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第59話

■都内某所 征一郎宅 リビング  二人で出かけた日の翌日、朝から事務所に用があるという征一郎を送り出したちびは、のろのろとリビングに戻り、ソファに座るとほっと息を吐き出した。  九割は夜まで会えない寂しさ。そこに少しの安堵が混じっている。  昨日は征一郎に外に連れて行ってもらえて、とても幸せだった。  征一郎はいつも優しいが、殊更に眼差しが柔らかかった気がする。  自分は彼にとって何かとても特別な存在なのではないかと勘違いしてしまいそうなほど……。  征一郎といると、貪欲になっていく一方の心が、ちびにはとても恐ろしい。  寂しくとも離れて、冷静さを取り戻す時間が必要だ。  当初、ちびは恋人になりたいとか、一番でいたいとか、そんな風に思っていたわけではなかった。  ただそばにいられればいいと思っていた自分は、肉体を伴って誰かのそばにいることがどういうことなのか、『ちび』になる前は実体どころか個の意識すらなかったのだから仕方ないとはいえ、何もわかっていなかったのだ。  『どんな関係か』『何故そばにいるのか』がこんなにも大切だなんて。  ちびにもまた、欲望が生まれていた。  征一郎は、ちびをとても大切にしてくれている。  それがどんな感情でも嬉しいはずなのに、『自分が一番だったらいいのに』と、考えてしまうのだ。  人間の形をしているが人ではなく、征一郎からの供給がなければすぐに弱ってしまうこんな体の自分では、そばにいるだけでも負担になっているというのに。  わかっているのに、離れたくない。  征一郎も同じ気持ちでいてくれたらいいのになどと考えてしまうのはよくないことだ。  せめて自分に、彼を助けられる、芳秀や神導のような常人離れした能力があれば……。  人ではないのだからあってもいいはずの超常的な力は、ちびの身体スペックが低すぎるせいで使えないと芳秀に言われた。  あのチートしかない黒崎芳秀に作られたというのにそんなクォリティって自分……。  考えれば考えるほど暗い気持ちになってきて、ちびはこれではいけないと首を振った。  征一郎はちびの元気がないととても心配する。  とん、と勢いをつけてソファから降りて、ぎゅっと両手を握った。 「洗濯、しよ」  現状、ちびが征一郎のために出来る最大のことだ。  家事下手とかドジっ子などのいらないヒロイン属性を付与されていなかったことだけは、芳秀に感謝しなければ。  あの男なら、征一郎への嫌がらせのためにそれくらいのことはやりかねない。  先に布団を干そうかとベランダの方に視線を向けると。 「(雨だった……)」  そういえば、起きた時に暗いなと思った記憶があった。  洗濯物も、布団も干せない。  征一郎にはいつもふかふかの布団で寝てもらいたいのに。  布団乾燥機を買ってもらおうかと思案しながら、小雨程度なので午後からはどうだろうかと、大気の動きを感じるために窓を開けてベランダへと降りた。  自然に関することは、『ちび』になる以前一部だったよしみで少しだけ感じ取ることができる。 「(ひどくはならなくても、晴れそうな気配はないかな……あれ?何だろう)」  外の景色をぼんやり見ていると、下の方、建物の周囲の植え込みに何か動くものが見えて目を凝らした。  視力はいい方だ。……あくまで、『人間としてならいい方』という比較で。  それは、恐らく子猫だった。  親猫の姿は見えない。  昨日の事務所での一幕を思い出し、もしかして、アニマルに優しい極道の噂を聞き付けたご近所の方がこんなところでも……という心配が脳内を巡る。 「(どうしよう……篠崎さんに連絡した方が……でもこの時間は誰も近くにいないかもしれない……」  征一郎からは、特に外に出るなとは言われていないが、それはちびが無断で出ていったりしないという前提があってのものだろう。  実際、今までちびは一人で外に出たいと思ったことは一度もなかった。  何かトラブルがあったり、必要なものがあればスマホで篠崎に連絡をするようにと言われている。  これまで、特に何事もなく、また日に何度かは様子を見に征一郎の部下が訪れるため、用があって呼びつけたことはなかった。  なので、連絡をすればすぐに対応してもらえるのかどうかがわからない。  今この瞬間にも子猫が車道の方に落ちてしまったら。  先日の子猫の小ささや温もりを思いだし、いてもたってもいられなくなったちびは、室内へと踵を返した。

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