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「ここまで来たら追ってこないだろうな」 「……」 「……怪我はないか?」 「……ぁ、ああ……」  心臓がまだバクバクしてる。  長距離走ったわけでもない、それに相手はあんな素人みたいな連中だ。俺一人でもどうにかできた。  それなのに、なんでこんなに心臓が煩いのか自分でも理解できなかった。  離れる騎士の手、そこでようやく自分がほっとするのがわかった。 「なんで、アンタがあそこに……」 「それはこっちのセリフだ。……姿が見えないと聞いたから皆で貴殿を探していたのだ」  そこにたまたま通りかかったというわけか。咄嗟に辺りを見渡した。大通りの脇、大勢の人間が通りかかる中、勇者たちの姿はない。 「勇者殿なら宿にいるはずだ。……貴殿がいなくなったとわかってから酷い取り乱しようだったからな、シーフ殿が『縛っておいた方がいいな』と」 「……そうなのか」 「勇者殿と何かあったのか」  向けられた目を俺は直視することができなかった。 「別に、大したことじゃない」 「なら何故そんな顔をする。……それに、勇者殿も辛そうだった」 「……それは」 「もしかして、自分のせいか」  一瞬、息が詰まりそうになった。  驚いて顔を上げれば、すぐ目の前に騎士の顔があって息を呑む。 「……シーフ殿から聞いた。その、勇者殿と貴殿が……親密な仲だと」 「っ、違う!」  気付いたら叫んでいた。人の目がこちらに向こうが、どうでもよかった。手足から血の気が引いていくようだった。  何故自分がこんなに動揺してるのか、俺自身もわからない。 「っ、ち……違うのか?」 「……違う、アンタが何を聞いたか知らないが、俺は……っ」 「……っ、わかった。……済まない、良くも知らないで口を挟んで」  適当なことを抜かすシーフに対する怒りもだが、それ以上にこの男に勘違いされたくなかった。  怒られた犬みたいにしゅんとする騎士に俺は何も返す言葉がなかった。おかしいと思われてるだろう。いくら鈍感とはいえ勘付かれてるかもしれない。そう思うとただ背筋に冷たいものが走るのだ。 「……勇者殿が心配をしている。そろそろ戻らないか」  それは子供を嗜めるときのそれだ。叱るわけでもなくそう優しく声をかけられ、ささくれだっていた心に僅かながらも平穏が戻ってきた。  それでも「嫌だ」と返せば、騎士は益々困ったような顔をした。 「……理由を聞いてもいいか?」 「……言いたくない」 「そうか、なら無理して言わなくてもいい」  騎士の手が離れる。釣られて顔を上げたとき、「少し待ってろ」と騎士が離れた。  まさかこのまま勇者を呼びに行くのではないかと思ったが、数分もしない内に騎士は戻ってきた。その手には子供用の焼菓子が入った袋が握られている。 「そこの屋台で買ってきた。……そろそろ小腹が減ってきたのではないか?」 「少し休憩しないか」と騎士は笑うのだ。  この男はやはり妙なやつだ。恐らく俺が駄々っ子に見えてるのだろう。けれどその気遣いが今は俺を余計息苦しくさせるのだ。  落ち着ける場所で少し休もうか。  そういう騎士に連れられてやってきたのは町外れの広場だ。子供で賑わうそこは落ち着けるとは言えないが、きっとこの男からしてみれば落ち着ける場所なのかもしれない。 「美味いか?」 「……ん」  もらった焼き菓子を食いながら俺はただぼんやりと広場を眺めていた。  ありがとうというべきか俺は迷っていた。そもそもこのお節介男が全部勝手にやったことだ。そう思うのに断れない。この男の言動が全て善意からだとわかってるからこそ、余計。 「……あんたは、食べないのか?」 「ああ、俺はあまり甘いのは……。貴殿の口に合うのならよかった」 「勇者に突き付けないのか?俺のこと」 「帰りたくないのだろう。ならば、貴殿が満足するまで自分はそれに付き合おう」 「……変なやつだな、あんた。お人好しだって言われないか?」  そう尋ねれば、「う」と騎士は言葉に詰まる。……わかりやすい男だ。 「騎士団に入りたての頃、お前は甘すぎると何度も叱られた。……あの頃からは大分変わったと自負していたのだが」 「だとしたら、昔のあんたはもっとお節介だったのかもしれないな」 「……貴殿までそう言うか」  項垂れる騎士。騎士の美徳だと思うのだが、それ故に苦労もしてきたのかもしれない。騎士には悪いが、少しだけ安堵した。この男が変わらずこうして接してくれることが有難かった。 「あんたは変わってるな。……こんなことバレたら勇者に……あいつに怒られるだろ」 「確かに、勇者殿は貴殿がいなくなってから大分憔悴しきっていた。