9 / 11
第六章『 春怪の解式 』 - 02 /03
「――落ち着いた?」
「……はい……すいません」
そしてその後。
先生のお蔭もあって、僕の涙はそれから徐々に引いていった。
そして、目元にひりひりとした感覚を覚えながらも、僕はやっとまともに対応できるようになったのだった。
そこで僕は、先生に弱々しく謝罪した。
だが先生は、そんな僕の頭をそっと撫でて優しく言った。
「謝らなくていいんだよ」
僕は、それで更に申し訳なくなり、今一度謝罪し、少し目を伏せてから先生の顔を直視しないようにしつつ深呼吸をした。
実は今。
背丈の低い椅子に収まった僕の前で、先生は、文字通り僕の目の前で膝をつくようにして腰を下ろしている。
つまり、先生と僕は今。
とても近い距離で向かい合っているのだ。
それゆえ、とてもではないが、そんな至近距離で先生と目を合わせられるわけがない。
既に、僕の心臓も先ほどとは別の感情で痛いほどに鼓動している。
だが、そんな僕の胸の内を知らない先生は、先ほどと同じように穏やかな口調で僕に言った。
「何があったのか……聞かせてくれる?」
もちろん、そんな問い掛けに落ち着いて答えられるような状況ではない。
だがきっと、これを逃せばもう二度と、こんな風に先生を傍に感じられる事はないだろう。
僕はそう思い、それと同時に、先生が心から投げかけてくれるその言葉と気持ちにしっかりと答えたいとも思った。
それゆえに決心した。
もしもダメなら、その後の事はその時に考えればいい。
だから、ちゃんと話そう。
逃げるのはもうおしまいだ。
僕は強くそう思い、震える声を制しながら、先生の目を見た。
そして、先生へと、一世一代の言葉を紡ぎ出した。
「先生……」
「うん」
僕の言葉を受け止めてくれる先生の優しい声は、何故だか僕の背中を押してくれるような気がした。
それゆえに僕は、そのまま先生の目を見つめ続け、言葉を紡いでいった。
「先生、僕……、――先生の事が好きなんです」
先生は、そんな僕の告白を聞くと、少しだけ目を見開いた。
だが先生は、一切の戸惑いを見せぬ様子で、僕から目を反らす事はなかった。
僕はそんな先生の瞳に射られながら、更に思いの丈を音にしてゆく。
「ずっと……、ずっと好きでした。大学で先生と初めて会ってからずっと。――そして、今もまだ……、今もまだ僕は、先生の事が好きで……、何年たっても、どうしてもこの気持ちは捨てられませんでした。――でも、先生にとって、これは迷惑かもしれません。だから、受け入れてくれなくても構いません。恋人になって欲しいなんて高望みもしません。でも、ただ……ただ、どうか、これからも先生の傍にだけは居させてください……。どうか……どうかお願いします……。特に何をして下さらなくても、この気持ちを受け入れてくれなくても構いません。……ですからどうか――、お願いします……」
僕は、そうして心に溜め込んできた気持ちを言葉にするうち、また涙が零れそうになり、言葉を紡ぎながら、それを必死に押しとどめた。
今泣いてしまうのは卑怯だ。
例え泣き落としが目的でなかったのだとしても、今泣いてしまえば、優しい先生の事だから泣き落としになってしまうかもしれない。
だが、絶対にそうはしたくない。
(耐えなきゃ……今は絶対泣いたら駄目だ…)
そして、言葉を紡ぎ終えた後。
僕はそんな気持ちから両手を握りしめ、少しだけ顔を伏せるようにして涙を堪えた。
すると先生は、
「そうだったんだね」
と穏やかに言い、僕の髪を優しく撫でた。
そして、更に続けた。
「ねぇ、瑞尊 君。教えてほしい」
「……?」
僕は、そんな先生の言葉に緩く首をかしげた。
すると先生は、柔らかく苦笑して続けた。
「瑞尊君は、俺の事を恋愛対象として好きだって思ってくれてるんだよね」
「……は、はい」
僕はぎこちなく頷いた。
先生はふむ、と言って更に続けた。
「じゃあ、好きだなって思う相手に対して、傍に居たい、傍に居て欲しいって思ったり、触れたいって感じるっていうのは、恋愛対象として好きだと思ってると考えていいのかな」
「……えっと」
そして、思いもよらないその問いに、僕はその場で少し考えた。
実際のところ、恋愛感情というのは凄く解釈が難しいと思う。
もちろん僕は、自分の恋愛感情がどのようなものかを知っている。
だから、今の僕が先生へ抱いているのは、間違いなく先生への恋愛感情だと言える。
だが、先生はどうだろう。
現状で、先ほど先生が並べた条件だけで判断するとなると、僕の回答としては――多分そうだろう――というものになる。
つまり、今並べられた条件だけでは断定する事は難しいという事だ。
もちろん欲を言えば、それは恋愛感情です、と言ってしまいたくなるが、先生は僕にとって大切すぎる人だ。
そんな先生からの問いならば、僕はしっかりと答えを見出して提示したい。
その為僕は、先生にもう少し尋ねてみる事にした。
せっかくの告白シーンだというのに、これではムードがなくなってしまうとは思うが、ここは僕もドラマ性など気にしてはいられない。
何せこれは、大切な人から僕に提示された、僕にしか答えられない問いなのだから。
だからこれは、ただの告白シーンではない。
