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「おい、メイジ……ッ!」
結局、教会の外まで引っ張られてきた。
教会裏までやってきてようやくやつは俺から手を離した。
「なんなんだよ、いきなり……」
「脱げよ。怪我、見せてみろ」
「……っ、嫌だ」
「なんで?」
「別に大した怪我でもねえし、お前なんかに治してもらわなくても……」
いらねえ、と答えるよりも先に掴まれたままの腕ごと壁に体を押し付けられる。
ぶつかる痛みに堪らず呻いたとき、一瞬怯んだその隙を狙ったやつに服を大きく巻くし上げられた。
「……ッ、な……!」
「なるほど?……朝からお楽しみだったってわけだ」
「昨日はなかったよな、これ」と上半身、くっきりと残った勇者の指の痕を撫で上げられ息を飲む。
「ッ、違う」
「お前、俺に隠し事できると思ってんのか?……なるほどなぁ、こりゃ人に見せられないな」
すり、と腫れ上がった胸を撫でられただけで刺すような痛みが走り、堪らずやつの腕を掴む。けど、魔道士は離さない。
手袋越し、やつに触れられた箇所が暖かくなり、次第に痛みしか感じなかったそこから痛みが引いていく。
「……っ」
「これも勇者サマか?」
ぐ、と下着ごとずらされそうになり、慌てて抵抗しては「違う」と声を上げるがやつはそれを無視して俺の下着ごと下を脱がすのだ。
「おい……ッ!」
「ここもか?……可哀相に、痣になってんじゃねえか」
「っ、やめろ、誰か来たら……ッ!」
「お前が余計な真似しなきゃすぐ済むんだよ。……ほら、大人しく手退けろ、治癒できねーだろ」
まるで俺のせいだと言わんばかりの言い草に顔が熱くなる。腹立たしかった。もし教会の子供が通りかかったらと思うと生きた心地がしない。
けれど、この男は本気だとわかった。そして、この場合恥を掻くのは俺だけだ。
「……っ、俺は治してくれなんて一言も頼んでなんか……っ、ん、ぅ……ッ!や、めろ、触るな……ッ!」
人の言葉なんて無視して、魔道士はそのまま俺の下腹部に手を伸ばすのだ。まだ感触の残っているそこを指で撫でられ、腰の奥、勇者のものを咥えさせられていたそこにきゅっと力が籠もる。
「っ、メイジ……」
「いいからじっとしてろ」
「……っ」
なんでこんなやつの言うことを聞かなきゃいけないのか。腹がたった。けど、やつに触れられる箇所から痛みが引いていく。
普段わざわざ脱がずとも衣類の上から治癒していたくせに、なんでこんなときばかり余計なことをするのだ。……わかりきったことだ、俺を辱めたいのだろう。傷が薄くなる。鬱血痕も、爪の痕もみるみるうちに癒えていく。
腹を撫でられるだけでその中、奥に見えない何かが入ってくるみたいに裂傷を癒やしてくれるのだ。
やつの言うとおり、抵抗しなければすぐに終わった。さっきまで歩くことすら辛かった体が元に戻る。それでも、気分は変わることはない。余計、それもこの男に体の状態を知られたことが何よりも屈辱だった。
「ありがとうございました、は?」
「……っ、俺は、頼んでない、こんな……」
「じゃ、俺がまた同じ傷付けてやろうか」
服を着直させながらそんなことを言い出すやつに固まれば、魔道士は笑う。まるで可哀想なものでも見るかのように憐れみを孕んだその目で。
「お前は本当全部顔に出るな。分かりやすくて助かるよ」
「……っ、最低だ、お前……」
「じゃあ、実際に傷付けたあいつはなんだ?」
クソ野郎か?と、耳元で笑う魔道士に指先が冷たくなっていく。思い出したくもなかった。知られたくもなかった。
……この男だけには。
「はは、お前があいつのこと庇わないって相当だよな。愛想尽きたか?それとも、余程ショックだったのか?」
「……お前には、関係ないだろ」
「あるよ。なんなら、このままお前らが仲違いしてくれた方が俺にとっては都合がいいんだけどな」
「……ッお前……」
「そんな面して戻れんのか?」
首の付け根から頬を撫で上げるその指に息を飲んだ。
「記憶消してやろうか」
革手袋越し、唇に触れる指先の感触がやけにくっきりと頭に残っていた。誰の、とはやつは言わなかった。けど、反射的に俺はやつの胸倉を掴んでいた。
「余計な真似するな、これは、俺とあいつの問題だ……っ」
「お前には関係ない」そう、声を絞り出す。
怒りかわからなかった、声が震えてしまい、やつはただ笑って肩を竦めるのだ。
「お前って可哀想なやつだな。俺に甘えればいいのにつまらない見栄で自分で自分の首を締めてる。……理解出来ないな、俺がこれほど優しいことなんてないぞ?」
