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25(完)

 強くなりたい。  なんのために?  ――魔王を殺すためにだ。  そのことだけを考えて生きてきた。  でももし世の中が平和になって、魔物に襲われることのない世の中が来るとしたら。  メイジと別れたあともずっと考えていた。  平和になった世の中なんて想像できなかった。けどもし本当にやってくるとしたら、まず頭に浮かんだのは生まれ故郷である村だ。  焼け野原、死体もろくに弔うこともできないまま逃げるように村を出たことは未だに後悔していた。けど、幼かった俺達はそうするしかできなかった。安全を確保することで精一杯だったのだ。  それからは復讐のためだけにここまできた。  だとすれば俺がすることは一つだ。  村に帰って、皆の墓を作りたい。ちゃんと弔いたい。それで、また一から立て直して村を復興させる。知識もなにもない、それでも、夢物語だとしても俺がしたいことはそれだけだった。  生きる目標があるのとないのとではまるで世界の見え方が違う。そんなことをメイジに言えばきっと「単細胞」だと笑われるだろう。それでも、少し前まではそれこそ日々をただ淘汰していた。  希望が見えてきた、わけではない。あの男のもう少しが何年先なのかもわからない。けど俺にはそれだけで十分だった。  あの男に助けられたなんて思いたくないが、救われたのは事実だ。  それから、俺は四人がいない間いろんなことを考えていた。復興のために何が必要なのか、けれど一人で事を起こすにはあまりにも俺には学が不足していた。  だから、こっそりと町の図書館で借りてきた建築の本や経済の本を空いた時間で読んでいた。とはいえ文字もろくにわからない。なんとなく図解を見て理解するのが精一杯だった。……今度はちゃんと文字の読み書きの本を借りなければならないな、そんなことを考えながら俺を閉じる。  ……あいつらは勝手に部屋に入ってくるから、いつ見られても大丈夫なように棚の裏側に隠した。  抱かれる生活は変わらない。  それでも、耐えられた。意識がなくなるほど犯されようとも、体中の水分を失いかけても、耐えられた。  ……耐えられたのだ。  その日は読み終わった本を返却する予定だった。  あいつらがギルドに行くのを確認し、俺はコソコソと宿を出た。最近は昼間の睡眠時間を削っていたせいか酷く眠たかった。けれど、今は時間が惜しかった。充実した、というにはあまりにも不純かもしれないがそれでも俺の中では満ち足りた日を過ごせていた。  図書館で新しい本を借り、それを仕舞った革袋を抱え、宿へと戻る。  そしてそのまま階段を駆け上がり自室へと戻ろうとしたとき。  思わぬ人物と廊下で出会ったのだ。 「っ、ぉわ……ッ」  ぬっと曲がり角から現れた人影に急に立ち止まることができず正面からぶつかってしまう。  以前なら耐えられただろうが、筋力も衰えた俺はその場に踏み止まることができず大きく蹌踉めいた。そして、伸びてきた腕に体を支えられた。 「っ、すまない、大丈夫か?」  ――そこにいたのは、朝あいつらとギルドに向かったはずのナイトだった。  驚いた。それはもう。いないものだと思っていたのもあるが、ただでさえここ最近はろくに顔を見ていなかったから余計近いその距離に耐えられず俺は手に持っていた袋を落としたのだ。 「っ、と、……何か落としたぞ」 「っ、それは……ッ」  触るな、とやつの手から取り上げるよりも先に飛び出す中身に息を飲む。  ――見られたくなかった、誰にも。  借りてきた読み書きの本を見て、ナイトは目を丸くする。  顔が熱くなるのが分かった。  よりによって、この男に見つかるなんて。 「……っか、返せよ……ッ!」  そう、半ば強引に本を奪い返せば、「ああ、悪い」とナイトはすまなそうな顔をした。 「……スレイヴ殿は文字の勉強をしているのか?」 「……っ、あいつらには、黙っててくれ」 「何故そう隠す。立派ではないか」 「嫌なんだよ、俺が……っ」  馬鹿にされるのが目に見えている。  けれど、ナイトはそう思わないのだ。納得いかなそうだが、俺が強い口調で拒否すれば「分かった、黙っている」と頷くのだ。 「それよりも、なんでアンタここに……あいつらとギルドに行ったんじゃないのか」 「不甲斐ない話だが……風邪を引いてな」 「……風邪?