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幕間16

『あなたは?』  こんな時間にこんな場所にいて、寝巻きではなく闇夜に溶けそうな漆黒のスーツを纏っているということは、まず間違いなく黒崎芳秀の部下だろうとは思ったが、一応問いかけてみる。  廊下に立つ男はその場に膝をつき、当時まだ背が低かった月華と目線を近くしてから頭を下げた。 『世話係として側に控えることになりました。土岐川と申します』 『……僕の?』 『はい』 『あの人がそうしろって?』 『はい』  そうなんだ、とぼんやりとした返事をする。  監視ととるか、補佐的な人間をつけてもらえたととるか、芳秀の真意がわかったところで今の自分にできることもなく、どちらでもいい。  そんなことよりも、この灰色の世界の何が綺麗だったのかに興味が湧いた。 『さっき、何が綺麗だったの?』 『月を見上げる、貴方が』 『え…………』  まさか自分のことを言われたとは、夢にも思わなかった。  母が健在だった頃、月華は周囲の大人から綺麗だ、可愛らしいと称賛されていた。  美しい母に似ているのだから、美しいのだろうとは自分でも思う。  けれど、いかにも硬そうなこの男がぽつんと零した言葉は、それまで言われた賛辞のどれとも違って胸に響いた。  彼からすればただの感想だったのだろう。  もし少しでも欲望があれば、恋愛対象とするにはまだ若すぎる月華に、素直にそれを伝えることを躊躇ったのではないだろうか。 『僕は……きれいなの?』 『今まで、貴方のようにきれいなものを見たことがありませんでした』  その言葉の方が、キラキラしている。  恐らく、月華の境遇は芳秀から聞かされているだろう。  『世話』には外界に不馴れな月華のフォローをすることも含まれているはずだから。  知っていてなお、憐れみのこもらぬ瞳で綺麗だという。  この男が、欲しい。  今まで感じたことのないくらい、強い欲求だった。 『ねえ、さっきみたいに喋って』 『さっき?』 『綺麗だなって。そんな畏まった口調じゃなくていい』 『それを望む理由をお聞きしても?』 『土岐川のことが、気に入ったから。もっと、……ええと、仲良くしたい』 『わかった。それが、お前の望みなら』 『それから……』  土岐川はまだ盃をもらう前だったため、芳秀に『ちょうだい』と主張したらあっさりと月華のものになった。  『そんな嫌がらせしても嫌な顔ひとつしない奴楽しいか?』と聞かれたけれど、そこがいいのである。  それからずっと、土岐川はそばにいる。  この男が背中を守ってくれるから、月華は先陣を切って敵地に飛び込んでいけるのだ。  天蓋のついた広いベッドの上、月華の身体にボディクリームを塗る土岐川の逞しい腿に、思わせぶりな手つきで触れる。 「ねえ、僕がちび太みたいにホムンクルスで、体が成長しなくても望めば抱いてくれた?」 「お前が望むなら望んだだけ」 「…犯罪者」  初めて体を重ねたときに誘ったのはもちろん月華だが、そんなことは棚の上に放り投げてにたりとした。  土岐川は、それにも当然怯んだりしない。 「俺を断罪できるのもお前だけだ」  真顔でこんなことを言ってくる。  月華は小さく吹き出して手を伸ばした。 「だったら」  ネクタイを掴み引き寄せると、土岐川は素直にそのまま上体を倒す。  月華も肘をついて体を起こすと、至近の耳元に吹き込んだ。 「僕にもっと娯楽をちょうだい。僕に必要なのは休息より快楽」  楽しんでも楽しまなくても、時は過ぎていく。  だから、人生を目一杯楽しまなくては。   「全部赦すから消毒の続き……ちゃんとして?」  ネクタイをむしりとり、ワイシャツのボタンをいくつか外してやると、気付かないくらい微かに口角を上げた土岐川も、スーツのジャケットを脱ぎ捨てた。 「……お前の望むままに 月華」  唇が重なる瞬間、月華は口元を綻ばせ、満足そうに瞳を閉じた。

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