131 / 132
はじめての巣作り22・終
「かっこいい」「やめて」の攻防は、数分続いた。
キッチンに置かれていた花束を抱え直させ、照れて顔を隠す潤の制服姿を何枚も撮影した天の気持ちは、非常に晴れやかだ。
すっかり毒気を抜かれた潤に対し、ご機嫌な天は調子に乗ってもうひとつワガママを言った。
「……え、コーヒー?」
「うん。潤くんが淹れてくれたの飲みたい!」
祝われる立場の潤へ、今そんな事を言うべきではないと思ったのだが、彼が怒った原因がそれならば味の置き換えをしたいと思った。
上書き、とは違う。
「もちろんいいけど……ここだとインスタントしか出来ないよ?」
「それでいい! 家にあるもので、潤くん特製のカフェオレ作って?」
「……うん、分かった」
頷いた潤は、造花のついたブレザーを脱いで天に手渡した。その時、ふわりと彼の香りを感じ、うっとりしかけてしまう。
「牛乳だけで作ってみるね。ちなみにホット? アイス?」
「あ、えっと、アイスで! お願いしますっ」
ブレザーを握り締めた天は、ぽわんと虚ろになりそうな頭をシャキッとさせるため、潤に隠れてぷるぷると頭を振った。
この匂いを嗅ぐと、どうもいけない。
姿を見ただけでふわふわと癒やしのフェロモンを放ってしまう天に、潤の服に染み付いた香りは簡単に思考を危うくさせる。
ブレザーを握り締めると無意識に〝あの部屋〟へ向かってしまいそうになる。しかし、天の要望を二つ返事で了承してくれた潤が手早く準備を始めていて、「いけない、いけない」と天はもう一度頭を振って堪えた。
ぷるぷるしている天をよそに潤が用意したのは、彼が気に入っているドリップパックコーヒーと牛乳、そして大きめの氷を敷き詰めたグラスのみだった。
天が喜ぶため、いつも少しの工夫を足す潤らしくないシンプルなラインナップだ。
「ふふっ……天くん、これだけ? って思ってるでしょ」
「えっ? あぁ……うん。何か足さないの?」
「足さない。モカ風味のカフェオレ、なんて聞いちゃったから、オーソドックスなものを飲んでもらいたくなって」
「ホントにヤキモチ焼いてたんだ……」
「当たり前でしょ。その話蒸し返すと僕しつこいよ?」
「わぁっ、もうやめよっ! 喧嘩したくないもんっ」
「あはは……っ、それが懸命」
湯が湧く間、そんな会話をしながらも潤は着々とカフェオレを仕上げていった。
ドリップパックをセットした耐熱グラスに、注ぎ口が斜めにカットされたコーヒードリップポットで三回に分けて湯を注ぐ様を見ていると、まるでBriseのカウンターにワープしてしまったかのような気分になる。
立ちのぼる湯気と共に、カフェと同じ香ばしい匂いが一瞬にして二人を包み込んだ。
グラスの方には牛乳が三分のニ注がれていて、その上からゆっくりと抽出されたコーヒーが回し入れられてゆく。
潤の真剣な眼差しと慣れた手付きは、いつ何時でも天をうっとりさせる。
「はい、どうぞ」
中身がじんわりとマーブル模様になったところで、それをかき混ぜないまま潤からグラスを手渡された。
「ありがとう、ございます……!」
「なんで敬語なの?」
クスクス笑われ、横目で彼を気にしながら天はさっそくグラスに口をつけた。
腰にサロンを巻いたBriseでの店員姿と錯覚して、つい見惚れていたからだ……と言うとさらに笑われてしまいそうで、所望したカフェオレに集中することにした。
「……はぁ〜……美味しい〜っ」
「そう? 良かった」
「…………っ!」
爽やかに微笑まれ、天は思わず咳き込みかける。
我が恋人ながら、至近距離でこの笑顔を向けられると目の毒だ。
狼狽を誤魔化すように、焦ってグラスを傾ける。小さくなった氷が泳ぐマーブル模様のカフェオレは、Briseでのものと何ら劣らない。
シンプルで繊細な味わいが口の中で広がり、狼狽を忘れて舌鼓を打った。
「な、なんでこんなに違うんだろ? 俺も、潤くんに教わった通りに作って飲んだりしてるんだよ? でも全然違う……」
「淹れ方にもコツがあるんだよ。ちょっとした事なんだけどね」
「それにしてもインスタントとは思えない美味しさだって! 一口飲んでみなよっ」
「じゃあお言葉に甘えて……」
「えっ? いやグラスはこっち……っ!」
ふと潤から顎を取られた天は、驚く間も無く唇を奪われた。
「んっ……ふっ……!」
そのうえ舌を絡ませてきた潤は、ねっとりと味わうようにしばらく天の口腔内を蹂躙した。
クチュッと唾液の混じり合う音がいやらしく、温かな舌を感じた天はグラスだけは死守しなければという思いでいっぱいになる。
天の膝が震えそうになる手前でやめた潤は、言わずもがな策士だ。
「……ホントだ。格別だね」