これは僕が、先生の心をしっかりと紐解くシーンなのだ。
「先生がそう思う相手ならば、少なからず大切な人ではあると思います……。――ただ、人間は家族などにもそういった気持ちを抱く事もあったりするので、それだけではなんとも言えないですね。――それで、もう少し掘り下げてなのですが、僕に抱かれる気持ちの中で、ご友人やご家族には抱かない気持ちはありますか……? ――えっと、その……えっと、今は、ぼ、僕だけに、抱く…………感情……と、か………………」
しかし、勢いに任せて掘り下げようとしたものの、追及の為の問いで流石に恥ずかしくなってしまった僕は、尻すぼみのような形で言葉を切った。
そして僕は、言葉を切るなり、頬が熱くなるのを感じながら、少しばかり顔を伏せる事にした。
すると先生は、そんな僕をまた優しく撫でて言った。
「ううん、そうだな……、君だけに……、君だけに、か………………ううん」
そして、そう言いながら少し困ったようにした。
僕は、そんな先生の様子に慌てて言った。
「あ、あの、な、なかったらいいんです!」
なんて思い上がった事を訊いてしまったのだろうかと、酷く恥ずかしくなったからだ。
(こんな僕に、そんな特別な気持ちを抱いてもらってるわけないのに……)
そしてそんな事を思い、僕が妙な質問をしてしまった事を後悔していると、先生はまたゆったりとした口調で言った。
「あぁ、違うんだ。すまない。そうじゃなくてね……。――いや、なんと言うか、そういう気持ちは、うん。――考え始めると沢山あってね」
「………………」
先生は、そう言うなり気恥ずかしそうにするどころか、本気で困っているという様子で苦笑した。
そんな先生の言葉に、僕の時は止まってしまった。
あまりにも強すぎる喜びを感じてしまった時。
人間は本当にこうなってしまうのだ。
僕は既に何度かこの感覚を体験してきた。
だが今回は、その中でも最大の破壊力を誇っていた。
「へ、へぇと……」
それゆえに僕は、――え、えぇと――とすら言えなかった。
だが、対する先生は、やはり酷くマイペースなのか、それとも酷く鈍いのか、先ほどと同じように穏やかに言った。
「でもそうか。――という事は、その人だけに抱く感情があると、やっぱりそれは恋愛的な感情の可能性が高くなるという事かな? ――例えば、あぁ、――独占欲とか」
あまりの破壊力に、僕の脳が家族総出で旅行に出てしまったらしく、僕は思考停止状態であったのだが、先生の口から“独占欲”という言葉が出た事により、その衝撃が強すぎたのか、心臓が跳ねたついでに脳も旅行から戻ってきてくれた。
そうしてやっと言葉を発せられるようになった僕は、
「そ、そうですね。……その、ど、独、占欲、は……れ、恋愛にはつきもの、なので……」
とだけ言い、後は脳内で先生の“独占欲”をひたすらリピート再生していた。
すると先生は、なるほど、と言って更に続けた。
「そうか。――じゃあ、触れたいだけじゃなく、抱きしめたいと思うのは?」
僕は、先生が“触れたい”、“抱きしめたい”という言葉を発した瞬間。
本当に死んでしまうかもしれないと思った。
そしてそれと同時に、――先生の心を紐解くのだ――などという使命感に駆られていた数分前を誓いを後悔した。
また、大好きな人から欲求をストレートに言葉にされるというのは、こんなにも心臓に悪いのだな、というのを身をもって思い知ったのであった。
早く結論を出さなくては。
もうこれだけ揃っていれば恋愛感情でいいだろう。
いいに決まっている。
もう耐えられない。
少し前に思っていた“耐えられない”とは正反対ではあるが、こちらはこちらでやはり僕は死んでしまうだろう。
早く終わらせよう。
そして僕は、フラフラになりながらもなんとか言葉を紡いだ。
「そ、それも、もし特別な感情と一緒に抱いている気持ちであれば、恋愛感情の可能性が高くなります……。せ、先生は、それ以外にも、た、沢山あるという事なので、多分、その、僕が言うのもなんですが……先生のその気持ちも、ちゃんと、れ、恋愛感情なのだと、思います……」
「……そっか」
僕はもう、先生の顔を一切見られていないが、先生は恐らく酷く安堵した表情をしているのだろう。
間近で聞こえたその声から、僕はそう思った。
そしてそんな中、先生が嬉しそうな声で言った。
「じゃあ俺も、恋愛感情から、君の事を好きだって思っているって考えていいんだね……」
(もうどうにでもして下さい……)
そんな先生の言葉に、僕はそう思った。
もう耐えられないどころの騒ぎではない。
だが恐ろしい事に、そう思うのはまだ早かった。
「そうか。――なら俺も、ずっと君の事が好きだったんだね」
「………………へ?」
僕は予想外どころではないその言葉に、反射的に先生を見た。
先生は、微笑みながら続ける。
「最初は熱心な生徒だなって思って、俺の研究や民俗学に対して興味を持ってくれているのが嬉しかったんだ。――でも、徐々に君の顔を見るのが楽しみになってる自分に気付いてね。――不思議だなって思ってたんだ」
(ありえない……)
もしそれが本当なら、先生も僕と同じくらいの期間、片想いしていた事になるのではないか。
ともだちにシェアしよう!