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 体は嘘みたいに軽くなったが、それも一時的なものだ。魔道士にあんな恥態を晒し、挙げ句に助けてもらうなんて思い出しただけで耐えられない。  先程の行為を思い出してはまた体が熱くなる。宿屋へと戻る足取りも次第に重くなっていくのだ。  俯きながら歩いていたとき。  ふいに名前を呼ぶ声が聞こえた。顔を上げればそこには、近くの店の前にいた勇者がこちらに向かって軽く手を振ってくる。 「こんなところにいたのか」 「……勇者」  このタイミングであいつと遭遇するなんて。  そういえば、俺を探していたと魔道士が言っていた。まさか、またいつものように触れられるのではないだろうか。そう、身構えるが勇者の反応は俺が想像していたものと違った。 「武器運んでくれてありがとな。一人で大変じゃなかったか?」 「別にこれくらいなんてこともない。修行だと思えば……」  つい、いつもと変わらない勇者の態度に答えたあと、後悔した。そうだ、今は俺が無理して体を鍛える必要もないのだ。 「……俺、宿に戻る」 「あ、おい待てよ!」  咄嗟に掴まれた手首に体が反応する。なんだよ、と振り返れば、勇者は慌てて俺から手を離すのだ。そして。 「……たまには、外で食事しないか。二人で」 「別に、宿でも料理は食えるだろ」 「けど、シーフとは飲みに行ったんだろ?……二人きりで」 「……っ!」  どういう風の吹き回しかと思いきや、……そういうことか。シーフとの仲を勘繰られてるわけではないだろうが、その言葉にあらゆる意味が含まれていることには変わりない。  ――そして、俺に拒否権がないこともだ。 「……わかったよ。行けばいいんだろ」  以前の俺なら、わざわざこんな誘い受けずとも毎日二人で飯を食いに行っていた。けれど、こいつとの関係が変わってからというものの顔を合わせづらくて、わざと食事する時間や場所をずらしていた。だからだろう、こんな風にわざわざ遠回しな方法で誘ってきたのは。  ……性行為だけでいいのに。  飽きるほど顔を突き合わせてもうんざりすることもなかったこいつとの食事がこれほど憂鬱になるなんて。今日は何をされるのか、それを考えるだけでも体は落ち着かなかった。  勇者が俺を連れてきたのは、海沿いの小さな定食屋だ。庶民向けなのだろう、あまり綺麗な店ではないが、街の人間で賑わうその定食屋に足を踏み入れた瞬間、食欲を唆る匂いに堪らず腹が鳴る。それに気付いたのか、「好きなもの食べていいからな」と勇者は笑った。俺は何も答えられなかった。  そんな中、店主らしき恰幅のいい女店員は勇者の顔を見るなり「おお、あんたかい」と破顔した。 「やあよく来たね、あんたにはたくさんサービスしてやる。好きなだけ食べていっていいんだよ」 「いや、お金はちゃんと払いますので」 「そんなこといって、こうしてうちの店が続けられてるのはアンタたちが盗賊を捕まえてくれたお陰なんだから!ほら、隣のあんたもいっぱい食べな!」  随分気前のいい女店主だ。  盗賊の件は俺は知らないが、勇者はよく街の人間の頼み事を聞いては人助けのようなこともしている。  ――正直、嬉しかった。  俺でも変な話だと思うが、ずっと人が変わったと思っていた勇者が新しく訪れたこの街でも変わらずに人を助けてるという事実にだ。そして同時に、薄暗い気持ちになるのだ。変わったのは俺と勇者の関係だけだ、と。 「ありがとな、おばちゃん」 「……お前な」 「せっかくの好意だろ?受け取らない方が罰当たりだ」  俺の言葉に、勇者は仕方ないなとでもいうかのように笑うのだ。 「まあ、お前がそう言うなら……今回だけご厚意に甘えさせてもらうか」  その横顔が昔と変わらないことに余計胸の奥がちくりと傷んだのを俺は無視して席へと移動する。  大衆酒場やこういった食堂が活気ある街はいい街だと昔勇者が言っていたのを思い出した。話を聞く限り、それも勇者のお陰なのだろう。  様々な層の客で賑わう店内は居心地がいい。  俺と勇者は店内の片隅のテーブルで次々と運ばれてくる料理を食べていく。  勇者の顔を見ながら飯なんて食えるのかと疑問だったが、美味しそうな料理を前にしてみればそんな疑問も吹き飛び、俺は飯に食らいついていた。 「お前は本当によく食べるな」 「美味いしな。……お前の方こそ、もう少しちゃんと食えよな。よくそんなんで体が保つな」 「お前の食いっぷりを見てたらこっちまでお腹がいっぱいになるんだよ」 「……相変わらず訳分かんねえやつ」  昔からだ。