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第3話

「いやぁ、奈苗くんが即戦力で助かったよ」 「ありがとうございます」 店長が言った言葉は、僕を少し幸せにする。 だって、こんなどうしようもない僕をほめて、そして、僕を必要な存在として認めてくれるから。 カラオケボックスの厨房で働いて一週間がたつ。 何よりスピード重視だから、なかなか慣れなくて大変だけど、ここでは少なからず僕は必要とされているんだ。 僕は、僕のしがらみから逃げ出した。 城戸さんのとこに早苗を置いて、大学も休学届をだして。 誰も僕を知らないとこに、行きたかったんだ。 カラオケボックスでフルで働いたら、カフェで少し働いて、ネットカフェで深く眠る。 働いて体を動かしていたら、早苗のことも、城戸さんのことも、オメガだってことも、考えられないくらい、毎日疲れて......ぐっすり眠る。 お金がたまったら、また、大学行けるかな......。 そんな淡い夢を抱いて、僕は毎日、がむしゃらに働いて深く眠るんだ。 「奈苗!!」 退室後の部屋の後片付けをしていたら、いきなり僕は腕を掴まれて壁に叩きつけられた。 僕の手の上のお盆に乗せられたコップがバランスを崩して、派手な音を撒き散らしながら床に散らばる。 この、忘れたくても、忘れられないこの声。 「.......城戸さん」 僕を壁に押し付けた城戸さんの手は相変わらずあったかいのに、その目はその手とは裏腹に冷たいから、そのギャップを久しぶりに目の当たりにしたせいで、僕はドキッとしたんだ。 「こんなとこで何やってんだ!!」 「何って.....」 「俺から離れるなって、離れるなって言っただろうがっ!!」 「..........」 「......帰るぞ」 城戸さんは掴んだ手首を強引に引っ張った。 「帰れない......」 「はぁ?!」 「帰るって、いうのかな.......? 元々僕の居場所じゃない.......。 早苗は僕のコトがキライだし、僕も早苗を前みたいに大事にできる自信がない。 城戸さんにも.........応えられる自信がない」 「.......そんな、そんな意地を張ってる場合じゃない!! 早苗の、早苗の記憶がもどったんだ」 「........え?」 「あんたに、奈苗に会いたがってる。だから.....」 .........何?なんて、言った? 記憶が、戻った......? だから.......今さら、何? 僕は城戸さんの手を振り払った。 振り払ったと同時に、心にしまっていたあらゆる感情が一気に溢れ出したんだ。 「僕がどれだけ早苗に思い出して欲しかったか......。 優しく抱きしめて欲しかったか......。 切実に欲しがってた時には、僕に見向きもしなかったくせに!! 僕が傷ついて、何もかも限界になって、何もかも手放した時に僕を求めるって、なんなんだよ?!」 早苗なんか.......早苗なんか.......本当にキライだ。 自分のことだけじゃないか、相変わらず。 僕のことは全く考えてないじゃないか。 そう思った瞬間、僕は、城戸さんに抱きしめられていた。 強く、キツく、でも何故が城戸さんは震えて.......そして、涙声で僕に言ったんだ。 「それは俺も同じだ!!同じなんだよ!! 奈苗と一緒なんだ........。 だから、俺から.......俺から、離れないで.......。 お願いだから.......俺をキライにならないで、奈苗.........」 .........ビックリした。 ビックリしたけど、目の前にいる城戸さんを。 今までこんな弱い城戸さんを見たことがなくて、同時にこんな状態の城戸さんを突き放すことが僕にはできなくて、城戸さんの背中に手を回した。 退室後の部屋の中には流行の歌が止まることなく流れていて、小さなミラーボールもゆっくり回っていて。 僕が城戸さんの体から手を離したら、城戸さんはそのまま部屋から消えてしまいそうな気がして。 僕は腕を城戸さんを抱く手に力を込めたんだ。 ✴︎ 親父の心の中に俺の家族以外がいることは、俺が物心つく頃から分かっていた。 アルファの父とアルファの母から産まれた当然アルファな俺は、産まれた瞬間は、そりゃ奇跡に近いくらい祝福されたけど、その奇跡に近い幸せも長くは続かなかった。 親父の中には別に愛する人がいて、母はそれに気付いていたけど、いつかは振り向いてくれるとずっと親父に期待して、親父のかわりに俺を溺愛した。 だけど。 母の我慢は、とっくに限界を超えていたんだ。 俺に弟が生まれて、弟がベータだってわかって、さらに父の想い人がオメガだって知って。 何もかもが......親父に対する愛情も、俺に与えた愛情も、全てに対してキャパを超えてしまっていた母は弟を連れて、家を出て行った。 