メイジは……」 「ああ、一応治してもらったが大事もある。たまには今日一日休んだ方がいいと勇者殿に言われてだな」 「…………なら、安静にしてたらどうだ」  どっからどう見ても出かけようとしている。大方鍛錬にでもいくつもりなのか、手には模造剣が握られていた。指摘すれば、ナイトは慌ててそれを隠し、そして恥ずかしそうに笑った。 「……これは、まずいところを見られたな。……悪いが他の三人には黙っててくれないか」 「別に……言わない」 「そうか。……助かる。貴殿はいい人だな」  変わらない。いつもは堅苦しい顔をしてるくせに笑うときは顔全体がくしゃりと歪む笑顔。  もう、見れないと思っていた。  ナイトと一緒にいるのは駄目だとわかっていた。だから、敢えて避けていた。ナイトだって俺みたいなやつと話したくないはずなのに、態度は変わらないのだ。だからこそ余計、苦しくなる。 「……あまり無理するなよ」  そう、その場を立ち去ろうとしたときだ。ナイトに手を取られた。大きく硬い指先、そして熱い手のひらにぎょっとして振り返れば「すまない」と慌ててナイトが手を離すのだ。 「よかったら文字の読み書き、教えようか」 「………………はぁ?」 「こう見えて以前は子供相手にものを教える機会もあった。……少しくらいは貴殿の力になれるやもしれんと思ったが……迷惑だろうか」  ……この男は、本当に。  本当に、勘弁してくれ。 「スレイヴ殿?」 「……っ、なんで……」 「な、何故と言われると困るのだが……俺たちは仲間だろう?……仲間の助けになりたいと思うのはそんなにおかしいのだろうか」 「……っ俺のこと、知ってるんだろ。……っ、俺は、正規のパーティーじゃない。ただの……ッ」  ただの性欲処理要員だ。  仲間だと肩を並べることすら恥ずかしい。自分で言って酷く情けない気持ちになる。  それでも、ナイトは「関係ない」と言ってのける。 「新参者の自分が言ったところで説得力はないだろうが、俺からしてみれば貴殿は立派なパーティーの一員だ。……少なくとも、俺はそう思っていた」  差し出がましいようで悪いが、とわざわざ付け足すナイトに俺は言葉すらもできなかった。  顔を上げることができなかった。  ずっと、我慢してきたのに。取り繕ってきたのに、こんなにも呆気なく崩壊してしまうとは思わなかった。 「……スレイヴ殿?……っ、スレイヴ殿、何故泣いて……ッ」 「泣いてない……ッ、ふざけるな、俺は、泣いてなんかない……ッ」  これは、違う。だから放っておいてくれ、そう、ナイトを押し退けて自室へと戻ろうとしたとき。抱き締められた。 「……ッ、な、……ッ!」  なんで、どうして。  回される太く硬い腕に頭の中が真っ白になる。  なんで、俺はこの男に抱き締められているのか。 「は……離せ、なんのつもりだ……ッ!」 「っすまない、しかし……泣いてる貴殿を放っておくことは……」 「っ、泣いてない……ッ」 「泣いてるではないか」 「これは……ッ、違う」 「違わないだろう」と顔を覗き込まれ、息が詰まりそうになる。なんで、この男はズカズカと踏み込むのだ。荒らすのだ。俺は、俺はただ。 「ッ、……放っといてくれ……もう、嫌なんだ……」  アンタに心を乱されるのは。アンタが苦しむのは見たくない。嫌なのだ。頼むからどっか言ってくれ。そう言いたいのに、嗚咽が漏れてしまう。  スレイヴ殿、と、その目がゆっくりと見開かれる。そして、固い無骨な指先が俺の頬から目尻へと涙を拭うのだ。 「――……俺は、貴殿を泣かせてばかりだな」  その言葉に、息が停まりそうになる。  なんで、と顔を上げたとき。  背中に回された腕に背中を強く撫でられた。 「っ、何故俺は忘れていたんだ、貴殿のことを……ッ」 「っ、うそだ、なんで……っん、ぅ……っ」  違う、全部夢なのだ。  俺の見ている白昼夢で、本物のナイトはギルドにいる。そう思いたいのに、唇に触れる熱も優しく頭を撫でる手のひらも全部ナイトなのだ。  なんで、消えたんじゃないのか。全部、メイジが消してくれたのではなかったのか。 「……っ、貴殿が……消したのか?」 「っ、だって、そうしないとアンタは自分のことを省みないで……っ」  俺を、好きだとか抜かすから。  だから、それで、俺は。そんなことのせいでアンタの人生めちゃくちゃになるくらいなら他人に戻った方がましだと思っていた。  わかってる、エゴだって。  