最初、シーフや魔道士がパーティーに加わる前。俺と勇者の二人旅だった頃。大きな獲物を仕留める度に俺たちは二人でその街の飯屋に行って細やかながらも祝杯を上げていた。稼ぎなんてろくにない、宿代と武器防具代でカツカツながらも鍛え、クエストをこなしてはそれにあった報酬を貰う。自分たちが成長すればするほど更に上位のクエストを受注することができるようになり、武器や装備品もちゃんとしたものを身に着けられるようになっていく。  俺はそれが嬉しかった。けれど勇者はそれ以上にたくさんの人たちに感謝されることを喜んだのだ。俺は、そんな勇者のことをすごいやつだと思っていた。……まるで遠い昔のことのように思える。  新しく運ばれてきた皿を手前に引いた俺は、そこに昔よく勇者が好んでいたものを見つける。 「ほら、これお前好きだろ」  つい、昔の感覚でフォークで刺したその魚を差し出したとき、勇者が動きを止めた。  その顔に、俺ははっとする。行儀云々以前の問題だ。恥ずかしくなって、咄嗟にフォークを引っ込めようとしたときだった。勇者に手を掴まれ、腕ごと引かれる。そして、人目も気にせず勇者はフォークの先端に刺さった魚身に齧り付いた。 「……本当だ、美味しい」 「……本当に食うやつがいるかよ」 「お前が食べさせようとしてきたんだろ」 「それは……確かに俺が悪いけど、人前だぞ、ここ。お前は人気者の勇者様なんだし、もう少し弁えろって」 「わかった。……以後気を付けるよ」  本当に反省してるのか、俺にはわからないが心なしかその肩が落ちて見えた。  いつもならしつこいくせに、人前だからか。やけに物分りがいい勇者に妙な罪悪感を覚えた。  これ以上目の前で落ち込まれたら飯もまずくなる。俺は空いた更に残りの魚身を載せ、「ほら」と皿ごと勇者に差し出した。 「さっきの残ってるから、やる」 「……もう食べさせてくれないんだな」 「いらないんなら、いい。俺が食う」 「いらないとは言ってないだろ。……ありがとう、もらうよ」  ふ、と嬉しそうに微笑む勇者の顔に、息を飲んだ。……もう、見れないかと思っていた。前と変わらない優しい笑顔。  昔に戻ったみたいなんて思うだけ虚しくなるとわかってるのに、重ねてしまう。思い出し、浸ってしまう。我ながら愚かだと言う自覚はあった。  そんな中だ。 「そういえば、シーフと最近仲いいみたいだな」  思い出したように口を開く勇者に、俺は思わず食いかけの肉を落としそうになっていた。 「っ……別に、そんなことないだろ」 「そうか?あいつはお前の話ばっかりしてたぞ」  あの野郎、余計なことするなって言ったのに。  舌打ちしそうになり、我慢する。 「あいつが絡んでくるだけだ、俺は別に仲良くしてるつもりはない」  勘付かれないように振る舞おうとすればするほど次第に語気が強くなってしまう。バレやしまいかと内心ヒヤヒヤする俺の気を知ってか知らずか、勇者は僅かに視線を外した。 「俺としては、お前がパーティーの皆と仲良くしてくれるのは嬉しいよ。けど、お酒は控えろよ。……お前、あまり強くないんだから」 「……そんなこと言いたくて、わざわざ食事に誘ったのか?」 「……そうだよ」  なんだよそれ、ガキかよ。あまりにも悪びれない勇者の言葉に何も言い返せなくなる。  俺はお前のものじゃない、俺だってやりたいことをする権利はあるはずだ。そう言ってやりたいが、やめた。そうだ、元々俺はこいつに飼われてる立場なのだ。権利など、ない。 「悪かったな。……気をつけたらいいんだろ」  せっかくの飯の味もわからなかった。  昔に戻れたみたい、なんて現実逃避も甚だしい。戻れるはずもないのに、余計虚しさだけがそこに残っていた。  腹は満たされたがいつものような満足感はなかった。  味に問題はない。寧ろ好みの家庭的な味付けだったはずなのに。  ……原因はわかっていた。  隣にいるこいつのせいだろう。食事を食べ終わり、「そろそろ行こうか」という勇者の一言に緊張する。ああ、と応えた声が震えてしまったが、勇者は何も言わなかった。  食事を終えただけで満足するとは思わなかった。  いつも飯を食ったあと俺を部屋へと呼び出しては何度も抱かれた。  店の外は日が沈み始めていた。どうか、今日だけはこのまま終わってくれ。そう、念じていたとき。 「やあ勇者。こんなところにいたのか」  聞こえてきたのは爽やかな声だった。聞き慣れた胡散臭い声に顔を上げれば、そこには先程別れたはずの魔道士が立っていた。  どうやらいつものように魔道具屋巡りをしていたのだろう。  