そして、俺の人生は一気に愛情から遠ざかった人生になってしまったんだ。 なんで、母は俺を一緒に連れていってくれなかったんだろう。 母がいなくなってから、寂しくて、ずっとそんなこと考えてた。 .......それは、多分。 俺があまりも親父に似すぎているから。 俺を見ると、不幸の源である親父を思い出してしまうから。 母を不幸にした親父が嫌いで、俺の不幸の源は、親父の中の愛する人なんだ、と......。 全ての不幸の源はその人なんだと、そう俺は思ってたんだ。 そんな矢先、一度だけ偶然に、親父の財布の中の写真を見てしまったことがある。 綺麗な、線の細い、穏やかな笑顔を浮かべた男の人のくたびれた写真がでてきて、この人が親父の愛する人なんだとピンときた。 母とは真逆にいる感じの人だったから、なんか、もう、力が抜けちゃって.......。 そして、その人の笑顔が俺の柔い部分を鷲掴みにする感じがして........。 多分、その写真の人に一目惚れをしてしまったんだ、俺は。 親父と俺って趣味まで一緒なんだなぁ、って少し笑ってしまった。 だから、その一目惚れをした人にソックリな人を大学で見かけた時、本当、心臓が止まるかと思った。 綺麗で、華奢で、笑顔が素敵で、おまけにオメガで。 写真の人以上のその人から目が離せなくなって、俺は色々調べたんだ。 やっぱり、というか。 その人は親父の愛する人の子どもだった。 ただ、親父の愛する人は記憶喪失になってしまっていて、その人は親から愛されることなく育っていたから........。 何もかも俺と近すぎて........もう、ほっとけなくて。 さらに言うなら、愛情を知らないその人は、俺と、おそらく、腹違いの兄弟で。 兄弟なら、好きになることなんて間違ってるって思ったんだけど、もう、気持ちが止まらなかったんだ。 兄弟とか、関係ない。 その瞬間、その人に俺が愛情を注いであげようと心に決めた。 「奈苗」って俺が呼ぶと、その人はにっこり笑って綺麗な声で「城戸さん」って言う。 奈苗が作る料理はどれも全部美味しくて、たまに、母の味に似た料理が出てくる時があって。 懐かしくもあり、そして、苦しくもあり.......。 そういう時に「うん」って、思わず一言発してしまう。 全てにおいて、奈苗は俺の好みをついてくるから、奈苗になんでもしてあげたくなるんだ。 だから、あの時。 ヒートで苦しんでいる奈苗をみて、一刻も早くヒートから解放してあげたくて、庭で泣きながら悶える奈苗に噛みついた。 番になれば、奈苗は強くて辛いヒートから逃してあげられる、そう思ったんだ。 でも、それは、大きな誤算で。 番になった途端にとろけだして、淫らに助けを求める奈苗に.......俺は理性がふっとんだんだ。 外にもかかわらず、奈苗を激しく犯してしまう。 まるで......レイプみたいで.......。 こんな風にしたくなかったのに、アルファの俺が止まらなくて。 奈苗が気を失うまで、ずっと奈苗を犯し続けてしまった。 俺は奈苗が好きでたまらないのに。 奈苗の体は俺を求めているのに。 奈苗は困惑した顔で俺に抱かれていて.......。 そんな顔を見たくないがために、また、激しく奈苗を奥まで突き上げて。 自分自身の不安を悟られないように。 奈苗に迷う隙を与えないようにしたんだ。 「.......ぼくは、奈苗に酷いことを言ってしまった......。 奈苗はもう、帰ってこないかもしれない。 どうしよう、ぼくのせいだ.......」 まともな目をして、まともに話している早苗を見たのは、この時が初めてだった。 いつも夢の中にいるような、まどろんだ目をして、親父と間違えて俺に絡みついていた早苗が、海外から帰った親父を見るなり、全ての記憶を取り戻した。 今までのことも、全て。 もちろん、奈苗のことも。 奈苗が自分の子どもだということも、自分の言葉で傷付けてしまったということも。 そう、早苗が俺に告白した時にはもう、あとの祭りで、奈苗は俺の前から、すべての痕跡を消していたんだ。 大学も休学届を出していて、友達にも黙って、いなくなってしまった。 俺は、奈苗を探して......探しまくって。 奈苗に似た人がいる、って聞いたら昼夜問わず探しに行く。 そんな生活をしているから、奈苗のことが気になって食事も喉を通らない。 奈苗の笑顔が見たかった。 奈苗の手料理が食べたかった。 奈苗を優しく抱きしめてたかった。 早く......早く.......そうしたくて、たまらなかったんだ。 だから、やっと。 やっと、奈苗を見つけて、すごく嬉しかったのに。 嬉しくて、嬉しくて......優しく抱きしめたかったのに。 感情が昂りすぎて.......奈苗を強く抱きしめた。 強く抱きしめていないと、俺の前から奈苗がまたいなくなってしまいそうで.......。 