21 / 132
第21話
潤は場所を変えようと立ち上がり、散歩がてら植物公園を大回りして出口へと向かった。
そこから少し歩いたところにあるレトロな喫茶店に慣れた様子で入店すると、お決まりの席なのか窓際の一番奥のテーブルに素早く陣取った。
ここでも潤のおすすめのブレンドコーヒーをオーダーしてもらい、娯楽を知らない天はすっかり彼のプランに嵌っている。
シンプルな純白のソーサーに乗ったコーヒーカップから、思わず瞳を瞑ってすんすんと匂いを追いたくなるほどの芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
砂糖とミルクも舌の肥えている潤に任せ、程よくまろやかになったコーヒーを一口飲んでみた。
「ん~……美味しいぃ……」
「そう? 良かったぁ。 天くん苦いのから甘いのまで結構いけるね」
「うん、あんまり拘らないね。 缶コーヒーはいつも微糖だけど」
「そういえば僕に買ってくれた缶コーヒーも微糖だったね」
「あぁ、そうだね」
「あの時、天くんが探してたのってコンタクトじゃなくて眼鏡だったんだもんなぁ。 笑っちゃったよ」
「潤くん得意の人間観察の対象になってたんだよな、俺」
「そうそう」
出会った日の事を思い出した二人は、眼鏡を探していたという事実に少しばかり笑い合った。
まばらにしか客の居ない、静かな空間はひどく落ち着く。 どこか成熟した大人が嗜むようなプランを考えてくれた潤には感謝しかない。
カラオケだボーリングだアミューズメントパークだと、若者らしい遊びに付き合わされていたら早々に帰宅コースだった。
天は楽しい場も賑やかな場も決して嫌いではないが、慣れていない。
しかもいつどんなタイミングで性がバレるか分からないという恐怖が常につきまとっていて、抑制剤を服用中の今、その不安がいつも以上にある。
そろそろ昼の分の薬を飲まなくてはならない時間だが、今回は着席と同時にマスターらしきダンディーなおじさまからお冷やを頂いたので、朝よりもミッション難易度が低い。
向かいで優雅にコーヒーカップを手に微笑んでいる潤がβであると判明し、大きな謎は残ってしまったものの、天が思っていた以上に和やかで有意義な休日を過ごせている。
今日の日がお礼とは名ばかりで、これまでのプランすべての支払いを潤がしている事だけは解せないが。
「───凄いなぁって思うけどなー」
「…………うん?」
「あ、さっきの話ね。 Ωじゃないと出来ない経験が出来るんだよ? それを認めない世の中の方が間違ってる。 と、僕は思う」
「なんだ……その話か。 俺はそんなに簡単な問題じゃないと思うよ」
「そうなの?」
「だってな、一定の周期で発情期がきて、その度に職場とか周りの人に迷惑かけてしまう事がある。 ほら、さっき言ってた騒動もそうじゃん? その前後も何かしらの体調の異変があるし、まず番云々も意味が……って、教科書に色々書いてたよな」
取ってつけたように軌道修正した天は、気紛れにカップを手にして潤から目線を外す。
危ないところだった。
天はうっかり、自分の事のようにΩの苦悩を話していた。
「……そうだね。 そういう勉強も全員が一度はしてきてるのに、迷惑だとか悪口言うのが僕には理解出来ないよ。 性ってそんなに重要かな?」
「この時代に産まれたからには重要なんじゃない」
「そういうものなの?」
「…………そういうもんだよ」
潤はΩへの偏見どころか、かなり理解ある発言を繰り返してくれているのでついポロポロと本当の事を言ってしまいそうになる。
天は、初めて出会った。
これほど直球でΩへの理解を示してくれた者は……。
「フェロモンってどんなにおいなんだろ」
「え……?」
「Ωにしか出せないフェロモンがあるんでしょ? それはαだけじゃなくてβも感じる事が出来る、だから注意しなさいって習ったよ。 天くんはフェロモンのにおい嗅いだことある?」
「に、おい……フェロモンは感覚で感じるって聞くけど……? 性欲と直結する神経に」
「うわぁ、それ本当? 天くん、試しにちょっと出してみてよ」
「いや俺はβだから無理だっての」
「あ、そっか。 でも天くんならβでも出せちゃいそうだよね。 すごく可愛いもん」
「……言っとくけど、可愛いは褒め言葉じゃないぞ」
褒め言葉だよ、と笑う潤の言葉に、悪気が一切無いのは彼の目を見ていれば分かる。
フェロモンを出してみて、などとまたもや直球な発言にいつもなら心拍数が上がっていたところだが、何故だか冷静でいられた。
正直、嫌な気はしなかった。
バラす気はサラサラ無いけれど、万が一潤にΩだと知られてしまっても天が悲しくなるような事態にはならないであろう安心感が、言葉からも表情からも伝わってくる。
禁断の恋をしているという潤は、性にも寛大で天よりも純熟した考え方の持ち主だ。
そんな潤は、おやつにとパンケーキを一つオーダーした。 フォークを一つしか頼まず、天にだけそれを寄越してニコニコと微笑んでくる。
またもや妙な錯覚に陥ってしまいそうなほど、その笑顔はあまりにも温かかった。
ともだちにシェアしよう!