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夜景を見下ろす大きな窓が売りの高級レストラン。その窓際の席に須藤雪人(すどうゆきひと)と辰巳匡成(たつみまさなり)は向かい合って座っていた。
予約を取るのも困難と言われるほど人気の店ではあるのだが、この日はフロアに他の客の姿はない。そう、雪人が貸し切ったのだ。
「お前よ…飯だっつうから来てやったが…」
「食事だろう?」
「誰が店貸し切れっつったよ?」
目の前の皿に乗った食材を切り分ける匡成の手元でナイフがキラリと光った気がするのは気のせいだっただろうか。低い声で囁かれる会話を聞いている者は一人もいない。
そもそも匡成などは、こんな店に四十七にもなる男が二人で来ること自体理解が出来ない。こんな場所は、女を連れてくる場所だ。
「仕方がないだろう。俺とお前が頻繁に会ってるなんてマスコミにバレたら面倒な事になる」
「あぁあぁそりゃそうだろうよ。だから外で会おうなんて言い出すなって言ってるんだ阿呆」
どちらも悪びれる様子なく言い合う雪人と匡成である。友人としての付き合いが長い故に、この二人が恋人らしい雰囲気を纏う事はあまりなかった。表向きは。そもそも雪人の言う通り、こんな関係がバレようものなら大騒ぎになりかねないのだ。
だが、どうしたことか次の瞬間、雪人は手を止めて僅かに俯いた。その顔がほのかに朱に染まっている。
「でも…今日は…」
「ああ? 今日がなんだってんだ」
「っ…やっぱりいい…」
俯く雪人に匡成が眉根を寄せるのも致し方ないと思うが、今日は特別なのだ。雪人は今日のために今週から今後一カ月以上のスケジュールを調整して時間を空けていた。匡成の、誕生日だから。
だがしかし、案の定というかなんというか。本人は誕生日である事など気にしていないどころかすっかり忘れている様子で、いつ切り出したものかと雪人は迷っていた。
そんな雪人の悩ましい様子を、匡成はじっと見つめ、そしてふっ…と小さく嗤うと口を開く。
「はぁん? なるほどねぇ…」
揶揄うような口調におずおずと顔をあげれば、ニヤニヤと愉しそうに嗤う匡成の顔。匡成は、いつもこうだ。
「今日は何だ? 言ってみろよ雪人」
「っ……気付いたんだったらいいだろう…」
明らかに気付いているのに言わせたがる匡成は悪趣味だと思う。下手をしたら最初から何もかも分かっていて、雪人を揶揄っている可能性だってある。
だが、それが辰巳匡成という男で、簡単に引いてくれるような男でもないのは雪人が良く知っていた。案の定。
「駄目だ。ちゃんと言え」
「……匡成の……誕生日…だから…」
今にも消えてしまいそうな声で言うのが精いっぱいだった。雪人とて年甲斐もないという自覚はあるのだ。恥ずかしくてどうしようもない。
だが、次の瞬間、温かな手に頭を数度ぽんぽんと軽く叩かれて、雪人は増々顔をあげられなくなる。
「お前は可愛いな、雪人」
「ッ……」
どんな顔で言っているのかと気になるものの顔をあげられない雪人の前で、匡成は食事を再開した。俯けた視線の先で器用にカトラリーが動き、食材を口許に運んでいく。どうしてこう、匡成の前ではすべてが上手くいかないのだろうと、雪人は頭を悩ませた。
「匡成…誕生日おめでとう」
「ありがとよ。つかお前、明日仕事あんのか」
「午後からだが」
「んじゃ、この後家来い」
「それは駄目だ。部屋を取ってある」
「ったくお前は…」
呆れたように言う匡成に雪人が問いかける。
「駄目だったか?」
「構わねぇよ」
さらりと言う匡成に、雪人は嬉しそうに微笑んだ。
だがしかし、恋人として付き合い始めて数週間。匡成は須藤雪人という男の恐ろしさをまだ知らない。
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