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第42話

■都内某所 船神組事務所  本日も征一郎の眉間の皺は深い。  昨日、ちびが熱を出したのだ。  初めてその身体を抱いた翌朝、腹を空かせた征一郎が食べるものを物色しにキッチンに行っている隙に目を覚ましたちびは、起き上がろうとしてベッドを転げ落ちたらしい。  寝室から鈍い音がして見に行くと、ちびがベッドの下に転がっていて、大層慌てた。  駆け寄って抱き起こした体は熱く、体温計はないので測る術はなかったが、明らかに発熱していた。  苦痛を感じているようではなかったものの、かなりぼんやりとして、離れることをとても嫌がるので、昨日は一日そばにいた。  唯一ちびの体について詳しいはずの芳秀に電話もしたが、『唾でもつけとけ』程度の態度であった。  あの外道に手厚い対応を期待していたわけではないが、だからといって腹が立たないわけではない。 「(くそ……結局何もわかんねえんじゃねえか)」  行為の後、怪我をさせてないかと洗うついでに隅々まで確認して、内部も含め損傷は見当たらなかったので、炎症などによる発熱ではないだろう。  疲労だろうか?耐久性が高いなどと嘘ばかりだ。  今朝になると多少ぼんやりしながらも、いつものちびに戻っていたように思う。  昨日征一郎を引き留めたことを平謝りしていた。  謝るよりも甘えられた方がありがたいのだが……そういう性分ではないのももうわかっている。  征一郎が望んで抱くことで、征一郎のそばにいたいちびのエネルギーの供給にもなるのであれば一石二鳥でめでたしめでたし……と思っていたのに、悩みは増える一方だ。  唸っていると、ドアがノックされた。  一先ず悩みを追いやり、「入れ」と短く許可を出す。 「失礼します」  入ってきたのは、舎弟頭の一之江巽だった。  襟足が長めの黒髪をラフに後ろに流し、鋭い目元はしかし涼しげで、派手な美形ではないが整った顔立ちをしている。  若者の多い征一郎の組の中でも若手の方だが、愛想のなさとは裏腹に面倒見がよく、また機転もきいて戦闘力も高いため、一年ほど前に役付きに抜擢した。  以来、征一郎の期待を上回る働きをしてくれている。 「何かあったか、巽」  問えば、一之江は静かに語りだす。 「先日の秀峰社の護衛の際なのですが、妨害工作を受けました」  わざわざやってくるのだから、何か重大なことかと身構えていたのが、脱力する。  征一郎自身は一切興味はないが、トップの息子ということで次期会長候補と考える内部の人間は多く、仕事の妨害などいつものことである。  一之江もそれに慣れているはずなのだが。 「……わざわざ報告するほど、何か問題があったのか」 「こそこそと逃げていくのが樋口のところで見かけたことのある奴だったので、一応ご報告を」  樋口組は黒神会の中でも十本の指に入る大幹部である。  組長が芳秀を毛嫌いしており(そもそも芳秀を好きだという人間を見たことはないのだが……)、そのとばっちりで征一郎にも嫌がらせをしてくる。  つまり、近々開かれる幹部の『寄り合い』で顔を会わせる機会があるので、気を付けろという忠告だろう。  こんな風に、一之江は面倒見がいい。 「お前は心配性だな」 「自分達は入口までしかついていけませんので」 「ま、俺は頼りねえかもしれねえが、月華がいるから大丈夫だ。あいつらも白昼堂々俺に何かしてくるってことはねえだろ」 「………………」  一之江は征一郎の楽観的な言葉に納得できていない気配だ。  面倒見がよすぎるのも困りものだと征一郎は苦笑する。 「それよりお前はちゃんと帰ってんのか?ここんとこ仕事押し付けてさっさと帰ってる俺が言うのもなんだが、いつも一人にしといたらかわいそうだろ。ちゃんと構ってやれ」  気遣いに一之江が無言で頭を下げる。  実はこの愛想のない男は、学生時代から想い続けていた相手と晴れて同棲する事が叶ったばかりなのだ。  あまり根を詰めずに、プライベートの時間を大切にしてほしい。  それに対して一之江が何かを言いかけた時、ノックが響いた。 「征一郎さん、いっすかー?」  許可すると気の抜けた声で入ってきたのは、本部長の葛西だ。  人のよさそうなタレ目の短髪に、ちょろりと一束しっぽがついている。 「お前までどうした、葛西」 「よかったらこれ、ちー兄ぃのお見舞いに」  差し出されたものを受け取ると、小洒落た容器に入ったプリンだった。  先日、ちびが体調を崩したからと連絡を入れたので、心配していたようだ。  ちなみに『ちー兄ぃ』とはちびのことである。  姐さんじゃないから兄ぃ、…らしい。  学生時代からの付き合いだが、葛西のセンスはいつも独特だ。 「ありがとな。渡しておく」 「心配ですよね。事務所のことはたっつんとみずっちで何とかしますから、早く帰ってあげてください」 「……お前がなんとかするんじゃないのか、本部長」 「俺はお飾りなので☆」  テヘッと舌を出した葛西に、征一郎は目を眇めた。 「巽、お前も帰っていいぞ」 「ちょっと!?みずっち一人じゃ死人が出ますって!」 「お前がなんとかしろ」  葛西は適当なところもあるが、いい奴だ。  心配性の一之江といい、本当に自分は仲間に恵まれているなと、征一郎はあたたかい気持ちで笑った。

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