54 / 104
第53話
「筆跡鑑定してもらうからてきとうに字を書いてくれる?」と言われたのが、優しく抱かれた直後のことであった。
田淵の喉からショックの音がひゅ、と鳴る。
それを聞いた黒田が慌てて、ベッドに横たわる田淵をそっと抱き上げ自分の膝の上に乗せた。
「怪しい、書類を見せられてしまったんだよね。・・・・・・その、ヒロキさんが言うクサイ秘書さん? に。だから、その書類が偽装されたものを裏付ける証拠になればと思ってね」
「田淵の印鑑だって・・・・・・ね。どうにかしようと思えばどうにでもなるだろうし」と安易に黒田裕子の存在を想起させた。
「じゃあ、僕が書いた書類じゃないって証明されたら、黒田君は有利になる?」
「そうだね。でも証拠は他にも揃ってきたから、そろそろ行動起こしてもいいかなとは思ってるところなんだ」
「というかなんでこんな事になったんだろう? 急じゃない?」
そこで黒田が沈黙を作り出した。
「・・・・・・落ち着いて考えれば、不可解だな。こうなる決定打のようなヤツは社長との間には無かったはず」
「俺はヒロキさんと起業するんだし」何でも無いように、呟く。
それが田淵には感慨深いものがあって、心音が跳ねる。
卓上に紙とペンを持ち出して、自身の名前を書いた。
「そう言えば、ヒロキさんの手書きの字を初めて見たかもしれない」
「そうかな?」
「うん――すごく達筆だね」
「そりゃ、有段者だからね」
「は?!」
「うん?」
双方顔を見合わせて、交錯する感想に脳内の処理速度が低下する。
「書道経験ある人だったんだ」
「そうだね、再開してもうちょっと頑張れば、師範代とれるところまでは段持ってるよ」
「はぁぁぁ。道理で。これだと筆跡鑑定する必要すらないんだけど、あの人達はきっと公的に証拠がないと喚くだろうから、一応この紙は預からせてもらうね」眉尻を下げて、いかにも残念そうに言うので、田淵はおずおずと提案してみる。
「僕が書いたヤツ、見てみたい?」
「え、あるの?!」田淵が思うより食いつきが良い。それに少し機嫌を良くした田淵が、実家にあることを伝えた。
「――俺が取りに行っていい? お母さんにもちょっと用事あって」
「あ、そっか。本当のお母さんだもんね」
「僕たち下手したら義兄弟になってたんだ、危なかったんだよ」
「・・・・・・それは恋人にこだわってるから?」
黒田はにんまり嬉しそうにいった。「ご名答」。
そうして、田淵が直筆で名前を書いた紙を片手に、「早速、書類の偽装を証明して、カタをつけてくるよ。・・・・・・家で待っててくれる? もし、俺だけじゃ負けそうな時は、ヒロキさんに助けを求めるからさ」頬にキスを落とす。
「秘書さんが来たらどうしよう?」
「俺が居ない間はもう無視していいよ。どうせ契約の話だろうし」
「そうだね。じゃあ、行ってらっしゃい」
「行ってきます――カメラ、いじっちゃ駄目だよ。俺、案外騙されやすいみたいだから」
その言葉に、多少の罪悪感を煽られながらも、黒田を見送った。
「僕ができるのはこのくらいなんだよね・・・・・・隣で一緒に闘ってあげられたらいいけど、こういうのは変に出しゃりすぎると、かえって邪魔になるしな」
ともだちにシェアしよう!