2 / 20

02

 部屋へと足を踏み入れた瞬間、匡成は絶句した。  入ってきたドアへと続く廊下を振り返れば、そこには雪人が立っている。それはもう、頗る男前な笑顔で。  腕を組み、肩で壁に寄り掛かるその姿はまさに帝王。この世で手に入れられないものはないという自信に満ち溢れた態度と表情は、だがしかし事実でもある。 「お前…これ…」 「気に入らないのなら新しい部屋を用意させるが」 「そうじゃねぇだろ…」  さらりと言い放つ雪人に、匡成はよろりと壁に手をついた。そのまま、天を仰ぐ。  壁一面の大きな窓から首都東京の夜景を見下ろし、異常なまでにだだっ広い部屋に鎮座した風呂には真っ赤な薔薇の花びらが浮かび、これまた異常なほどの大きさを誇る寝台の上には匡成や雪人でさえも抱えるのが精一杯だろう大きな薔薇の花束。  座り心地の頗る良さそうなソファと対のテーブルには、キャンドルの明かりが可愛らしいケーキを照らしている。その横に蓋の開いた小箱があって、シルバーのリングがキラキラと輝いている始末だ。  そして駄目押しとばかりに、右手にあるグランドピアノからは美しい音色が流れ出ていた。そう、生身の人間が弾いている。  だがしかし、卒倒しそうなほどにこっ恥ずかしい思いをしている匡成をよそに、雪人は至極真面目な口調で言った。 「白い薔薇の方が良かったか? いや、匡成は青とか黒薔薇の方がやっぱり似合うな…」 「そうじゃねぇって言ってんだろぅが…」  低く唸る匡成は、どうにか気を取り直してピアノを奏でている奏者を部屋から追い出した。 「なんだ、ピアノが気に入らなかったのか」 「そういう問題じゃあねぇんだよ雪人オイコラ」 「うん? 弦楽器の方が好きだったか?」 「く…っ」  どこまでも噛み合わない会話に匡成が歯を喰い締める。一度本気でぶん殴ってやればこいつの目は覚めるのだろうかと胡乱気な顔を向けてみても、そこには純粋に悩む雪人の姿があるのだから手に負えない。  はあっ…と、盛大な溜息を洩らした匡成は諦めてソファにどっかりと腰を下ろした。文句を言って新しく部屋を用意されては堪らない。 「匡成…」  先ほどまでとは打って変わり、不安そうな声で名を呼ぶ雪人は頗る質が悪いとそう思う。 「ったくお前はよぉ…」 「機嫌を損ねたのならすまない…」  しゅんと項垂れる雪人を手招いて、匡成は煙草を咥えた。ふぅー…と、勢いよく吐き出した紫煙にキャンドルの明かりが揺れる。隣に座る雪人の肩を抱いて背もたれに身を預ければ、本人の口からは慌てたような恥ずかしそうな声が零れ落ちた。  雪人の肩を抱いたまま、匡成は天井を仰いだ。 「あー…本気で憤死すっかと思っただろうが」 「っ…すまない…やっぱり部屋を変えさせよう…」  そう言って携帯電話を取り出す雪人の手を、匡成が容赦なく叩き落す。 「阿呆。もういいっつーの」 「しかし…」 「しかしもクソもねぇんだよ。ホントお前は天然だな」 「お前がそんなに怒るとは思わなかった…。女性はみんな喜んでくれたんだが…」 「俺は男だ馬鹿が」  吐き捨てるように言う匡成は、しかも極道である。馬鹿みたいに気障ったらしい演出など、喜ぶ筈がないのだ。だが、それでも雪人が真面目に匡成を喜ばせようとしている事だけは事実だった。  小さなプレートが乗ったケーキを雪人と二人でつつく。そのすぐ横に置かれた小箱に、何度目になるかも分からない溜息を吐いて匡成は苦笑を漏らした。 