。蹄 の音ではない、人が草を踏む音……。
墓守をしている老人の顔が頭に浮かんだ。
彼は気難しい人で、迷い込んだ子山羊に墓地を荒らされれば怒るかもしれない。そして子山羊は穴掘りが大好きだ。
(まずい……)
ユァンは足音の主を警戒しながら子山羊を探す。
(坊や、早く出てきて~!)
そこで目の前の藪 がザッと動く。
「ヒッ!」
悲鳴をあげるユァンの前に現れたのは、背が高く、たくましい体つきをした修道士……。
「……えっ、バルト!?」
「ユァン、お疲れ」
彼の口の端から覗いた犬歯がキラリと輝く。
ユァンは思わず駆け寄り、バルトロメオの腰に抱きついた。
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