俺と二人きりの態度からは考えられないほどのにこやかな笑顔、そして好青年面。  ……勇者の前だから猫かぶってやがる。 「メイジ。買い物か?」 「ん、まあそんなとこ。ところで勇者サマは……なんだ、犬の散歩か?」  勇者の後ろにいた俺を見て、魔道士は鼻で笑う。こいつ、と俺が反応するよりも先に「おい、メイジ」と勇者は魔道士を嗜める。  そんな勇者を無視して魔道士は「丁度良かった」と勇者に絡むのだ。 「勇者、暇なら俺と遊びに行かないか?あんたが一緒だと都合いいし」 「お前な、そんな堂々と言われてついていくやつがいると思うのか」 「いや実はさ、面白いもの見つけちゃったんだよな。勇者が好きそうな店」  この猫かぶり男が。勇者のことを利用することしか考えてないのだろう。露骨な態度も面白くないが、正直今だけはその誘いは有難かった。  ちらりとこちらを見る勇者。 「……別に俺のことは気にしなくていいから。あまり店に迷惑掛けんなよ」 「あ、おい……」 「余計なお世話だ、お前こそ迷子になるなよ」 「メイジ、またお前は……」  言い返してやりたい気持ちをぐっと堪え、俺は「じゃあな」と二人から逃げ出した。  魔道士はああなるとしつこい性格だし、暫く勇者は買い物に付き合わされる羽目になるだろう。  あのときの勇者と魔道士を思い出してはムカムカしてくる。  一体誰にムカついてんだ  魔道士を甘やかす勇者?俺にだけ冷たいメイジ?  ……そんなこと考えている自分にか?  もういいや、知るか。勝手にしたらいい。  あいつらがいない間ゆっくり休める。そう思って小走りで戻ってきた宿屋前。  扉を開けようとしたとき、目の前の扉が開いた。そして、いきなりぬっと現れた頭一個分大きな影に驚いた。そこに立っていたのは、見慣れない男だ。 「……あ」 「済まない、怪我はないか?」 「……お、う」  声を聞いて、そいつが騎士だと分かった。  普段厳しい鎧を身に着けている騎士ばかり見てるからだろう、私服姿の大柄な男が騎士だとすぐに結びつかなかった。  騎士とはあまり話したことがない。出会いが出会いだ、この男もこの男で俺に対して変な負い目を感じてるらしくあまり声を掛けてこない。  だから、今日もそれだけで別れるつもりだったのだが……。 「そう言えば、勇者殿を見ていないか。先程から探してるんだが姿が見当たらなくてな」  話しかけられる。同じパーティーだから別に話しかけられることが悪いとは思わないが、俺はどう接していいのか分からず一瞬言葉に詰まった。 「……勇者なら魔道士と魔道具屋に行くって言ってたけど」 「……ああ、メイジ殿と一緒か」 「なにか急ぎか?」 「いや、大したことはない。引き留めて済まなかったな」 「ぁ、いや……」  そう、俺の横を通り過ぎていく騎士を目で追う。俺もこれくらい強くて、頼り甲斐があるような男だったらこんなことになってなかったのだろう。  そう、思いかけたときだった。息が苦しくなる。立ちくらみだ、と思ったときには遅かった。段差を踏み外しそうになったとき、振り返った騎士に抱き止められた。 「っ、わ……悪い……」 「……どうした?どこか具合が悪いのか?」 「……っ、違う、大丈夫だ……ただの、立ちくらみ……」  だから、大丈夫だ。そう言いかけたときだった。伸びてきた手のひらに額を触れられる。大きな無骨な手のひらの感触に驚いて、全身がびくりと反応しそうになる。それよりも、その手の冷たさに余計。 「やはり熱があるようだな」 「これは、別にいつものことだ。気にすることでも……」  確かにここ数日微熱の状態は続いていたが、最早日常茶飯事のようなものだと思っていた。低体温らしい騎士に比べると確かにそう思われるのだろうけれど、と心配させないようにそう声をかけたときだった。騎士は「失礼する」と屈んだ。  失礼する?……何をだ?そう問いかけるよりも先に、いきなり体が地面から浮いた。  いきなり騎士に抱き抱えられたのだ。 「え、ちょっ、お……おい……っ!」 「このまま部屋へと送り届けさせてもらう。少しの間辛抱してくれ」  心配そうな顔でそんなことを言い出す騎士に、俺は呆気取られていた。まさか、こんなに安安と抱き抱えられると思わなかったというのもあるが、それよりと膝裏と背中に回されたがっしりと下腕の感触。  ――よりによって、女子を抱くような抱き方で。  通りすがりの子供たちが「わー、お姫様みたい!」「すごーい」と無邪気な目を向けてくるのが余計居た堪れなかった。

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