「しかもお前…指輪ってなぁ…」 「車にしようか悩んだ」 「阿呆か」 「ヘリのが良かったか?」 「く…っ」  喰い締めた歯の隙間から、匡成は辛うじて声を吐き出した。 「いいか雪人、よく聞けよ。お前が俺を喜ばそうとしてんのは分かってんだよ。だがな、方向が真逆向いてんだ分かるか」 「真逆…?」 「あぁそうだこの馬鹿。俺を喜ばせてぇなら演出もプレゼントも要らねぇんだ。お前自身がねだってみせろ」 「ッ!!」  顔を真っ赤にして俯く雪人に、匡成は低く嗤う。 「まあ、馬鹿みてぇに的外れな事するお前も嫌いじゃねぇよ」 「匡成…」 「くくっ、せっかくお前が用意した部屋だ。女が喜ぶってんなら、そこで抱かれて喜ぶのはお前だろ」  僅かに身じろぐ雪人の肩を、匡成の手はがっちりと掴んだままだった。くつくつと喉を鳴らしながら、匡成は肩を抱いたままの雪人をソファに囲う。 「どうした雪人。俺を喜ばせてくれんだろ?」  今にも唇が触れそうな距離で囁けば、雪人は顔を真っ赤にして小さく頷いた。その口から、消え入りそうな声が零れ落ちる。 「……匡成の…女に……してくださぃ…」  ぱしゃりと、深紅の花びらが散乱した水面が波打つ。  雪人は夜景を見下ろす大きな窓に額を擦りつけていた。ひんやりとしたガラスが肌に心地よくて、思わず小さな息が漏れる。 「ぁ…ぁぅ…」 「どうした? もっとケツ振ってみせろ。イけねぇだろぅが」 「っは…い…」  後ろに立つ匡成の手でぴしゃりと尻を打たれ、雪人は再び腰を動かした。窓に縋りつき、雄芯を食んだ尻を叩かれながら腰を振る。情けないほど無様な姿の自分に雪人は酔い痴れていた。  匡成に支配される感覚が、途方もなく気持ちいい。  普段は人の上に立ち、意のままに采配を振るう雪人である。”帝王”というその言葉は、まさしく事実であったし、その影響力は計り知れないほどだった。それなのに。  三十年前、雪人の皮を剥いだのは匡成だ。死にそうなほど恥ずかしい思いをさせられ、屈辱的なおねだりを強要されて、雪人は匡成のものになる悦びを知ってしまったのである。忘れられる筈などなかった。 「っぅ…あッ、まさな…りっ、イッ…てっ」 「あん? イって欲しけりゃもっとケツの穴締めて腰振ってみせろや」  パンッ…と、小気味のいい音を響かせて尻を打ち据えられる。酷く屈辱的な痛みと音に、雪人は全身を侵されていく。幾度も尻を叩かれ、呼応するように雪人は腰を振りたくった。 「あっ、あぅっ…もっと…ッ、匡成っ、もっと叩いてぇ…っ」 「ハッ、ケツ叩かれんのがそんなにイイか?」 「んっ…イイっ、…気持ちぃ…れふ…っ」  涙を流しながら、雪人は堪らず自身の屹立をぎゅっと握る。そうでもしないと、吐き出してしまいそうだった。その様子に、匡成が嗤う。 「何してんだお前」 「ぅっ…イき…そぅで…押さえ…あぁああああッ」  言ってる途中でガツンと突き上げられて、雪人の口から悲鳴のような声が漏れる。手の中で、屹立がビクビクと脈打つのが分かった。自分で腰を振っていた時とは比べ物にならないほど気持ちが良くて、つま先から電流が流れたように快感が全身を支配する。 「くくっ、お前は良く出来た犬だ雪人。勝手にイかなかった褒美に抉ってやるよッ」 「ひあッ、ああぅッ、あがっ…あッ、待っ…まさなっ、ましゃなぃっ、イっちゃ…ッ」 「イけよオラッ、注いでやっから懇願しながらイってみせろッ」 「あぐっ、あっ、あぁッ、まさ…なっ、ナカに…っ、注いでッ、あっ…女にひてぇッ」  肉が同士がぶつかって音がするほど激しく突き上げられて、雪人は堪らず両手で窓に縋りついた。  