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第68話

 自分よりも弱いものをまず先に狙うような手合いが大嫌いな月華は、去勢云々は(恐らく)冗談としても、いっそ一思いに殺してくれと懇願するような追い込みをするだろう。  樋口親子に同情はしないが、特に見たいものでもなければちびにも見せたくはない。  征一郎の報復は後日することに決め、さっさと惨状になる予定の部屋を後にし、階段をダッシュして外に出る。  蹴破って壊した裏口をくぐると、雨は相変わらずしとしとと降っていた。  車までの間にちびが濡れてしまうと一歩を出すのを一瞬躊躇うと、無人のはずの征一郎の乗ってきたバン(社用車)が何故かすっと近くに寄ってくる。  ウィンドウがするすると開き、運転席から月華の運転手をしている男が顔をのぞかせたのに驚いた。 「お疲れ様です。ご自宅までお送りしますよ」  爽やかに笑う男の名は、竹芝(たけしば)真人(まさと)。  遠くから見ると怖い兄さんに見える黒いスーツとセンターで分けたオールバック。しかしよく見ると黒目含有率が高くてつぶらな瞳である。  穏やかに笑いかけるその顔には一見善意しか見受けられないのだが、ロックしておいた車に何事もないように乗り込んでいるあたり、確実に月華の身内である。  中学生の頃はヤンチャをしていたと本人から聞いたことがあるので、昔取った杵柄か。  特にカーコード(ドレスコードならぬ)のない送迎には国産のスポーツカーを乗り回しているので、その可能性は高いだろう。 「いや、別に自分で……」  立場の絡む後始末のことは月華がいてくれれば楽だが、家に帰るだけの車の運転は特に問題ない。  断ろうとしたが、ちびのしがみつく力が強くなった気がして、言葉を止めた。  ちびを離さずに運転するのは難しそうだ。 「月華が『征一郎は交通事故くらいじゃ死なないかもしれないけど、巻き込まれたちび太が怪我したら大変だから』って言ってたので。遠慮なくどうぞ」 「ったく、そこは俺も心配しろよ」  月華らしい可愛くない気遣いに苦笑して、ありがたく後部座席に乗り込んだ。  折角自分で運転しなくてよくなったのでちびに怪我がないかどうかを確認したかったのだが、少しでも体を離そうとすると嫌がるので、戻ったらでいいかと断念する。  露出した肌にスーツのジャケットを着せかけ、見える範囲だけでも暴行を加えられた跡がないかとチェックした。  隆也の言ったとおり、暴力は振るわれていないようだ。  それでもぴったりとくっついた身体は熱く、何かを堪えるように眉を寄せているのが気にかかる。  この様子、確証はないが、以前エネルギー切れで血を吐いた時と同じように見えた。  最近はちびの様子には細心の注意を払っている。  昨晩も口から摂取させているので、こんなに急激に血を吐くほど悪化するとは少々解せない。  もしや、主以外に触れられると(拒否反応で?)エネルギーを消耗したりする仕様なのか?  しかし、だとしたら征一郎のところに来るまでは供給源だったという芳秀のことはどうなるのだろう。  月華もちびを抱き締めたりしていたし、男達に拘束されてすぐに血を吐いたわけでもなさそうだ。 「せいいちろ……」  芳秀に真偽を確かめるべきか否か考えていると、細い声に名前を呼ばれて、視線を落とした。 「どうした。苦しいのか?」  ちびはふるふると小さく首を振る。何かを言いたいようだ。 「おれ、ねこが……」 「猫?」 「ベランダから……下の方に、子猫が見えて……雨だし、車道に飛び出したらってどうしようって……」 「そいつが気になって外に出たんだな」 「……猫……、どうしたかな……」 「うちの奴らに探させとくから、今はお前が元気になることを考えろ」 「……ん……」  頭を撫でてやると、少しだけ苦しそうな表情が緩み、ふるっと身を震わせた。  そのまま撫でながら、スマホを取り出しメッセージアプリを立ち上げる。  ちびが無事なことと、この後自分は直帰すること、それから子猫のことなどを簡潔に打って葛西に送った。  すぐに既読がついて、猫が力強いサムズアップを決めているイラストのスタンプが表示される。  相変わらずお気楽な奴だ。  連絡しといたからもう大丈夫だ、と教えてやると、ちびは微かに安堵の笑みを浮かべた。

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