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第9話

「あ、じゃあ証明にしては薄いかもしれないけど、ヒロキさんの知らないって言ってた会社名を調べてみようか」  「おいで」手を引いてリビングに置いてある黒田所有のパソコンを開く。  結論からいうと、たしかに黒田の言う会社名のHPがあり、実在するらしい。スクロールをすれども違和感を感じなかった。 「どう? これでもまだ何か不安ある?」    怒りを顕にすることなく諭すように話すので、これでは本当にバツが悪い。「……ごめんなさい、僕、助けてもらった分際で疑うようなマネをして」。 「いいんだよ!! そのかわり、はい」  「今度こそ意識的だけど、ヒロキさんから!」と両手を広げて待っている。椅子に座る黒田を覆うように包むこまれるのを御所望らしく、彼が立つことはない。  だが、田淵に迷いは薄れているので、躊躇うことなく黒田に向かった。 「それから、この意味教えてくれるよね?」  勝気に下から覗いて言う黒田は策士のようだ。   「それは、疑ってなくても言いづらいというか」 「へぇ、言いづらい意味なんだね! どんなことが言いづらいんだろう?」  自覚しないではいられない程、綺麗に誘導されている。  だが、田淵自身もこの流れに乗ってしまった方が言いやすいことを知らずに、まごついてしまう。「いつも、ありがとうって意味だけど、いつもはまだ使う早い気がするし……」。 「そっかー、感謝のハグかぁ。残念」  この話に終止符を打とうと席を立つ黒田に、ようやく、田淵は流れに乗れなかったことを悔やんだ。言いやすい雰囲気にさせられていたのではなく、してくれていたのだ。  しまった、そう思っても時既に遅しである。後悔先に立たず、歯痒さを実感していれば、「ササッと晩ご飯作っちゃうから、お風呂先にどうぞ」と田淵の予感通り終止符を打たれてしまった。    外から帰ってきたのは黒田で、お風呂に入りたいのは彼だろうに。  言われた通りにするのが今はセオリーだと思った田淵は、湯船に浸かって恥を洗い流すことにした。  脱衣所を出ると一気に熱気が逃げ出して、身体に冷涼感をもたらしてくれる。 「ゆっくり入ってたみたいだね。でもごめん、ご飯もう少しかかるから先にお茶飲んで水分補給しといて!」  テフロン加工の施されたIH専用のフライパンを左右に揺らしながら、黒田は事前にテーブルに冷えた茶を用意していた。  汗をかいた身体に冷たい茶が口内から食道、胃へとひんやり冷やされていく。    よく考えれば、自作自演をしたとしても、ここまで優しくする理由がますます見つからない。  談笑しながら飯を共に食すことに楽しみを見出してくれたのも、彼の自作自演の範囲内だったとすれば、さらに彼の目的が分からなくなる。  尤も、黒田は「仲良くなれて嬉しい!」と言ってくれた。嫌がらせを行う時点で相反しすぎている。  用意された夕飯を美味しくいて頂いて、普段飲まないお酒まで勢いで飲んでしまった。    「ヒロキさん、今日久々に飲んだから、飲みすぎたかもね」田淵自身が自覚するよりも先に席を立って、ふらつく田淵を支える。  黒田には感謝の意を口にするが、自身の脳からは正常に司令を出していないらしい。    本来はこのままトイレに行きたかったのだが、支えられてもそれからの立ち上がりができない。 「トイレ、行こうとしたんでしょ?」  黒田の先読みに今はツッコむエネルギーは残されていないので、黙って頷く。    田淵は一生懸命に「自力で歩け」と脳の司令官に指示を出しているのだが、どうやらサボタージュしているらしい。思考さえ、簡素なものしか司令官に伝えられず、それ以上の指示が思いつかない。 「……呂律が回っていないな」  黒田の冷静な言葉を体系的に捉えはするものの、大した発語をすることはできず、やはり、呂律が回っていない状態で返事をする。 「むりしないでいいから。トイレ一緒についていくから、その後水分とってアルコールの濃度下げようね」」    田淵の記憶はここで途切れることになる。

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