16 / 104

第16話

 田淵は、横に眠る眉目秀麗な黒田に背を向けた。  全身の震えが動揺となって、恐怖を訴える。そのせいで、開いた眼が120%全開である。  首筋を隠すように触り、小刻みに揺れる身体。 (黒田君……僕が知らないところで僕を撮ってた……? 今日のヤツ? ——も? 前はいつ撮ったの? え、え)  背からは玉のような汗が、滲んではシャツに吸収されていく。  それから、重たくなった腰を懸命に上げると、つぎに倦怠感に似た気怠さが田淵を襲う。    田淵の精一杯の忍び足でベッドから降り、脱衣所の鏡の前に立つ。  やはり、青痣を通り越した赤黒い鬱血痕が、大きく首から鎖骨にかけてアンバランスに咲いていた。下敷きのようにある噛み痕も、猛獣の甘噛みに似た歯形がくっきりと、対峙する自身の首にはあった。  お世辞にも情熱的だとは言えない。しかし、初めての田淵の尻を理性の保つ限りで案じてくれたことや、快感の逃げ道であった手を握られたことを挙げれば、彼は感情的だった。  そして、一般的な話で言えば、首筋のキスマーク(黒田のは、もはや動物的なマーキングに近い)が独占欲のサインだと聞く。    黒田なりの独占欲だといい、そんな淡い期待を持ってしまう田淵は、震えを忘れている。  ——「好き」の言葉を直接貰っていないが。  「好きな人にマーキングされる……」と今度は痕を対面に映る自身を凝視して触れる。    それだけで、多少の疼きが蘇る。彼の思うところが何処にあって、どのような形をしているのか、聞かなければわからない。分からないのだが、此処に印された痕はきっと純粋な気持ちが表れているはずだ。でなければ、「ヒロキさん、俺も大好きだから。本当に大好き」の言葉を、田淵の狸寝入り中に出るだろうか。  それがあるからこそ、田淵は今、震えを止め、彼の根幹を知る必要があると痛感したのだ。  今日撮ったという動画も悪用しなければ、それまでのことだ。  ——だが、以前のものは?  今日の動画の件は、AVの代替品として使われるような、恋人ならではなのイベントとして捉えれば、噛み砕けないことはない。だが、以前のものの用途が全く予想がつかない。ましてや、二人で撮っているものはないため、どのような画像があるのかさえ把握できていないのだ。  田淵は両頬を軽く叩く。  無論、黒田宅へお邪魔した初日から固く釘を刺されていた事を、これから破る決意だ。  尤も、それぞれの自室に許可なく入ることはしなかったので、暗黙の了解のうちに収まったと思っていたが、今日、それを冒す。  田淵の自室の向かいにあるドアに開け入る。   「わぁ、ここにもベッドある……え、じゃあベッドって、それぞれの部屋とリビングの奥にもひとつあるから……3つ?!」  自室のベッドは、お互いにあまり使わなかったので、どちらかの自室で二人揃って眠ることは初なのだ。  一緒に眠っていたベッドではなく、なぜ田淵の自室のベッドに寝ているかはさておき、この部屋に入室した時から、言い得ぬ不安が付き纏い始めている。  渡す程もないベッドと机と大きめのクローゼットのみの簡素な部屋に、彼の根幹が見つかるかもしれない。 「それにしても、ここにベッドがあるなら、お互いそれぞれの部屋で寝ればよかったのに。なんでいつもあそこで二人一緒に眠ってたのか、不思議に思えてきた」  良くも悪くも簡素な部屋は、机上にあるデスクトップのPCがインテリアの一部となって、彼の部屋のイメージを手助けしているように思う。  そして、それしか目に止まるものはない。  デスクトップにする程の処理速度を必要とする研究をしているのだろう、そう勝手に思い込んだ田淵だが、彼の根幹を探すには此しかなさそうである。  良心が痛む気がしたが、大学院で扱う情報を見たとしても漏らさないと心の内に誓いを立て、起動ボタンに触れた。  ここまで能動的にさせたのは言うまでもなく、黒田が田淵へ人知れず想いを吐露したからに他ならない。  PCひとつで生計を立てている田淵にとって、許可なしにPCを覗く行為もこれまた暗黙の了解では不法侵入と同義だ。  それを重々と念頭に置いた上で、他言無用の誓いを再度立てる。  

ともだちにシェアしよう!