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32話
「......」
壱哉さんは一瞬、目線を下に落として直ぐに僕を見つめた。
「...そうか。」
「...はい。」
あれ?
もっと何か言われると思ってた。
甘いとか、くだらないとか、
そんな考えじゃ生きていけないとか...
壱哉さんなら、そう言いそうなのに。
「...」
「...」
き、気まずい...
それに、近い!
さっきからずっとこの距離だったことを思い出して、急に心臓がうるさくなった。
「もう、いいですか...
そろそろ時間が...」
逃げるように視線を逸らす。
「...もういい。帰れ。」
「え?」
「聞こえなかったか?」
「い、いえ!聞こえました!」
さっきまで帰してくれなかったのに...
よく分からない人だな。
壱哉さんの手が離れたのを確認して、
僕は急いでその場から離れた。
「あ、じゃあ...失礼します。」
そのままドアへ向かおうとして、
手に持っていたものに気がついた。
「あ...」
「なんだ。」
「これ...」
さっき渡された携帯。
「本当に持って帰るんですか?」
「そのために渡した。」
「ですよね...」
できれば、
「やっぱりいらない」って言ってほしかったんだけどな...
「明日から必ず持ってこい。」
「...分かりました。」
「連絡が来たら必ず出ろ。」
「はい。」
「何よりも優先しろ。」
「それは...努力します。」
「努力じゃない。」
「...善処します。」
「おい。」
「は、はい!」
やっぱりダメか...
僕は諦めて携帯を鞄にしまおうとした。
「俺専用だ。」
「え...?」
「その携帯は俺専用だって言ってる。
だから、他のやつの連絡先なんか入れるなよ。」
「...。」
え?
なんで?
連絡用なら誰の連絡先を入れたって
別にいいんじゃ...
そう思ったけど、
壱哉さんの顔を見たら言えなくなった。
「わ、分かりました...」
なんか納得できないけど...
僕のお金で買ったものじゃないし、
しょうがないよね。
「それじゃあ、失礼します。」
今度こそ帰ろうと、
ドアノブに手をかけた。
「おい。」
「...はい?」
まだ何かあるの...?
恐る恐る振り返ると、
壱哉さんは僕を見ることなく口を開いた。
「体育祭。」
「え?」
「逃げ切れよ。」
「...。」
一瞬、
何を言われたのか分からなかった。
「500点分くらいは楽しませろ。」
「...っ!」
やっぱりこの人、性格悪い!!
僕が全校生徒から追いかけ回されるところを
楽しむつもりなんだ...
「...が、頑張ります。」
「それだけか?」
「え?」
「さっきまでの威勢はどうした。」
「...。」
そんなこと言われても!!
500点なんてつけられたら、
僕みたいな運動音痴が逃げ切れるわけないじゃん!
「...できるだけ、捕まらないようにします。」
「そうか。」
そう言った壱哉さんの口元が、
ほんの少しだけ上がったような気がした。
...気のせいだよね?
「し、失礼します!」
僕は今度こそ部屋を出た。
バタンッ!
「はぁぁぁ...」
扉が閉まった瞬間、
一気に体から力が抜けた。
なんで僕が500点分も
楽しませなきゃいけないんだよ...
「絶対すぐ捕まってやる...」
...いや。
それはそれで、なんか悔しい。
「...できるだけ逃げよ。」
それにしても...
僕は鞄の中に入れた携帯を見る。
生徒会長補佐になって、
専用の携帯まで持たされて。
関わらないって決めていたはずなのに、
気づけば前よりずっと近くにいる。
「...大丈夫。」
これは仕事。
それ以上でも、
それ以下でもない。
もう同じことを繰り返すために
ここに来たんじゃないんだから。
そう自分に言い聞かせて、
僕はその場をあとにした。
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