叫ぶように願望を口にすれば、奥の壁に熱い液体を注ぎ込まれる。本当に女にでもされたような悦びを感じながら、雪人もまた欲望を吐き出した。  水面に浮かぶ深紅の花びらを白濁が汚すさまに、雪人はゾクリと躰を震わせる。それは、紛れもない嫌悪だった。  ずるりと雄芯を引き抜かれた蕾から滴り落ちた白濁が腿を伝う。それが途轍もなく悲しくて、雪人は自身の後孔へと思わず指を伸ばしていた。涙が止まらなくなる。   「ふっ…うっ…まさ…なりぃ…ぅぅっ」 「お前……」 「女に…生まれたかった…っ」  一度口に出してしまえば止まらなくて、匡成を困らせるだけだと分かっているのに雪人は泣きながらその場にくずおれた。バシャリと飛沫をあげて揺れる水面にぽたぽたと小さな波紋がいくつも落ちる。 「そ…したらっ…匡成の隣に居れたのに…。匡成の子供が産めたのに…っ」  視界に入る平らな胸が恨めしかった。ずっと隠し続けてきた感情は一度溢れたら止めようもなくて、匡成に背を向けたまま雪人は泣きじゃくった。  匡成は、何を思っているのだろうかと、そう思う。気持ち悪いと、遠ざけられるだろうか。それとも馬鹿にして笑うだろうか。どちらにせよ、はいそうですかと受け入れられる筈がないのは雪人自身が一番よく分かっていた。  雪人とて悩み続けていたのだ。三十年前のあの晩から。  不意に水面が揺れて雪人は肩を震わせる。詰られる覚悟はできていても、いざとなると全身が竦み上がるほどの恐怖を感じた。 「なあ雪人」 「……はい…」 「お前それ、いつからだ?」 「っ……」  黙りこくっていれば、匡成が溜息を吐くのが分かる。ともすれば精神科にでも行けと、そう言われかねない事は雪人にも分かる。だが。 「まあいいや。聞いたところでどうしようもねぇ。それよりお前、ツラみせろや」  言いながら匡成の手で肩を掴まれ、ぐいっと引き寄せられる。抵抗する間もなく雪人は浴槽の縁に腰掛ける匡成の脚の間に捕らわれていた。思わず視線を彷徨わせていれば、頭上から声が振ってくる。 「いいか雪人。俺が隣に置きてぇのはお前で、男だ女だ関係ねぇよ」 「ぅ……でも…再婚するって…」 「あー…、そりゃあお前言っただろぅが」  苦々しい口調で言った後で、匡成がふと黙る。何せ匡成のひとり息子である辰巳一意(かずおき)は、男と付き合っている。その尻拭いをしてやろうと、匡成は再婚するつもりでいるのだ。それは、雪人も以前から聞かされていた事だ。  おずおずと視線をあげれば、そこには真面目な顔をした匡成がいた。 「なあ雪人よ。お前が息子に跡目譲ったら、籍でも入れっか」 「え…?」 「まあ、籍入れたところで戸籍上じゃ親子になっちまうがな。それでもよけりゃ娶ってやんよ」  あっさりと言い放つ匡成の優しさに、雪人はまた泣きそうになる。どれだけ、自分はこの男を困らせれば気が済むのだろうか。 「匡成…そんな無理をしてくれなくていい…」 「ああ? 孕みてぇっつって泣いた野郎がつまんねぇ意地張ってんじゃねぇぞ阿呆。ほっぽり出されてぇのかてめぇ」 「ぃ…ゃ…、嫌だ…」  堪らず雪人が腰にしがみ付けば、髪を乱暴に掴んで離される。仰け反らされた反動に声が漏れた。 「ぁぅ…っ」 「てめぇは俺のなんになりてぇんだ、ああ?」 「っ……女にして…匡成っ」 「だったら大人しく言う事きいてりゃいいんだよ」 「はい…」

ともだちにシェアしよう!