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第53話

 「筆跡鑑定してもらうからてきとうに字を書いてくれる?」と言われたのが、優しく抱かれた直後のことであった。  田淵の喉からショックの音がひゅ、と鳴る。  それを聞いた黒田が慌てて、ベッドに横たわる田淵をそっと抱き上げ自分の膝の上に乗せた。 「怪しい、書類を見せられてしまったんだよね。・・・・・・その、ヒロキさんが言うクサイ秘書さん? に。だから、その書類が偽装されたものを裏付ける証拠になればと思ってね」  「田淵の印鑑だって・・・・・・ね。どうにかしようと思えばどうにでもなるだろうし」と安易に黒田裕子の存在を想起させた。 「じゃあ、僕が書いた書類じゃないって証明されたら、黒田君は有利になる?」 「そうだね。でも証拠は他にも揃ってきたから、そろそろ行動起こしてもいいかなとは思ってるところなんだ」 「というかなんでこんな事になったんだろう? 急じゃない?」  そこで黒田が沈黙を作り出した。 「・・・・・・落ち着いて考えれば、不可解だな。こうなる決定打のようなヤツは社長との間には無かったはず」  「俺はヒロキさんと起業するんだし」何でも無いように、呟く。  それが田淵には感慨深いものがあって、心音が跳ねる。  卓上に紙とペンを持ち出して、自身の名前を書いた。   「そう言えば、ヒロキさんの手書きの字を初めて見たかもしれない」 「そうかな?」 「うん――すごく達筆だね」 「そりゃ、有段者だからね」 「は?!」 「うん?」  双方顔を見合わせて、交錯する感想に脳内の処理速度が低下する。 「書道経験ある人だったんだ」 「そうだね、再開してもうちょっと頑張れば、師範代とれるところまでは段持ってるよ」  「はぁぁぁ。道理で。これだと筆跡鑑定する必要すらないんだけど、あの人達はきっと公的に証拠がないと喚くだろうから、一応この紙は預からせてもらうね」眉尻を下げて、いかにも残念そうに言うので、田淵はおずおずと提案してみる。 「僕が書いたヤツ、見てみたい?」  「え、あるの?!」田淵が思うより食いつきが良い。それに少し機嫌を良くした田淵が、実家にあることを伝えた。 「――俺が取りに行っていい? お母さんにもちょっと用事あって」 「あ、そっか。本当のお母さんだもんね」 「僕たち下手したら義兄弟になってたんだ、危なかったんだよ」 「・・・・・・それは恋人にこだわってるから?」  黒田はにんまり嬉しそうにいった。「ご名答」。  そうして、田淵が直筆で名前を書いた紙を片手に、「早速、書類の偽装を証明して、カタをつけてくるよ。・・・・・・家で待っててくれる? もし、俺だけじゃ負けそうな時は、ヒロキさんに助けを求めるからさ」頬にキスを落とす。 「秘書さんが来たらどうしよう?」 「俺が居ない間はもう無視していいよ。どうせ契約の話だろうし」 「そうだね。じゃあ、行ってらっしゃい」 「行ってきます――カメラ、いじっちゃ駄目だよ。俺、案外騙されやすいみたいだから」  その言葉に、多少の罪悪感を煽られながらも、黒田を見送った。 「僕ができるのはこのくらいなんだよね・・・・・・隣で一緒に闘ってあげられたらいいけど、こういうのは変に出しゃりすぎると、かえって邪魔になるしな」

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