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第100話 ─潤─

 すぐにバスルームへ行くと、そんなにヤる気満々なのかと呆れられても嫌なので、この期に及んで余裕ぶった潤は本宅の一階のみをざっと案内した。  世間一般の一軒家より少し大きめな二階建てのこの家は、豊と美咲が隣に家を建てたのを機にリフォームし内装がかつてより近代的になった。  一階だけで両親の寝室含め四つの部屋がある。 オープンキッチンのある広めのリビングには、中央に一輪生花が飾られた五人で掛けるには大き過ぎるダイニングテーブルが存在感を示している。  そこで何度も豊の浮気疑惑の愚痴を聞かされたバスルームへ天と連れ立つと、何やら生々しい思いに駆られて別々でシャワーを浴びる事を提案した潤に余裕など無い。  いざとなると、一度くらいは経験しておけば良かったと妙な後悔をした。  格好良く天をリード出来ないわりに、フェロモンを嗅ぐごとに理性はどんどんと削られている。  潤の衣服を着た天に見惚れ、着替えを持たない天が下着を履いていないと知るや、大きな丸型だった理性の塊は欠片ほどしか残っていない。  どちらかというと、同じく初体験にドキドキしているはずの天の方が、潤よりも冷静に見えた。 「外観からして立派な家だよな」  離れ家に戻った二人は、互いのフェロモンに抗うかのように何食わぬ顔で手を繋ぎ、ベッドに腰掛けていた。 「そうかなぁ」 「……庭に潤くんの部屋造れるくらいなんだから、豪邸って言っていいと思う。 そうだ、ずっと聞きたかったんだ。 この部屋ってどういう経緯で建てたの?」 「………………」  綺麗だし最近建ったよな?と問われた潤は、天の掌をにぎにぎしながら苦笑を浮かべる。  天には、潤の性別の葛藤を話していなかった。  性別が確定してからというもの、急ピッチで建てられたこの離れ家について天にはいつ話せばいいかと考えていたが、それが今だとは予定外である。  話したところで、他者だけでなく天にも贅沢な悩みだと嘲笑されやしないか……。 潤は天の顔色を窺い、緊張の面持ちで口を開いた。  まさしくこれは、天が涙ながらに性別の葛藤を打ち明けてくれた時と状況が酷似している。 「……僕がαだったから」 「…………?」 「兄さんから聞いたと思うけど、僕はβ性の家系から突然変異で生まれたαなんだよ。 おかげで期待とプレッシャーが物凄い」 「えぇ? 隔離されたって事? 勉強しなさい、って?」 「うん、まぁ……そんな感じかな」 「……潤くん寂しがりやなのに」 「………………っ」  ───天くん……っ。  嘲笑を覚悟していた潤に向けられたのは、眉を顰めた天の心配気な視線だった。  これほど容易く、分かってもらえるとは思わなかった。  潤が自身の性別を無意味だと思った根源が、まさにそこにある。  和気あいあいと暮らしてきたそれまでの生活が一変し、親族から向けられる羨望の眼差しが鬱陶しく、両親からの過剰な期待を背負った潤の苦悩はほぼほぼその子どもじみたそれと、α性の特質への嫌悪に尽きる。  社会に出れば性別関係なく支配する側となり、Ω性へに至っては顕著になる欲求が自身にあるなど、考えたくも無かった。  けれど、自身の性別の苦悩を乗り越えた天は潤の気持ちに寄り添ってくれた。  ただ寂しいだけなんだと、誰に言っても理解してもらえないだろう事を、天はやすやすと言い当てた。  ───天くんは分かってくれてる……僕が言いたくても言えなかったことを、……こんなにあっさり……。  欠片ほど残っていた理性が、木っ端微塵に砕け散った瞬間であった。 「んっ……っっ?」 「天くんは僕が寂しがりでも笑わない?」 「んえ……っ? わ、笑わない、よ……んんっ」  天を抱き上げ、ベッドに押し倒してキスをした潤はこの日初めて舌で唇を割った。 温かく滑った舌と自身のそれをゆっくりと絡ませて、吐息を零す天の頬を優しく撫でる。  舌先で前歯をツンと刺激してみると、瞳を瞑った天の体がビクッと揺れた。 「僕はαらしくなんて出来ない。 それでも一緒に居てくれる?」 「うん、……っ、だって……潤くんは潤くんだろ」  ふわふわと香る癒やしのフェロモンが、突如として濃厚なそれに変わり潤の本能に突き刺さる。  触れるだけのキスは気恥ずかしくて、ひたすら甘かった。 しかし舌を絡ませるこれはたちまち激しい情欲を生む。  頭の中が天でいっぱいになり、一刻も早く貫きたいとばかりに潤の腰が疼いた。  心が重たい。  天への愛が次々と育まれ、粉々になった理性を覆い尽くすほど大きくなった。 「…………嬉しい」 「あっ……潤、くん……っ」 「天くん、好き」 「ん、っ……」 「好き。 好き。 好き。 好き」 「わ、分かった、から……!」  力いっぱい抱き締めても、どんなに言葉を紡いでも、想いが伝わる気がしない。  左手でうなじを庇い、首筋に顔を埋めて何度も「好き」と言った。  恥ずかしいと漏らす天の素肌に触れると、その熱い感触さえ愛おしかった。 「……僕は汚いなんて思わないけど、綺麗にしてからエッチしたかったんだよね? ここ、自分で綺麗にしたの? 僕がしてあげれば良かったね」 「うぅっ……!? ん、っ……あっ……」 「僕、カッコ悪くてごめんね。 どうしてもバスルームで初体験は嫌だったんだ」  天の体を隅々まで洗い、前戯と称して中までくまなく触れるつもりでいた潤は、土壇場でこの表情とフェロモンに勝てる気がしなかった。  覚悟を決めた天の気持ちを尊重するならば、これまでと同様に自衛しなければ無理だったのだ。 「……潤くん、……」  恥ずかしそうに頷いた、天の目元が赤い。  切なく名前を呼ばれただけで、キスをせがまずにはいられなかった。  たどたどしい舌伝いに、互いの唾液が混ざり合う。  眉を寄せ、薄く開いた色付いた瞳が潤を射抜き、弱々しく背中を抱かれた。  こんな事をされて、こんなにも可愛く欲情の視線を向けられて、我慢出来るαは居ない。

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