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第87話

「ごめんね、天くん。 嘘吐いててごめん……。 言えなかったんだ、僕も自分の性別嫌ってるって。 天くんにも嫌われちゃうと思うと、……言えなくて、……」 「………………」  天の肩に顔を埋めた潤から矢継ぎ早にそう言われても、危うかった情報処理能力がまったく追いつかない。  ───潤くんが嘘吐いてたって……? でも俺も人の事は言えないよ。  ───誰もが羨むα性なのに、自分の性別が嫌い……? しかも、俺にも嫌われると思った……? 「天くんはΩもαも嫌ってる。 普通で居たい、βになりたいって言ってたでしょ。 ……僕もそうだった。 αだって分かった途端、孤独になった。 ……僕、だめなんだ。 寂しいのがほんとにだめなんだ。 ……僕みたいに意気地なしのαも居るんだよ。 Ω性の人達を支配したいだなんて、一ミリも思わないαも居るんだよ……」  切々と語る声が、震えていた。  天も微動だに出来なかった。  卑猥な指先がそのままなのは、天に嫌われたくないと零す潤が「離れないで」と訴えかけているように感じた。 「ちょっと待って、潤くん……ほんとに、α……?」 「……天くん、……ごめんね、……ごめんなさい……」  天は、間近に迫った潤の匂いを嗅いだ。  「ごめんね」を繰り返す、年下の美青年が情けなく天に縋っている。  唖然とはしたが、「信じられない」、「騙してたのか」と罵倒する気にはなれなかった。 自身の性別を偽っていた天も、潤にはさらりと、さも当然かのように嘘を吐いていたからだ。  そのわりには呆気なく本当の性別がバレてしまい、あげく自分の性だけでなくα性までも嫌悪の対象であると、涙ながらに潤に打ち明けてしまった。  あの時の天の言葉を、潤はどんな思いで聞いていたのだろう。  Ωのフェロモンの影響を受けやすいα性の潤が、どんな方法なのか未だに知らないけれどそれを無効化して天の看病にやって来た、理由。  そして何より、───。 「…………じゃあ、あの静電気は……」 「え?」 「……あの静電気だよ。 あれは……」 「……天くん?」  一番の謎だった、諸説ある根拠の薄い "しるし" 。  出会ってすぐの頃、何度もパチパチと食らっていたあの正体が実は、天が密かに望んでいたものである可能性が出てきた。  二人の話し合いの結果、この時期なので疑いようもなく "静電気" に落ち着いたけれど、β性とΩ性にもそういうものがあればいいのに……そんな事を考え始めてからそれがパタリと起きなくなった。  あれはちょうど、ヒートを起こして天の嘘がすべてバレてしまった日の事だった。  とうとう、潤との繋がりが消えてしまった。  わずかにあった期待がゼロになった。  性別の壁は越えられないと思い知った。  そんなものを信じたくなる日が来るとは思わなかったので、出会ってすぐから人懐っこい潤の事を、そういう意味で好きなのかもしれないとなかなか気が付けなかった。 「……そっか……潤くんはαだったのか……」  嫌われる覚悟で打ち明けてきた潤の重たい空気をよそに、天はニヤけそうな口元を隠すため両手で顔を覆った。  それが潤には、真実を聞いた天が愕然とし泣いているように見えたらしい。 「……指、抜いた方がいいよね?」 「…………当たり前だろ」 「うん、……ごめん」 「んっ……」  濡れそぼったそこから、くちゅ、とようやく指を引き抜いた潤がそそくさと立ち上がる。  指先を拭い、放ったコートを羽織ろうとする潤を天はキッと睨み付けた。 「何してんの」 「いや、……天くんのフェロモン治まったから、僕は帰った方がいいかなって……」 「俺をこんな状態のまま、置き去りにして帰るんだ?」 「えっ、あっ、……ごめんねっ。 ちゃんと後始末しなきゃね!」 「何言ってんだっ! そうじゃない!」 「うっ……」  上体を起こし、ティッシュの箱を抱えて戻ってきた潤を怒鳴りつけた天が、「そんなの要らない」と首を振る。  天の事を考えて行動してくれるのは嬉しい。  それが、潤が無理強いを嫌い、「傷付けたくない」と頑なだった大きな優しさの上での行動である事も知っている。  潤は、本当はどうしたいのか。  天の気持ちを探ろうとした矢先に秘密を打ち明けた彼の真意は、やはり天の本音を聞き出すのが怖いだけなのではないのか。  まだ確証のない "しるし" を味方に付けた天は声高に、自らに芽生えた気持ちを潤にぶつけなくては気が済まない。 「潤くんは? 潤くんはイってないよ?」 「僕はいいんだよっ。 天くんが気持ちよくなってくれたら、それでいい」 「分かんない男だな! 何回俺に恥かかせたら気が済むの! ゆ、指じゃなくて、……潤くんの、……挿れていいって言ってんの!」 「…………えっ?」  ここまで言わせるな!と小さく怒鳴り、面食らう潤のカッターシャツの襟を両手で掴んだ。  今もなお、拓かれた秘部は濡れ疼いている。  この場に及んでも彼は一切、自らの気持ちを言ってくれない。  焦れた天は、もはや喧嘩腰だった。 「潤くん、勃ってるじゃん。 またトイレで抜くつもりだった? 潤くんの性別聞いて、俺が拒否すると思った?」 「…………思った。 わわ……っ」  襟を掴んでいた天は、潤の頷きが間違っている事を教えるべく、力いっぱいその大きな体を抱き締めた。  広い背中。  歳のわりには落ち着き過ぎであるその雰囲気。  感じるのは恐らく天だけではない、潤が内から放つα特有のフェロモン。  それらすべて、天には何の非難もしようがない。 勿論、嫌悪など抱こうはずがない。 「逆だよ。 俺いま、最高に嬉しいんだけど」 「な、え、っ? な、っ?」 「そりゃ驚いたよ。 でも嬉しい。 めちゃめちゃ嬉しい。 だってあの静電気、やっぱりただの静電気じゃなかったんだもん!」 「…………っ? あ、ちょっ……天くん!」  潤の首筋を嗅ぎ、男らしい喉仏に唇を這わせてみる。  驚きながらも天の体を抱き締め返してくれた、潤の匂いとその力強さに目眩を覚えた。  行為に及ぶ理由がもう一つ増えた。  その存在が一番目であると伝えれば、潤の本音を聞き出せるかもしれないという下心しか、この時の天にはなかった。  

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