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鷹取光輝03

 ごめん……?  何をそんな……謝られるようなことがあっただろうか。  目をあける。目尻から耳にかけて、涙の流れた跡が引き攣る感覚。ごしごし、とこすりながら身体を起こす。早坂はいない。もう、陽はかなり傾いている。ベッドから足を出すと、自分の影が思ったよりも長く伸びた。  家の中は、時が止まってしまったみたいに静かだった。  ひとの気配が感じられない。早坂……早坂はどこかに行ったのだろうか。階段を下りてリビングの方に向かうと、ぼそぼそと話し声が聞こえてきた。ああ、何だ、ここにいた……父さん……父さんも、帰ってきていたのか。  ドアノブに手をかけ……でもふと、思いとどまってしまう。  ふたりの間に流れる雰囲気が、いつもと少し、違っていたからだ。  主と使用人、という距離感じゃなかった。かといって目を覆いたくなるような、あやしげな雰囲気があるわけでもない(むしろそうだったら、とっとと割り込んでいた)  リビングに続くドアの、ガラス部分に額を寄せ、覗き見る。早坂と父の声が、交互に、途切れ途切れに聞こえてくる。「どうしたら……これから……」「まだ……安定していなくて……」「薬が……」「一度ちゃんと検査してもらった方が……」「そんなに……なのか……発情……は……」「光輝は……」  発情。  確かにそう、聞こえた。  カッと頭の芯が熱くなった。まさか……早坂……あいつ、まさか……父さんに喋ったんじゃないだろうな。  冷静に考えたら、分かる。そんなの、いつまでも隠しとおせるはずはないってこと。いつかはちゃんと話さなくちゃいけない。でもそれは、今じゃなかった。自分でも整理しきれていないのに、余計な心配をかけたくなかった。それに言うなら、ちゃんと自分の口から言いたかった。なのにあいつ、一体何の権利があって……!  小さな子どもみたいに泣いて縋ったことが急に恥ずかしくなる。よりによって何であいつなんかに、全部さらけ出してしまったんだろう。何ですんなり……指……を……受け入れて、よがってしまったんだろう。異常事態だったとはいえ、どうして助けを求めてしまったんだろう。ああ……自分は、どうしようもない……馬鹿だ。意地でも受け入れるべきじゃなかったのに。  今、中に入って注目を浴びる勇気はなかった。でもこのまま、何も知らなかったフリをして立ち去るのも癪だった。  そのとき突然、早坂が顔を手で覆ってうずくまった。父がその肩を抱いている。  何なんだ……一体……  父が早坂にふれているところを見ると、条件反射的に、ぞわっとする。夜の時間が始まる合図のようにも思える。光輝は明らかに部外者……  早坂の肩が震えている。とりあえず、快感に震えているわけじゃないと分かってほっとしたが、また別の疑問が浮かび上がってくる。泣いている……?  どうして早坂が泣いているんだ。それは、父とやりまくっていた……以上に、見せつけられて戸惑う光景だった。早坂はしきりに、「すみません」と繰り返している。「すみません、私のせいです、すみません、すみません……」丸まった背中が、さらに小さく、丸まっていく。それを追うように父の姿勢も低くなる。「ごめん……」一瞬、泣き崩れる早坂の姿が、さっきまでの自分の姿と重なってみえて、ぞくりとした。絶望にうちひしがれる姿…… 「こんなことに……なるなら……」 「馬鹿なこと考えているんじゃないだろうな」  父が早坂の両肩をつかみ、何とか顔を上げさせようとしている。けれど早坂はぐったりして、父が少し力を抜くとすぐ、くずおれてしまう。 「俺はあのときの選択が間違っていたとは思わない」 「晃人」 「俺たちの選択が間違っていたとは思わない。絶対。……絶対、意地でも、間違っていたなんて……言わない、誰にも言わせない……修哉」  あきと……しゅうや……

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