社長自ら、契約書を卓上に置いた。打って変わって従順になることに違和感を覚えた黒田は、社長の言動を注視しながら、話を続けた。 「では、この契約書は無効ということでいいですね？」 「それはもちろんだ。相手様が納得いってない状態で勝手に履行させるのは、俺のポリシーに反するのでな」 「そうですよね、社長」 （ポリシーもクソもあるかよ。もとから駄目だっつの） 「それで、もう一つ。最初の議題でもあった廣田さんのところの手直しの件についてですが、決算書の相違はどうしましょう」 　廣田は息を呑んで、黒田を睨めつけること止めない。 「社長は廣田さんが俺に怨恨の類で決算書の改ざんを行っ――」 「飛露喜」 　社長が口を挟む。「さっきの契約書の件、遺憾だがこちらの不手際――いや、完全なる不正だ。責任を本人に取らせて被害者にも慰謝料を払わせてくれ」。 「社長･･････？」 　廣田は嫌疑の目を社長に向ける。 「それは当然でしょう。社長もグループの長として、何らかのペナルティは負うべきですよ」 「それは、そうかもしれんな。監督不行き届きという点に置いては、減給なり、対策を練るなりして果たすことにする。ただ･･････実行犯については、処遇を解雇とするほかあるまいな」 　それを側で聞いていた秘書は、目を潤ませて声を荒げた。「どういうことです！！　私は、契約を一旦保留になったことを伝えたら、社長が･･････っ社長がこうしろと、おっしゃったじゃないですか！！」。 「･･････それで、犬飼君。言い訳は終わったかい？」 「――っ」 　唇を噛み締めて、これ以上流れる涙と憤怒の感情を抑えようとしている。 　 「証拠もない君は、第一秘書、今日をもって――解雇だ。お疲れ様」 （社長やることが汚いな･･････） 　惜しげもなく、有能であろう秘書を切り捨てたのだ。黒田の血が流れていることをありありと実感させる瞬間だった。 　痴態を晒すことを恐れ、秘書は「失礼します」と去っていく。泣き寝入りという言葉にはそぐわない瞳をしていたので、今後何かしらのアクションがあることを想定した。 （危ない。証拠物の提示する順番を間違えていたら、俺も標的になっていたかもしれないじゃないか――あれは絶対、黒田に何かしらの報復をするつもりだぞ） 「社長･･････決算書のこと」 　廣田は重苦しい空気にも関わらず、社長に口を出した。 　 「それで、飛露喜。田淵君の件はこれで解決してくれるな」 「･･････はい」 「じゃあ、ちょっと休憩しないか。息が詰まってね。それから話と行こうじゃないか。廣田君は、もう帰ってくれていいぞ。何で呼ばれたのかわからんが、とんだ無駄足を踏ませてすまない」 （そうはさせるか） 「いいえ、すぐに終わりますので、ササッと最後まで話してしまいましょう。廣田さんも是非、そのままで」