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第102話

 日本経済雑誌には「今後20年存続し続けるだろう企 業No.1社長--黒田飛露喜35歳--新進気鋭の若手社長が、起業の極意を語る」という書き口を冒頭に、雑誌のメインを飾っている。  しかし、読めば読むほど笑いがこみ上げてくるのは、この読者が社長の身内であるからに違いなかった。 「黒田君、どこのモデルさんの取材なの? てくらいプライベートなことしか喋ってないじゃん!!」  キッチンで優雅にコーヒー豆の焙煎から拘っている黒田に揶揄する。   「実際の経営の舵は廣田が指揮を取ってるし、極意なんてものは人それぞれだ。人の上に立とうとする人間が、人の極意をそのまま真似るような奴はきっと成功しない」 「経営者だなぁ」  淹れ終わった珈琲を二つ、田淵の座る卓上に置く。 「ヒロキさん今日は仕事の日じゃない?」 「あ、そうだった!!」  指摘されて時計を確認すると、既に三時を回っている。  「でも、隣が仕事場だしなぁ……」黒田からの珈琲を啜って落ち着きを取り戻す。 「でも、その方が俺は通いやすいからすごく助かるんだよね」 「僕も、必ず来てくれるからいいんだけどね!!」 「来週が清書の日だから、今日はお手本の形を捉えるところかな?」  黒田の確認で田淵が思い出す所業である。気を引き締めるように、残りの苦さたっぷりの珈琲を飲み干す。それから、席を立って「先に準備してくるから、またね」田淵はいった。  玄関ドアからわずか数歩、隣の部屋の鍵を解錠して中に入る。アトリエのような生活感のない雰囲気と、墨の匂いが充満している。  そう言えば、昨日個展のためにこの部屋に引きこもっていたことを思い出す。  我が家と同じ間取りの部屋だから代わり映えもない。我が家でいう黒田の自室が田淵の仕事場では田淵専用の部屋で、生徒は誰も入ることはできない。  大きなダイニングに新聞紙、練習用の紙、それから座布団を並べていると、次々と玄関ドアが開けられる音がする。 「先生ぇ今日清書の日ー?」 「今日は新しいお手本配るから、練習用の紙10枚だよ」  小学生の男の子らが口々に「えー、いつも多いよー」と愚痴る。それでも田淵が「今日は終わった人からおやつがあるから頑張ろうね」というと、俄然やる気を出すので、現金な小学生に眉尻を下げるしかない。 「っしゃー! おやつってチョコ?」 「お、正解」 「マジで?!」  「あのチョコバー?」一人の男の子が聞く。 「そうだよ!」 (ラムレーズンは僕が食べるから抜いてあるんだけどね)  小学生は大喜びで習字道具を広げている。すると、遅れて「こんにちはー!」と入って来たのは黒田。 「あ、黒田のおっちゃん! 今日おやつ出るってよ!!」 「え、マジ?」 「しかもあのチョコバーらしいぜ」 「うそー! 俺の好きな奴じゃん!」 「俺も好きー! 黒田のおっちゃんは何味がいい? 俺は断然ミルクー」 「お兄さんはね……」 「おっちゃんだろ!」 「お兄さんといえっていつも言ってるだろ! ガキども!」 「わーこわ」  全くといいほど動じない小学生らは、黒田のことを完全に舐め切っている。  黒田も小学生相手に、手加減をあまりしないために、田淵はヒートアップしないように拍手で一静させた。  このくだりを毎週繰り広げいているので、飽き性でない黒田の所為とでも言えるだろう。  ある程度小学生がはけてくると、部活を終えた中高生が入れ代りで入ってきた。これを大人の部まで続ける。  三時頃に職場へ行き、大人の指導も終える頃には夜の22時を迎えている。  それまで黒田は当然のように残っているのだから、愛妻ぶりが窺える。 「ヒロキさんお疲れ様」  そして、差し出されたのはラムレーズン入りのチョコ。  「キッチンの棚みて、ストックしていたのが一気に減ったから、今日出すのかなって思って。ま、大好物の奴は数本しっかり手元にあったから、持ってきたよ」黒田はいやらしく口角をあげた。                                   --完--

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