今度こそ軽蔑されて嫌われても仕方ないことをしてると。それなのに、ナイトは俺の言葉を遮るように口付けをした。  立っていることもできず、蹌踉めく体を支えることもできず壁に背中がぶつかる。 「待っ……な、いと……っ、ん、ぅ……ッ」 「俺は、許せない。貴殿も……側にいながら貴殿のことを忘れてのうのうと過ごしていた自分にもだ……ッ」 「……っ、は、ぁ、ん……ッ!」  どれほど久しぶりなのかもわからない。噛み付くような性急なキスに溺れる。訳がわからない。頭が混乱する中、けれどその熱が本物であることに安堵している自分がいた。ナイトにしがみついた。舌を絡める余裕もない。受け入れることが精一杯だった。  腰が抜けそうになり、抱き留められる。唾液を拭うこともできず、ただ俺はナイトにしがみついた。 「……な、いと……っ」 「っ、大丈夫か……?」 「すまない、手加減ができていなかった」と我に返るナイトの後頭部に俺は腕を回した。そして、その唇に口付けをする。 「っ、スレイヴ殿……っ」 「……好きだ。……アンタが好きなんだ」  俺だけが知ってればいいと思ってた。けど、記憶が蘇った今、自分の気持ちを改めて理解することができた。 「好きだ、ナイト……ッ」  どうしようもない。これ以上の言葉が見つからなかった。二度と戻れないと諦めていた。それでもいいと思っていた。虫がいいといわれても今伝えないと後悔する。それだけは確かで。  そう、喉奥から声を絞り出したときだ。  後方で足音が響いた。  そして、ナイトの目が俺の背後へと向けられる。 「……記憶を消すとは言ったが、厳密には少し違う。蓋をして深く深く思い出せないように土を被せてやるんだ。そして、新しい記憶をその上から上塗りする。  ――これが上手く行けばそのまま二度と掘り返せないようになるのだが……恐れ入った。まさかここまでとはな」  聞こえてきたその声に全身の血の気が引くようだった。  かつり、またかつりと足音が近付く。振り返らずとも、鼻につく厭味ったらしいその言葉の主は想像ついた。  けれど、何故。なんでこいつがここにいるのかが理解できなかった。 「め、いじ」 「……嫌な予感がしたんだ。勇者サマがナイトを一人残すと言ったときからまさかと思って戻ってきたが……そのまさかとはな」  床の上。  落ちた本を手にし、メイジは笑う。 「しかしまあいい実験にはなった。やはり、記憶を消すには根本を消すしかないのだと」 「……っ、やはり、貴殿の仕業だったのか」 「随分な言い方だな。……俺は、そこの可愛い可愛いお姫様に頼まれたからやったんだよ」 「なあ?スレイヴちゃん」と粘着くような声で呼ばれ、息が止まる。嫌な予感がする。鼓動が加速する。俺は、咄嗟にナイトの前に出た。 「メイジ……っ、待て、頼むから……」 「安心しろ。脳を潰すなんて真似はしない。ただ、全部の記憶を消してやるだけだ。トリガーもなにも失う。本当はお前にするつもりのことをこの男にするだけだ。……ただ少し、性格は変わるかもしれないがな」 「メイジ……ッ!」  やめろ、と伸ばされたメイジの腕にしがみつく。  瞬間、眼前にメイジの手のひらが迫る。  遠くで「スレイヴ殿!」とナイトの声が響いた。  駄目だ、駄目なのだ。せっかく、せっかく見つけたのに。やりたいことも、全部。  手のひら越し見下ろすメイジと目が合う。  そして、そんなやつの不気味な笑顔を最後にぶつりと音を立て、意識が途切れた。   「怒っているのか?」  ――……。 「既に消したと思っていた記憶がたまたま事故で蘇り、再び消えただけだ。何も変わりゃしないだろう」  ――……。 「また何かの弾みで蘇るのならその都度俺が消してやるだけだ。安心しろ、お前の役目も何も変わらない。お前はこのまま性欲処理としてここにいる。あの男も前衛としてパーティーに尽くすだけだ。ほら、何も変わらないだろう?」  ――……。 「いつまで不貞腐れているつもりだ?……お前にとっての不穏分子を摘みとってやったんだ。あのままにしておけばきっとこのパーティーは壊滅していた。まあ俺はそれでも構わないが、お前にとってそれは好ましくないんだろ?……寧ろ、感謝されるべきだと思うがな」 「――……俺は、待てと言った」  絞り出した声は酷く掠れていた。  それでもメイジの耳には届いたようだ。光が射し込む部屋の中。さして気にした様子もなく「聞こえなかったな」と笑うのだ。  