不合理だろうが、分かってる。それでもその理由は単純明快だ。
「お前に借りを作りたくない」
そう言い返せば、魔道士は「クソガキが」と笑う。そして、俺から手を離した。
「勝手に苦しめばいい。そんで、さっさとあいつから捨てられてこい。そうしたら俺が拾ってやるよ」
返事する気にもならなかった。
俺は服を着直し、やつの前から逃げ出すように教会を後にした。
魔道士は追いかけてくることはなかった。
相変わらず、いけ好かないやつだ。最低で、人徳の欠片もないやつ。けど、そんなあいつにまで同情される自分がなによりも腹立った。
痛みは引いた。残ったのはどろりとしたどす黒い感情だけだ。
魔道士と二人でパーティーを抜ける。
考えたこともなかった。……考えたくもなかった。
けど、あいつの言葉が頭にやけにはっきりと残っていた。それを振り払い、俺は近くの路地に飛び込んだ。
帰りたくないという気持ちは変わらない。このまま逃げ続けるのか、あいつが諦めるまで。
自分でもわからなかった。ずっと混乱してるみたいに思考がまとまらない。ただ、あいつに会いたくないという気持ちだけは自分でも理解できた。
……こんなことしたってどうにもならないとわかってるのに、あいつに会うのが怖い。
あいつがというよりも、あいつを信じられなくなった自分がだ。
薄暗い路地に身を隠す。息を潜め、近くの木箱に腰を下ろした。このまま夜を待つわけにもいかないとわかっていたが、それでもこの状態で帰ってもきっと俺はまともにあいつと話せないとわかった。
魔道士はどうするのだろうか、俺を見つけたと勇者に言うだろうか。同じ街にいる以上逃げ隠れするのも時間の問題だ。
――もう少ししたら、戻ろう。もしかしたらあいつの頭も冷えているかもしれない。
そう自分に言い聞かせて、蹲る。
あいつと喧嘩したときはいつもそうだった。小さい頃、まだ平和だった頃は些細なことでしょっちゅう俺はあいつと喧嘩して、そして泣かせていた。その度に親から俺が怒られ、なんで俺ばかりと拗ねては村から離れた秘密基地に身を隠してたのだ。その都度、あいつは俺を探しにやってきた。『もう会えないかと思った』と泣きじゃくって謝ってくるのだ。まだ幼い頃の話だ。
それでも俺はよく覚えていた。
目を瞑れば昨日のことのように思い出す。それが、どうしてこんなことになったのか。あいつは俺が勇者と呼ぶのを嫌がっていた。
そんなことを考えていたときだった。
「おい、ガキ。こんなところで寝てんじゃねえ。邪魔だ!」
いきなり叩き起こされる。そこで自分がうとうとしていたことに気付いた。顔を上げればそこには柄の悪い男たちが数人いた。身なりからして商人とその用心棒か。どちらにせよあまり関わらないほうが良さそうだ。
「悪い、気付かなかった」
そう木箱から降り、素直に謝る。そしてさっさとその場を後にしようとしたときだ、「おい待てよ」と首根っこを掴まれた。
「その箱に入っていたのはうちの大事な商売道具なんだよ。お前がベッドにしてたお陰で駄目になってやがる、どうしてくれんだ?」
「…………」
ああ、と思った。予め木箱が廃材なのも空なのも確認していた。面倒なのに絡まれた。内心舌打ちをする。
「そりゃ悪かったな。廃材置き場にあったからいらねーもんかと思ったんだよ。まさかこんなゴミで商売してるやつがいるとは思わなかったもんでね」
「このガキ……」
「今度から気を付ける」
じゃあな、とそのまま大通りに抜けようとしたときだ。向かおうとしたその先、道を塞ぐように現れる男たちが現れる。
「……ッ!」
「お前、勇者様御一行の仲間だろ。……金持ってんだろ?人の商売邪魔した分弁償すんのが筋だろ」
ああ、こいつら俺のこと知ってんのか。だから絡んできたってわけか。面倒だな、と腰に携えていた短剣に手を伸ばす。
そして、にじり寄ってくる連中から一歩引いたときだ。俺が短剣を抜くのとほぼ同時だった。
「お前ら何をしている!」
路地裏に響くその声に驚いて連中の視線が通りに向いた瞬間、確かに出来た隙きを狙って俺はリーダー格の商人の腹を短剣の柄で殴った。
「ぐっ!」と呻き、倒れるその男を味方のチンピラに向かって投げ付ける。そのとき、手首を掴まれた。大きくがっしりとした分厚い掌。
「こっちだ!」
――騎士だ。
道を塞いでいたチンピラを殴り倒したらしい騎士は俺の腕を掴み、そのまま通りへと引っ張っていく。
咄嗟のことに俺は逃げるということを忘れていた。
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