……しかし勇者殿の側にはシーフ殿もついている。そう心配する必要はないだろう」 「それよりも、自分は貴殿の方が心配だ」それはあまりにもストレートな言葉だった。 「……それは、そうだな。アンタたちには迷惑を掛けた。……巻き込んで悪い」 「そういうことではない。……その、なんだ、以前にも貴殿は他の者とあまり上手く行っていないと言っていたから気になったんだ」 「……」  魔道士に聞かれていたあの会話のことだろう。  この男には新参者だからとつい愚痴ばかり言ってしまっていた。けれどそんな言葉まで気にしていたとは。申し訳なくなる反面、その言葉だけでここまで探しに来てくれたこの男に胸がざわついた。 「あんたには変な話ばかり聞かせて悪かったと思ってる。けど、そこまでして俺のことを気にする必要はないからな。……それで、他の奴らに見つけられる前にと探しに来てくれたんだろ?」  自惚れだと笑われるかもしれないが、出会ってまだ間もないがそれでもこの男の本質を知ってしまった。責任感が強く、真面目だと。魔道士には見つけられたあとだったが、それでも決して狭くはない街の中を探し回らせてしまったのだ。  罪悪感がないわけではない。 「悪かった」 「何故謝る」 「……俺とあいつの問題だ。あんたは巻き込まれただけなのに、無駄な真似をさせてしまった」  そうだ、これは俺とあいつの問題なのだ。  ――そんな子供の喧嘩に俺はこの人を巻き込んでる。この男だけではない、他の奴らもだ。  そう思うと途端に恥ずかしくなった。純粋に心配かけたことに、余計。顔を上げることもできず俯いたとき、膝の上に置いていた手を取られた。驚いて顔を上げれば、騎士と目が合う。 「っ……自分は、確かに勇者殿に言われて探しに来たが……それだけではない」 「……っ、え……」 「き……き、貴殿のことが、心配だったから」 「それは、悪かった。けど、大丈夫だ。……あんたのお陰で決心着いたよ」  ちゃんと戻ってあいつと話す。  ……どうなるかわからない。けど、これ以上逃げたところで余計悔しさが残るだけだ。それならばいっそのこと言いたいことはぶち撒けるしかない。それでもわかり会えなければ、そのときだ。  そういう風に思えたのはきっと騎士のように純粋に心配してくれる人間がいるからだろう。  けど、騎士の手は離れない。手首を覆うように掴むその大きな掌は離れないのだ。 「……騎士?」  なんとなく不審に思って相手を見上げたときだった、熱を持った手のひらは更に強く俺の手を掴んだ。そして。 「貴殿には、無理をしてほしくない」 「……っ」 「妙なことを言ってる自覚はある。……が、本心だ。俺は、貴殿が無理して笑うのを見ると――辛い」  どくん、と心臓が跳ねる。熱い。  子供たちの声が遠く聞こえた。まるで世界が切り離されたみたいに音が止んだのだ。聞こえるのは俺の鼓動と、この男の脈だけだ。 「スレイヴ殿」と、名前を呼ばれた瞬間、全身の血液が一気に熱くなる。 「っ、あんたは、やっぱ変だ」 「……そうだとしても、放っておけない」 「あんたのそれはお節介だ、……俺に負い目を感じてるからそう思うだけだ。あんたがそこまで俺のことを気にする必要は……っ」  ないはずだ、という言葉は遮られた。背中に回された腕。抱き締められていると気付いたのは体が動かなかったからだ。アホのガキが遠巻きにこちらを見て指差してるのが見え、咄嗟に「騎士」と胸を叩くが分厚い胸元はびくともしない。  けれど、先程よりも近くなった鼓動は確かに激しくて。 「……っ、ぉ、おい、何やって……」 「負い目とか、そうではない。……俺は、っ……」 「っ、騎士……?」 「……俺は……ッ」  肩を掴んでくるその指先に力が籠もる。  痛いというよりも、それどころではなかった。目を反らすことすらできなかった。全身に騎士の熱を浴び、感じ、息が苦しくなる。  見詰められ、名前を呼ばれると甘いものがゾクゾクと背筋に流れるのだ。 「――……スレイヴ殿」  辛そうに何度も俺の名前を呼ぶ。唇に吐息がかりそうなほどの距離だった。穏やかな陽気が包み込む中、がっしりと抱きしめられたまま俺は動けなくなっていた。そんなときだった。 「お熱いねえ、お二人さん。……けど、そういうのはこんなところじゃなくて宿屋じゃないと駄目だろ?」  騎士の唇が動くよりも先に、背後から声が聞こえてきた声に背筋が凍った。振り返ればそこにはニヤニヤと笑うシーフが立っていた。

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