俺は、子どもみたい奈苗にすがりついて、泣いてしまったんだ。 ✴︎ 奇跡がおこると、全ての不幸せが跡形もなく消えて、みんなが幸せになる。 そんなのは妄想で、現実は全くちがう。 僕におこった奇跡は、早苗の記憶が戻るっていう、すごくドラマチックなものだったけど。 早苗の記憶が戻って、早苗が今までのことを僕に謝って、僕を優しく抱きしめても。 今まで僕の心の中に巣作っていたわだかまりや不満が、全てなくなるわけじゃない。 ゼロになっただけ。 新しいスタートラインにたっただけで、僕は相変わらず早苗に対して素直になれないし、親である早苗に甘えることすらできない。 早苗と僕の関係は、前の関係のまま、そのままでこれから先も推移していくんだ。 ただ、一つだけ。 一つだけ変わったことがある。 城戸さんに対する、僕の気持ちだけは奇跡とは全く関係ないのに、すごくドラマチックに変わった。 城戸さんはいつもそう。 居酒屋でもそう、無理矢理僕を連れ出した。 カラオケボックスでも、やっぱり僕を無理矢理連れ出して、早苗の待つ家に連れ帰ったんだ。 僕を抱きしめて震えながら弱々しく泣く城戸さんと僕をそこから助けるように連れ出す強引な城戸さんと。 僕を大事にしてくれてるんだ、って、ありありと分かって。 今まで早苗に愛されることしか考えていなかった分、城戸さんに愛されてるのを肌で感じて。 だから、城戸さんを.........義久さんがすごく愛おしくなってしまったんだ。 大学にも復学できて、僕は離れに住んで、義久さんの家政夫をする生活は変わらないけど、気持ちが変わるだけでこんなに見る世界が、より明るくて、ちょっとしたことでも楽しく変わるんだなって、実感したんだ。 早苗は.....。 早苗は今、義信さんと海外にいる。 義信さんと離れていた長い時間を埋めるように、片時も離れたくなかったみたいで、2人仲良く旅立っていった。 そして、わかった。 番は、離れちゃいけないんだ。 一緒にいなきゃ、お互いが壊れてしまうんだ、って。 .........僕は、早苗が幸せなら、それでいいし。 1人、広い離れで生活してると、たまに「奈苗」って早苗の声が聞こえくる気がして、少し、寂しくなるけど。 僕はもう、大丈夫。 早苗からの愛情を欲して、欲して、たまらなく欲して、って、感情は。 もう小さくなってしまっているから。 「奈苗、何考えてる?」 僕の胸に顔を埋めて、胸を舐めていた義久さんが、おもむろに顔を上げて僕に質問した。 肌を重ねて、足を絡めて。 心も体も義久さんを求めていて、すごく気持ちいいのに.......。 「......はぁ....あ......どうし....て?」 「上の空」 義久さんには、隠し事ができない。 いつも、そう。 僕のことが、すぐわかる。 「早苗のこと.......考えてた........あと」 「あと?」 「僕たちは........兄弟じゃ......ないかって、こと....」 義久さんの右眉がキュッとあがる。 義久さんの、確信に......ふれたんだ、僕は。 「もし、そうだったら。奈苗はどうする?」 義久さんは、僕の中に指を入れて質問をした。 指で僕の中を刺激するから.......息が、あがる。 「.......許さ.....れない......こと、だけど......。 仕方がない.........。 好きな.....気持ちは、止められない」 僕の中に入ってくる義久さんの指が増えて、さらに僕が弱いところをせめるから、僕は思わず、身をよじる。 「ロトとその娘みたいに?」 義久さんの言葉に僕は頷いて、そして、その首に手を回す。 聖書に出てくる近親相姦の、聖母マリア様とは対極にいる親子の名前をだすなんて........。 義久さんの言葉は、僕の心と体を深く揺さぶってくる。 「今さら、兄弟なんて........。 義久さんが、大好きだから.......。 関係ない.........。 全ての........不安の........可能性を、忘れるくらい.........。 僕を愛して.........義久さん」 義久さんは僕の中いっぱいに熱いのをジワっと入れた。 そして、ゆっくり奥をえぐるように突き上げだす。 「あぁ.....あ.....」 「奈苗、好きだ.......ずっとそばにいて」 「義久.....さんも....」 こうして、好きな人と肌を重ねているだけで、僕は今、すごく幸せで。 ずっとこうしていたくて、離れたくなくて。 この一瞬一瞬が楽しくて。 僕たちの過去や真実なんて邪魔くさいだけで。 未来なんて、鬱陶しいだけで。 まるで、記憶をなくしていた頃の早苗みたいで。 やっぱり.......。 僕は、父の子なんだ、って実感してしまうんだ。

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