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「……っ、クソ……!」
メイジから手を離そうとしたとき、伸びてきた手に手首を捻り上げられる。
そのまま立ち上がったやつの顔が近付き、思わず息を飲んだ。
「は、なせ……っ!」
「お前は一人でも逃げるつもりか?ここから?……無理無理、諦めろ。諦めて大人しく股開いとけばいい。……ずっと勇者サマの前ではそうしてたんだろ?」
伸びる指先に顎の下を撫でられ堪らず顔を逸らそうとすれば、そのまま両頬を潰すように指で挟まれる。
「っ……メイジ」
「俺はお前のそのクソ生意気な目が気に入ってるんだ。……無理矢理言い聞かせるようなつまらない真似、したくないんだよ俺も」
「分かるか?クソガキ」とねっとりと息を吹き込むように囁きかけられ息を飲んだ。
やめろ、ともがくがメイジはそれを無視して人の髪を撫でるように毛先に指を絡めてくるのだ。
「……けど、残念ながら勇者サマはそうじゃねえんだよ」
「……っ、どういう……」
「なあ?お前、また勇者サマと喧嘩したんだろ?……聞かれたよ、他人を意のままに操る方法を。あーんなピュアで真っ直ぐな勇者サマの口からだ」
「なあ、あいつは誰にその術を掛けるつもりなんだろうな」分かっていながら試すように尋ねてくるメイジに息を飲む。目眩すらも覚えた。
他人を意のままに操る方法。
「……そんなこと、できるのか」
「不可能ではないな。正確に言えば、意のままに操るというよりも誘導したい方向へと意識を向け、ほんのちょっとその背中を押す。魔法というよりもこれはその人間の性質を助長するようなものだ。……もっといえば抜け殻のような者はもっと簡単に、それこそ自分の分身のように操ることもできるわけだな」
まるで教師のような語り口で続けるメイジ。
その口ぶりはどこか懐かしそうでもあった。
「となるとだ、お前のような強情で血盛んなクソガキには手順を踏む必要がある。なんだと思う?」
「っ、いいからさっさと言え……」
遊んでる暇はないのだと睨みつければ、メイジはやれやれと肩を竦めた。
そしてトントンと俺のこめかみを人差し指で軽く叩いた。
「お前の記憶を消す。そして、まっさらな状態から術を掛けるんだよ」
その言葉に全身から血の気が引いた。
それを今まさにイロアスが実行しようと企んでいる事実があるだけに他人事ではない。
「っ、まさか……それ……」
「勇者サマに聞かれたから答えたけど、あいつには無理だ。……人に術を掛けるのは剣とは違って繊細だからな、少しでも間違えれば廃人行きだ。だから、俺が請け負うと約束した」
「っお前……っ!!」
あまりにも信じられない。この男は何を考えているのかまるで理解できない。その胸ぐらを強く引けば、ぐっとメイジの顔が近付く。
腹立つほど整ったその顔は歪みすらなく、ただ冷たい目で俺を見据えるのだ。
「最後まで人の話は聞くことだな、スレイヴちゃん」
「……っ、……」
「さっきも言った通り、俺はお前のことは気に入ってるんだ。特別にな」
「なにが、言いたい……っ」
「これは、お前にとっての最後のチャンスだって話だ」
キスできそうなほどの距離。
それでも俺はやつから目を逸らさなかった。
いつも何を考えているのか分からないにやついた顔が今だけは笑っていない。
「お前の選択肢は二つ。そしてその一つは、他の連中……そして勇者サマ――イロアスのお前に関する記憶を全て消すことだ」
「……っな、……お前……っ!」
「意趣返し、ってわけじゃないが……考えてみろ。俺たちの目的は魔王の討伐だ。そして本来の目的を達成するためには勇者サマが必要だ。お前が無事で、尚且つ勇者サマが道を踏み外さないようにするにはお前の存在が邪魔になるわけだ」
メイジの言葉が頭の中に響く。
シーフ……ナイトはともかくだ、生まれたときから一緒だったイロアスの俺に関する記憶となると……。
「……あいつは今までの記憶全部失うことになるな」
メイジの吐いた言葉に、後頭部をがつんと殴られたかのようなショックを受ける。
俺だけの記憶ではなく、村で過ごした記憶も、家族の記憶も、それ以外にも今まで立ち寄った村の人たちの笑顔も、全部……。
「スレイヴちゃん、言っておくが忘れるなよ。あいつは、お前の今までの記憶を消すことも良しとした男だ。……お前が情に揺れる必要はあるのか?」
「……っ、メイジ……」
「そんな甘ちゃんなお前のためにもう一案ある。これは記憶を消す必要はない。イロアスも他の連中も今まで通りだ。……けれど、こちらはお前には荷が重いだろうな」
他に方法があるのならば。「なんだよ」と促せば、メイジは俺をじっと見詰める。そして、唇の端を吊り上げて微笑むのだ。
「……お前は俺の術に掛かったフリをする。そして勇者サマのご希望通り従順で可愛い性処理要員として励むんだ。あいつが目的を果たすまでな」
「魔王を討伐さえすればお前はお役目御免だ、その後の勇者サマは放っておいて逃げるなりなんなりすればいい」どうだ、皆幸せだ、とまるで他人ごとのように笑うメイジ。
俺には、何一つ笑うことができなかった。
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