「キスしただけじゃん……!」
「舌に風味が残ってる。それを味わったの」
「味わっ……!? やらしいぞ、潤くんっ」
「天くんこそ、まだ明るいんだからそんなに僕を誘わないで」
「誘ってないよっ」
もう! と憤慨する天の頬は、喜びと羞恥を隠しきれず真っ赤になっていた。
年下の恋人はそんな天の手を引き、ソファへと移動する。
ぴたりと寄り添った二人は、目の前のテレビなど目もくれない。何日かぶりの互いの匂いを感じながら、穏やかな時間を過ごすのが二人にとっては最良だった。
「僕が頑張れたのは、天くんのおかげなの」
「え?」
静かに口を開いたのは、グラスを傾ける天を穴が開くほど見つめていた潤だ。
「毎日僕を励ましてくれたでしょ。それに……」
「それに?」
「二人の未来のためだから、頑張れた」
「…………っ」
「僕ね、毎日机に向かってて頭おかしくなっちゃいそうになって、その時に気付いたんだよ。生き急いだってしょうがない。死に物狂いで頑張って立ち向かって、それでもダメだったら……その時こそ駆け落ちだなって」
「えぇっ? それめちゃくちゃ極論……」
「あはは……っ、だよね。でも結果がついてきたから、もう少し頑張ろうと思うよ。せっかくのα性を無駄にしちゃ、Ωな天くんを守ってあげられない」
「…………」
潤はいくらか言いづらそうに、言葉を選んで語っていた。
最後の台詞に天がピクリと反応すると、慌てて「ごめんね」と謝る辺りがα性らしくない。
「天くんは守ってほしくなんかないよね」
「あ、……ううん。そうじゃなくて……」
「うん?」
「潤くんが言ってくれた言葉が、俺の心を救ってくれた気がするなって」
「どの言葉?」
天が知らず反応してしまったのは、これまでのような劣等感や嫌悪感からではなかった。
〝Ω性〟に反発心を抱いていた頃ならまだしも、潤に愛されてからの天にその思いは欠片しか残っていないのだ。
多少の壁はあろうと、好きな人から毎日これでもかと好意を伝えられ、想われていると、過去の気持ちに囚われる暇も無い。
何より一番嬉しかったのは、……。
「……潤くんは俺と番うためにα性として生まれた。俺は、潤くんと番うためにΩ性で生まれた……って言ってくれたよね」
「ああ……」
「これ以上のプロポーズの言葉は無いなって思ったよ。今さら離れる気なんかないけど、潤くんはどんな事があってもきっと俺を離さない。それが伝わって……すごく嬉しかった」
「そうなの? 僕にとっては、〝しるし〟が表れる前からそうだとしか思えなかったよ。だから……」
天の卑屈だった思いを根底から覆した意味のある言葉だというのに、潤はけろりと、そしてさも当然と言いたげにクスクス笑った。
「その方がより運命的でしょ」と微笑んでいたあの時のまま、彼の中でそれは何気ない発言だったのだ。
その呆気なさが、さらに天を昂揚させる。
「ちなみに、あれをプロポーズだとは思わないで。本番で言う言葉は、ちゃんと用意してあるから」
「え……っ? 本番っ?」
「結婚式。するでしょ?」
「えぇっ!?」
「ふふっ……。気が早い、なんて思ってたら僕のプロポーズ聞き逃しちゃうよ、天くん。あ、そういえば僕たちの愛の巣はどうなってる?」
「あっ……ちょっ……!」
立ち上がった潤の行く先は分かっていた。
潤が片付けをしている隙にこっそり持ち寄った天の行動が……バレてしまう。
だからこそ止めたかったのだが、早足で目的の部屋へ向かう潤に天は既のところで追い付けなかった。
「……さっそく一着加わってるね?」
「…………っ」
「いっそ全部脱ごうか? 明日からもう必要ないし」
「…………っ」
揶揄い混じりの微笑に、天は己の欲求と戦わねばならなくなった。
潤が来るたび規模が拡大しているそれを、自身ではそれほど意味があるものだとは思っていない。
何しろ無意識下でせっせと集め、敷き詰め、二人が横になれるようスペースを作り、柔らかくするため毎夜慣らしているなど潤には知られたくなかった。
だが、──。
「……お願いします」
「もちろん。喜んで」
逡巡の後、本能に逆らえない天は両手を差し出した。頷いた潤は笑みを濃くし、いそいそと制服を脱ぎ始める。
恥ずかしげもなく、むしろこれを愛の巣だと尊ぶ潤の気持ちは彼にしか分からない。
けれど天は、潤の愛おしい言葉で運命というものを受け入れる事が出来た。
二人の前にはまだまだ高い壁が立ちはだかっている。だが潤は、都度立ち止まりそうになる天を離す事はないだろう。
それならば天も、恋する潤に従うだけ。
〝本番〟に用意しているという言葉をただ期待して、彼に寄り添うだけ。
はじめての巣作り 終
To Be Continued...
ともだちにシェアしよう!