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第54話

■都内某所 征一郎宅 ダイニング  翌朝から、ちびは少しではあるが征一郎と同じものを食べられるまで回復した。  いつの間にか増えていたホームベーカリーで作られた焼きたてトーストにかじりつくちびを見て、征一郎は心底ほっとする。 「また普通に食えるようになってよかったな」 「うん……征一郎のおかげだね」  感謝の眼差しを向けられると、何とも複雑だ。  主である征一郎の体液がちびを復調させたにしても、気付かず供給を怠ったり、原因は不明だが行為の後熱が出たり、具合を悪くしたのも征一郎のような気がする。  昨晩も欲しそうな様子を見せたので、口でさせた。  一方的に奉仕をさせているようで気が引ける部分もあるが、口から摂取させる方がちびへの負担は少ないように感じる。 「体調もよさそうだし、今日は事務所に遊びに来るか?」  征一郎の提案に、ちびは目を丸くする。 「え………、おれが行ってもいいの?」 「今日は一件来客があるだけでな。終わったらどこか遊びに連れてってやるよ。どうだ?」 「い、行きたい……!」  ちびは大きな瞳をキラキラさせて何度も頷いた。  そうありがたがるほどの場所ではないが、基本的に気のいい奴らばかりが集まっているし、気軽に出入りできるようになれば征一郎と離れている時間を減らせるだろう。  安全面においては心配もあるものの、征一郎が事務所にいるときのみに限れば、ちび一人守りきる自信はあった。  以前の外出の時、ちびはとても楽しそうにしていた。  征一郎といられるから……というのもあるのだろうが、人と話したり色々なものを見るのも好きなのだと思う。  当初考えていた就学や就職は体質のことを考えると難しいかもしれないので、連れ出せる範囲で外の世界を見せてやりたい。 ■都内某所 船神組事務所  征一郎がちびを伴って事務所に入ると、柄の悪い男達の野太い挨拶と共に物珍しそうな視線が突き刺さった。  当然の反応だと内心苦笑しながら、ちびを一歩前に押し出す。 「篠崎や葛西から話を聞いてるとは思うが、こいつがちびだ。今日は俺の接客中構ってやってくれ」  姿を見るのは初めてでも、ちびの存在は組員全員の知るところだ。  紹介をするにあたって、いつも対外的にこの名前でいいのだろうかと思うが、今更別の名で呼ぶのも違和感がある。  ちびは特に呼ばれ方にこだわりはないようだ。この呼び方で今後何か問題が生じるようであれば名前を考えようと思う。 「よ、よろしくお願いします…!」  無遠慮な視線にさらされながらも、ちびはきちんと頭を下げた。  神棚と額に入った『天衣無縫』の文字。無骨な応接セットが置かれており華美さはないが、一般的なヤクザの事務所だ。  そんな場所で、征一郎含む極道の男達に囲まれたちびはあまりにも浮いていた。 「くだらねえちょっかいかけるようなバカもいねーとは思うが、瑞江、何事もないように見張っとけ」  ちびは芳秀から預かった、黒崎の身内ということにしてある。  それを知っていてなにかしてやろという命知らずはいないだろうが、ちびには男を惹き付けるという謎の体質があるので、牽制と用心は双方の身を守ることになるだろう。  頼まれた瑞江は、目にかかる長めの前髪の下、いつも通りの無表情で大きく頷いた。 「あらかじめ全員を動けなくしておけば間違いも起こりようはないかと」  理論としては正しいが、徹底的に間違っている。  やれと言えば実行に移すだろう。瑞江は平素は物静かで冷静な男だが、一度銃器を手に取ろうものなら弾が切れるまで撃ち尽くすトリガーハッピーなのだ。  銃と内職以外に興味がないからちびの身も安心だと考えて頼んでみたが、著しく人選を誤ったようだ。 「やっぱりお前はちょっと来客用の菓子でも買ってこい頭を冷やせ。……葛西」  代わりに呼んだ葛西は、わかっているというように大きく頷く。 「ちー兄ィが未来の姐さんだってことを、隅々まで浸透させればいいんですね!?」  違うそうじゃない。 「篠崎を呼べ!」 「篠崎さんなら来客用の菓子を買いに行ってますよ」  あっさりと瑞江に返されて、征一郎は頭を抱えた。  それは明らかに組のナンバーツーの仕事ではない。  ……わかっている。篠崎は自分以外が行くとろくなことにならないことをよく知っているのだ。   苦労をかけるな……と今はいない篠崎を労いながら、征一郎はもう一人の常識人である一之江の不在を嘆いた。 「…とにかく、俺のいない間、転入生を囲む小学生みたいな絵面になるなよ」  思い付きでちびを連れてきたことを少し後悔する征一郎であった。

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