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第72話:獅子と牝山羊15

「おっと、熱烈な歓迎ぶりだな!」  そう言いつつ彼が抱きしめ返してくれなかったのは、腕の中に迷子の子山羊を抱いていたからだ。子山羊がユァンの顔を見て、驚いたように耳を立てる。 「ああ、会いたかった」 「こいつを探してたんだろ? 会えてよかったな」  バルトロメオが子山羊をユァンの腕に渡してきた。 「この子にも会いたかったけど、バルトにだよ。本当に、何があったの?」  ユァンは子山羊に怪我がないか確認し、またバルトロメオを見上げた。子山羊はピンピンしている。 「心配させて悪かった。新しい上司がなかなか俺を放してくれなくてさ。こんなにモテたのは久しぶりだ」  牧草を食む山羊たちのところに戻りながら話を聞くと、バルトロメオはあれからユァンではなく、別の修道士の下に付くことになったそうだ。  当然その彼は司教の指示で、バルトロメオを監視している。だからといって視察という名目で法王庁から来ているバルトロメオを、拘束監禁するわけにもいかず……。今のところはユァンとニアミスしないよう気を配りながら、引っ張り回されているだけのようだった。 「ユァンが心配しているだろうから伝言だけでもって頼んでみたんだが、それはすっかり無視されて、昨日はずっと街での奉仕活動にこき使われてた」  バルトロメオは肩をすくめる。 「奉仕活動って、家のない人にパンや毛布を配る?」  それはここの修道士たちが十数名規模のチームで行っているのだが、冬場や災害時には人手がいくらあっても足りずに、ユァンも何度か手伝いに駆り出されていた。 「ああ、それだ。俺は馬車馬かって程働かされたが、いろいろ話が聞けて案外楽しかった」  あの仕事を楽しいと思えるバルトロメオが、ユァンにはまぶしい。パンや毛布を配ろうとしても不審がられたり、邪険にされたりすることもよくあって、内気なユァンに向いている仕事とはいえなかった。  しかし、おそらくそれはユァンに限った話ではない。修道院に引きこもっている修道士が社会と関わりを持つのには、それなりの勇気と忍耐が必要だということだ。 「昨日はパンが飛ぶように売れてさ。それで今日は朝からまたパンを焼くことになったからパン工房で働いてたんだが、一人になった隙にパンを石窯に任せて逃げてきた」  バルトロメオが胸元から、半分に切ったフランスパンを取り出して見せる。 「それでこれはユァンに貢ぎ物」 「ありがとう……でもこれ、奉仕活動で配るやつだよね……」 「ユァンを喜ばせるのも奉仕活動だろ」  ユァンは抱いていた子山羊と交換する形で、表面が豪快に()げたフランスパンを受け取った。いま石窯に任せてある残りのパンが、こんなふうに焦げてしまわなければいいのだが……。 「あ、でもよく僕がここだって分かったね?」  ユァンは焦げたパンから顔を上げる。西側の牧草地に来たのは久しぶりだ。 「いつものところ、若い草がだいぶ減ってただろ。だからあそこを探し回るより、こっちだって思った」 「さすが。バルトももう立派な山羊使いだ」  褒めると彼は、子山羊を高く持ち上げて喜んだ。 「だろ~? どこかにさ、ここみたいな土地を見つけて、二人で山羊を飼って暮らすのはどうだ?」 「え……そんな夢みたいな話」  ユァンは苦笑いで返す。  個人でこんな広い牧草地を持てるとも思えないし、山羊の乳を売るだけでは、とても生活が成り立たない。そもそも修道士は財産が持てないのだ。  好きな人と自分と山羊だけの、幸せな生活。あるとすれば修道士としての生を全うしたあと、訪れる天国でのことだ――。

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