怒りも、悲しみもなかった。  全部この男の言うとおりなのだ。血迷ったのは俺だ。それでも、だとしてもだ。 「まだ泣くのか。驚いた。……お前がここまで泣き虫だとはな。これでは本当に子供のおもりだ」 「っ、黙れ、お前なんか……ッ!」  嫌いだ、と言い掛けてやめた。全部逆効果だとわかっていたからだ。それでも、遣る瀬無かった。  目を覚ませばナイトの記憶は消えていた。全部、何もかも。全てメイジがデタラメを吹き込んだあとだった。それでもイロアスもシーフも気にしていない。その程度のものなのだ。誰もおかしいと思っていない。  遣る瀬無かった。元はといえば俺がこの男に頼んでしまったから。頼ってしまったから余計。  悔しくて、やり場のない怒りに耐えきれず俺は髪を掻き毟ろうとしてメイジに止められた。 「っ、離せよ……ッ」 「断る。それを決めるのは俺だ」 「出ていけよ、お前の顔なんてみたくない……ッ」 「どうせまたすぐに嫌ってほど見なければならなくなる。わかってるんだろ?」 「……ッ」 「そんなに俺のことが憎いか?」  変わらない、癪に障るほどの柔らかく甘い声。  この男には俺の気持ちなど一片も理解できないのだ。憎い、と答えればメイジは笑う。 「お前はそれでいい。好きなだけ俺を恨めばいい」 「……ッ、クソ野郎」 「ああ、結構なことだ。……けどな、そんなクソ野郎を頼ったのはお前だ。俺がお前のことをどう思ってるかくらいわかっていたはずだ」 「……っ」 「俺とお前は同じ穴の貉だ。……今更お前だけが被害者ぶったところでもう遅い。ナイトの志ものにもかも殺しのはお前だ。俺を凶器代わりにあいつの恋心も全部葬り去ったんだ、お前は」 「黙れ、黙れよ……ッ!」 「今度は俺を殺すつもりか?……やめとけ、俺はお前を一人残してやるつもりはない」 「あの男と違ってな」そう笑うメイジに、最早言葉すらも出てこない。力が抜けるようだった。  それでも尚、胸の内側に燻るドス黒い感情だけが膨れ上がっていく。 「……ああ、その目だ。腑抜けになったかと思ったが、安心した。……そこまで大事だったのか?銭にもならない思い出とやらが」 「…………」 「少々妬けるな」  嘘を抜かせ。痛みすらも感じていない顔でナイトを軽んじるメイジにただ殺意を覚えた。 「お前はそのままでいてくれよ。……勇者サマのように直ぐに壊れてしまうのは詰まらないからな」  ああ、この男はどこまでも。  どこまでも俺を。 「ずっと……ずっとお前が俺だけを見てくれるのを待っていたんだ。途中で逃げ出すような興醒めな真似だけはするなよ」  借りてきた本がメイジの手の中で燃え上がる。  その瞬間赤く照らされた横顔に息を飲んだ。  その言葉の先は発することはできなかった。  パチンと音を立て、意識は途切れる。  次に目を覚ましたとき、俺は馬車の中だった。  変わらない旅の途中、眠りこけるシーフのイビキが耳障りだった。隣で眠るイロアスは夢の中でも俺の手を離すつもりはないらしい。  ナイトも仮眠を取っている。  ただ一人、そこにあるべき姿だけがなかった。  そして恐らく、その違和感に気付いているのは俺だけだ。  どこからが夢なのか、どこまでが現実なのか俺も何も信じることができなかった。  けれど、唯一覚えていることがある。赤く炎に照らされたあの横顔を俺は昔見たことがあった。  ずっと、ずっと昔。それこそ夢かとも思えるほどの昔だ。魔王軍の中に混ざった深くローブを被った姿を、赤い炎に包まれ、照らされて微笑む横顔を。 「……メイジ」  どこからが本当でどこまでが植え付けられた記憶なのかすらも判断つかない現状。それでもこの心臓に植え付けられた憎悪の種だけは確かに育っていた。  メイジが消えた。  まるで最初から存在すらなかったかのように忽然と他の奴らの記憶から消えたのだ。  それでも、俺はあいつがどこにいるのかわかっていた。  何も変わらないのだ。  目的も、やることも、全て。  悔しいが、あいつの言う通りだ。 「……殺してやる」  すべてがあいつの思惑通りだろうとどうでもよかった。  それがお望みだというのなら最後まで付き合ってやる。  遠くで渦巻く魔王城を睨み、俺は腰の短剣を深く握り締めた。 【True end】

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