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第105話

… … …  ぐったりとベッドに横たわる天の傍ら、潤は床で正座していた。 「ごめんなさいっ」 「………………」  天は、もはや何度目か知れない詫びを受けている。  いやいや……と口ごもる天の声は掠れ、自力では立てないほど疲弊した体は潤のベッドを占領していた。  換気のために開けた窓から、冷風が吹き荒ぶ。  ここに潤と帰ってきたのは夕方だ。  ひらひらと揺れるカーテンの向こう側は、深夜0時の真っ暗闇である。 「天くん、ごめんなさい! ほんとにほんとにごめんなさい!」 「……いや、潤くん、……」  ベッド上の天の手を取り、顔をくしゃくしゃにして今にも泣き出しそうな表情で詫び続ける、潤の手を弱々しく握り返す。  性欲が強く、かつ十七歳という若さゆえかαの本性を剥き出しにした潤から、天は三度の射精に付き合わされた。  それでもまだ足りなさそうだった潤の前でぱたりと意識を失くした天が目覚めた時には、体は清められていた。  潤は天のそばで正座をし、目覚めるまでジッと寝顔を眺めていたようだがそれは天の知らぬところだ。 「嫌いにならないで! たくさん謝るから許して! 天くんごめんなさいっ」 「………………」  何故潤がこんなにも情けない顔で何度も謝ってくるのか、理由は明白だった。  重たい上体を起こし潤の頬に触れてやると、彼はさらに眉尻を下げた。 「謝んなくていいって。 今噛んでも番になるわけじゃないから」 「でも……! 天くんを傷付けたくないって、僕あんなに偉そうに言ってたのに……!」 「潤くんはαだからしょうがないんだよ」  天は貫かれて、嬉しかった。  番にはならないかもしれないが、うなじに食い込んだ牙先の感触がまったく嫌ではなかった。 むしろ、「この人のものになりたい」とこれまでを覆す極端な事を思っていた。  性欲などありませんといった風体の、いつも爽やかな潤が紛れもなくα性だと思い知り、熱のこもった瞳に屈服しかけた。  潤の詫び通り、あれほど「傷付けたくない」と豪語していた彼の言葉は、理性と共にどこかへ消え去ってしまったらしい。  それでも天は、 "嬉しい" の一言に尽きる。  全身をたっぷりと愛され、神経を揺さぶるほどの支配的な視線とオーラによって、心がこれほど満たされるとは思わなかった。  潤にもそう感じたように、天も紛れもなくΩ性であると本能から自覚してしまった。 「しかも三回もやっちゃって……! 天くん体平気? どこも痛いとこない?」 「痛いとこ無いよ。 ……疲れたけど」 「そ、そうだよね! ほんとにごめんなさいぃぃ!」 「落ち着けよ、潤くん。 なんだその変わり様は」 「天くんこそ! そもそも天くんがエッチの間ずっと可愛くてフェロモンもすごくて、僕っ、我慢出来なくて……!」 「あ、俺のせいにするんだ?」 「違いますー! 僕がぜんぶ悪いです! ごめんなさいー!」 「あはは……っ」  涙目で天に抱き付いてきた潤は、可愛かった。  我を忘れてうなじを噛み、天の承諾を得ないまま二回目、三回目と続けざまに行為に及んだ事を後悔する若い彼を、とても可愛いと思う。  不思議だ。  α性への偏見は、α性らしくない潤のおかげで無くなったと言っても過言ではない。 「潤くん、俺怒ってないよ。 そんなに謝られると、潤くんは俺とエッチしたの後悔してるのかなって不安になる」 「そんな事あるわけないよ! 僕、幸せだよ。 すごく! 天くんも僕のここ、噛んでくれたし」 「潤くんに言われたからな」 「え!? これ、天くんの意思で噛んでくれたんじゃないの!?」 「違うよ。 俺はヤダって言った」 「えぇぇ……っ」  覚えてないのかよ、と苦笑した天は、ふと潤の衣服を捲り上げて噛み痕を見てみた。  赤い三つのしるしはくっきりと表れているが、天の痕はやはりそんなに濃くは付いていない。  体を傷つけ合う事で両成敗にしようとしたのだろう。 天はそう考えていたが、どうも発情した潤の思惑は違いそうである。 「なんだ……僕と番になってもいいよって、天くんから噛んでくれたのかと思って嬉しかったのに……そっか、……」  しゅん…と肩を落とす、この素面状態の潤にその意味を尋ねても、「なんでだろう?なんでだと思う?」と逆に問われそうな勢いだ。  疲れきって喉まで枯らした天は、思わず吹き出した笑い声さえも掠れていた。  本能に支配され、理性をなぎ倒して天のうなじを噛んでしまったせいか、潤は "番" に固執しているように見える。  「ごめんなさい」「嫌いにならないで」を繰り返す瞳の奥に、天を独占したいという欲が見え隠れしていた。 「なぁ、潤くん。 俺の次の発情期なんだけど、予定通りだとしたら来月なんだ」 「……うん」  唐突に切り出した天は、潤に「スマホ取って」とお願いした。  スーツのスラックスのポケットから天のスマホを持ち出し手渡すと、彼はまた、ちょこんと床に正座する。  彼はとことん、α性らしくない。 「次の発情期がきたら、ほんとはこの抑制剤を飲むつもりだったんだ。 すごくよく効くから」 「ん?」  スマホで検索した画面を潤に見せた。  そこには、番が見付からなかったΩ性のための、現存する一番効力の強い抑制剤の名前と注意書きが載っている。  二度目のヒート後、突発的な発情期で潤との間柄に悩んだ天はかかりつけ医に無理を言ってこの抑制剤を出してもらった、その経緯までも潤に話した。 「───え!? そ、そんな……っ、ダメだよ! これ飲んだら赤ちゃんが……っ」 「でもやめとく」 「え……?」 「だって……これからは発情期きても、潤くんが治めてくれるんだろ?」 「う、……っ!」 「なに、嫌なの? ていうか、いい加減正座やめなって」  天のスマホを胸元に握り締めた潤が、返事とも取れる低い呻き声を上げた。  むっと唇を尖らせた天は、潤にベッドへと上がるよう促す。  許しが出るまで、いつまでもΩ性である天の前で正座しているα性など、前代未聞であった。 「違っ……違うよ。 い、いいのかなって」 「うん」 「でも僕……今でも堪えきれなかったのに、発情期間も関係ナシに噛んじゃう、かも……」 「そのときは首輪する」 「えっ!?」 「発情期の間だけ、首輪付けとく。 それならいい?」 「い、いいも何も……!」 「潤くんがもっと大人になったら、番の事は二人で考えよ」 「……天くん……っ」  ころんと横になった天を感激に満ちた表情で見詰める潤は、きっとあともう一声で泣いてしまう。  嫌悪していた性別を受け止め、繋がることも、うなじを噛まれることも、「潤になら」と思えたそのすべては、何も始まっていないからこその曖昧な覚悟だった。  潤の腕を引いて「ぎゅーしろ」と言った天の言う事を聞く、従順過ぎる愛しい人の胸に顔を埋める。  そして、聞き取れるかどうか分からないような小さな声で、告白した。 「俺、潤くんと恋したい。 恋、教えて」

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