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第11話

「スマホ見ながらニタニタ笑ってるのはどうかと思うぞ。 あんなの、単に不気味な奴かリア充で周りが見えていないかのどちらかだ」 「どっちも違いますー。 そのネギください」 「はいよ」  昼休憩でサラリーマンがごった返す中、カウンターで豊と並んで腰掛けた天は彼側にしかないタッパーを指差す。  ランチは値の張るお洒落なところよりも、天はうどんやそば、牛丼屋等々の庶民的でリーズナブルな店を好んだ。  言わずもがな豊の奢りで、気のおけない仲になりつつあるのだから我儘を言ってもきっと許されるのであろうが、今日は馴染みのそば屋にやって来ている。  老夫婦で切り盛りするそこは、天の入社時からのお気に入りの店だ。 「真面目な話。 何かいい事あったのか?」  先程スマホを片手にニヤついていたらしい天を、豊はやけに気にした。  それほど嬉しそうにしていただろうか。  授業中であるはずの潤が、いくつもクエスチョンマーク付きのメッセージを寄こしてきて笑ってしまったが、それは「嬉しい」とは少し違う。  なんでニヤニヤしてるんだよ、と問われて何となく気恥ずかしく、慌ててスマホをポケットにしまったのであれから潤に返信出来ていない。  連投してきた返事を返さぬまま、図らずも既読スルー状態である。 「いえ、眼鏡見付かって嬉しいだけです」 「あぁ、そうだったな。 交番に付き添ってくれた男が居るんだっけ?」 「そうなんですよ。 俺一人だったらそんなの思い付きもしなかったです。 ……あっ!」 「何? どうした?」  メッセージの内容を反芻していた天はある事を思い出し、そばを咀嚼して飲み下すと豊をチラと見て箸を置いた。 「すみません、今週末も例の飲みがあるとしたら、キャンセルさせてください」 「は? なんで?」 「その方にお礼したいって言ったら食事に誘われたんです。 土曜日」  どうせならそこで礼をしようと思っている、……ここまで言うと豊は複雑な表情を浮かべて水を飲んだ。  ストレス発散が出来る天との恒例飲み会は、豊も相当に楽しみにしているらしく残念そうだった。  キャンセルを不服とし、まさか天にとって一番恐れている事が起きやしないかと、沈黙が続く最中で出汁に沈むネギを見詰める。  数分押し黙ったあと、豊は一度小さく溜め息を吐いた。 「……じゃあ俺との飲みは金曜行こ。 今週は特に急ぎの案件もないし、土曜日出勤入ってるなら有休使って構わないから」 「えぇっ? 用事もないのに休めないですよっ」 「金曜に飲んだら翌日の仕事しんどいんじゃないの? そろそろだろ、アレ」 「……うっ、まぁ、……そうですけど……」 「それに、約束があるなら休みにしていた方が動きも取りやすいと思う」 「……それは……」  アレとはもちろん、発情期の事だろう。  約三ヶ月周期でそれがやって来ると言ってから、豊までその時期を気にしてくれるようになった。  勤める会社では、基本は週休二日制なのだが交代で二〜四名の土曜出勤がある。  もれなく今週は天がその担当だった。  そこで有休を使ってもいいと言わしめるほど、天との飲み会を優先したいという事か。  そこまでしなくても……と唖然とし、完全に箸の止まった天に「まぁ食えよ」と促す豊のこれは、優しさなのか何なのかよく分からなかった。 「ていうか、お礼なんてする必要ないと思うけどな。 拾い主ってわけでもないのに」 「いえ、貰った恩は倍で返しなさいって母さんから言われてるんで」 「……義理堅いな」 「でしょ。 だから時任さんにも恩返ししたいです。 今は何も出来てないですけど、これからまだまだ仕事も頑張ります」 「いい心掛けだ。 無理はするなよ」 「はい」  天の性を知る母は、これからが大変なのだから恩を受けたら人の倍は返すよう心掛けなさいと口酸っぱく言っていた。  その教えは天の中できちんと留まっている。  危うく職も希望も失うところだった窮地を、運良く豊に救ってもらった天は彼の言う事は何でも聞く、くらいの精神でいる。  有休云々も、豊がそれほどまでに天との語らいを楽しみにしてくれているのなら、お言葉に甘えてその通りにしようと決めた。  老夫婦の慌ただしい働きぶりを横目に、止まっていた箸を再び握る。  この時、さらに追加でメッセージを寄こしてきていた潤への返信を、天は定時で仕事を上がるまですっかり忘れ去っていた。

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