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第88話
射精によって天のフェロモンが薄まった事で、潤の興奮が鎮まっている。
「嫌だと思ったら抑制剤を打って」と切なく漏らしていた彼からは想像もつかないほど、潤の性別を受け入れた天を優しく抱き締めていた。
「俺が潤くんのこと何番目に好きか答えたら、潤くんも答えてくれる?」
天に覆い被さった状態で、潤はその表情を見せることなく小さく頷いた。
怖いのなら、促すだけだ。
こういう事にまったく免疫が無いというのに、自分より大柄な年下の男の髪を撫でて先導してやらなければならない日がくるとは、数カ月前なら考えもしなかった。
潤のマフラーを握り締めて欲情していた姿を見られ、「挿れていい」とまで口走った手前、射精して若干の賢者モードに入った天はこの状況がひどく照れくさい。
けれど、天がきちんと言葉に出さなければ、潤はきっと本音を語ってくれない。
天がそうであったように、αらしくない潤も誰にも打ち明けられなかった葛藤があったのだ。
天はもう、β性になりたいとは思わない。
潤にも、そうであってほしい……。
「潤くん、俺……二番目でいいなんてウソだ。 一番になりたいよ。 俺の一番は潤くんなんだよ。 潤くんになら、支配されてもいいよ。 Ωで良かったって、今思えてるよ」
「……天くん……」
「αでもいいじゃん。 "性別ってそんなに重要?" 」
「…………っ!」
「……って、これは潤くんが言ってた事だよね。 意味は違うけど、俺達にとっては特別な言葉だ……んんッ」
ようやく顔を上げた潤は、眉尻を下げて今にも泣き出しそうな子どものように唇を噛んでいた。
その唇が、天の声を遮る。
両頬を捕らえられ、ぶつかるようにして重なった唇は熱かった。
これまでのどのキスよりも下手くそで、欲に突き動かされているわけでもないのに微塵も余裕の無い咄嗟のキスが、無性に嬉しかった。
天が救われた言葉を、彼に返す時がきたのである。
同じ葛藤を抱いていたと知った今なら、潤が言い放ったその問いにどれだけの重みがあったかが十二分に分かる。
「天くん」と呼ぶ潤は、瞳をうるうるさせて天に頬擦りをした。
「僕、αで居ていいの? 天くんのこと好きでいていいの? 天くん、僕のこと一番に好きなの?」
「へっ……? んっ、?」
「僕の一番は天くんだよ。 天くんしか居ないよ」
「────!!」
「天くんは? 僕のこと好き? ほんとに一番目なの? αでも好きでいてくれるの? うんって言ってくれるの?」
「な、っ……んっ……潤くん、喋れ、な……っ」
「あ……っ、ごめんね、嬉しくてつい。 あの、天くん……」
これこそ矢継ぎ早だった。
彼の頭から、いつかにも見えたふさふさの耳が現れている気がする。 実際には無いフサフサの尻尾を、勢い良く左右に振って喜びを表している気がする。
拙いキスの雨を何度も降らし、天の答えが分かっている潤の恐れは綺麗さっぱり拭えたらしいが、それにしても呼吸もままならない圧の強いスキンシップは困りものだ。
左手はいつものようにうなじをガードし、右手で天の肌を撫でまくる潤の歓喜は嫌でも伝わった。
「んっ、んっ、な、何……?」
「えっと……告白……してもいい?」
「え、あ……っ……うん、?」
上体を起こした潤は、こんな時まで律儀だった。
嬉しい時、照れくさい時、心を許した者の前でだけ放たれる天の淡いフェロモンが、冷えきった室内にふわふわと漂い始める。
その香りを脳髄に染み込ませ、一度深く深呼吸した潤は、天にだけ見える耳を生やしたまま熱く射抜いた。
「天くん……好きです。 好きです。 天くんのことが、大好きです」
「………………っ」
天の顔面がみるみる赤く染まる。 体温も心拍数も脈拍数も、急上昇していく。
返事をした方がいいのか、頷くだけに留めた方がいいのか、短い沈黙の間に天は二択を真剣に悩んだ。
しかし見詰め返した瞳からは、しっかりと「天くんも言って」とメッセージを送ってくる。
"それが無ければ安心出来ない"
"好きでいていいのか分からない"
"気持ちが伝わらない"
先程同様、矢継ぎ早なメッセージを瞳から次々と送り続ける潤は、人懐っこいという言葉では片付けられない "寂しがりや" 気質を全面に曝け出していた。
恥ずかしくてたまらない天が視線を逸らすと、窘めるように「天くん」と呼ばれる。
もう一度見詰め合うと、改まっての告白が照れくさくてしょうがなくなった。
けれど潤は、天の淡いフェロモンに頬を上気させて待っている。
確かな言葉と互いを縛る想いを、瞳をキラキラさせて欲している。
「……お、俺も、……好きです」
「…………天くん!」
緊張のあまり、舌を噛みそうになった。
その瞬間、ぱぁっと表情が明るんだ潤が飛び付いてくる。
痛いほど抱き締められ、体中の骨が軋んだ。 大袈裟でなく、骨格からして違う天と潤では力の差は歴然であった。
「うっ……っ、苦しいっ。 潤くん、苦しいっ」
「ごめん、今だけ。 今だけ我慢して……っ」
いい匂い……と呟きながら、天をひっしと抱き締める潤からも、天は匂いを感じ取った。
欲の滾らない、甘やかな香りだ。
何にも例えようのないそれは、嗅覚から本能へと直結する。
愛用の洗剤でも柔軟剤でも無く、毎晩抱き締めて眠っていた彼のマフラーから香っていたのは、潤から放たれていたフェロモンだったのだとようやく腑に落ちた。
この性別でなければ感じる事が出来なかったかもしれない、α性のフェロモン。
"静電気" が示す潤との可能性。
生きにくく、世の中では差別化されてしまう自身の憎かった性別を、現金にもこれほど感謝している。
「潤くん……ありがと」
天はやわらかな微笑みを浮かべて、広い背中にしがみついた。
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