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ノルニ村2

 うまく寝付けない日々が、半月ほど続いた。  もしかしたら迎えの馬車ではなく、のんびりとした使者が一人でやってきて、「もうとっくに王子の至純は見つかっておりますので」なんて言ってくれるかもしれない。でもそうすれば、僕はルドラの元へ行かなければならないのだろうか。それも嫌だった。  僕はカーラさんに、熱砂の王子について教えてもらった。パウロさんではなくカーラさんに聞いたのは、単純にその身の魔力が憐憫と同情に打ち震えていたからだ。僕の期待通り、カーラさんは親身になって僕の質問に答えてくれた。  ……熱砂の王子。名前はエドワード・フレル・リグトラント。リグトラント王国の第五王子だ。武勇に優れるフレディアル家の令嬢を母に持ったエドワード様は、精霊国の王族には珍しく強靭な肉体を持って生まれた。そして王族にごく稀に現れる多重霊格の持ち主でもあった。  二種以上の魔力を持ち、それが混ざることなく同時に体内を巡っている人間の事だ。分かりやすく言うと、右手で水を出しながら左手で稲妻を走らせたりすることができるのだ。当然魔導師として一級の資質である。  エドワード王子は、赤とオレンジのオッドアイ、金茶の髪に深紅の差し色が入った派手な見た目の美丈夫だそうだ。その見た目と"熱砂"の二つ名の通り、恐らく火と地の精霊に愛されているのだろう。  やけに詳しいと思ったが、カーラさんは夫が村長と二人で勝手に話を決め、返事をしてしまったことを悲しんで、せめて少しでも僕の知りたいことに答えたいと調べてくれたようだ。    第五王子と王位継承順位が低く、また自身が戦いに向いた身体であることから、エドワード様は王子でありながら王宮騎士隊に入っており、魔獣討伐に勤しんでいるとか。  そもそも守り手が必要なのは、魔獣が原因だった。獣が変異して生じた魔獣は、ある程度の魔法は喰らってしまう。精霊国の人間は殆どが魔獣のごちそうであり、物理的に魔獣を叩ける能力のある人間は貴重らしい。  それにしたって、王子自ら魔獣狩りなんて……  僕は改めてこの国の特殊性を思い知った。    エドワード様はフレディアル家の血筋を遺憾なく発揮し戦っているようだが、やはり多重霊格者として一流の魔導師でもあるそうだ。国の最高戦力であるエドワード様の為に、国家を上げて半身を探してやろうということになって……  しかしエドワード様と同じ比率の多重霊格者など見つかるはずもない。業を煮やした王家は何色にでも染まることができる至純を探すことにした。   「でね……王家には、国の領土の中にどんな魔力の人間がどれくらいいるのかが分かる魔道具があるらしいのよ。まあ半身探しが長引いている時点で、精度やその魔道具の存在自体も怪しいものだけれどね」    カーラさんの言葉に絶句する。   「そんな……そんなとてつもないものが?」   「そう。大昔に精霊様から賜ったのだと言われているわ。精霊様と交信するために……とにかくそれで、王子と同じ魔力を持つ人を探したけど見つからなかった。でも……」   「至純は見つかった……」   「そういうことみたいね」    この話はかなり僕の肝を冷やした。今までは「他の至純が見つかってるから君はいらない」と言われる可能性に大いに期待していた。そうしてルドラのことも前のように拒絶しきって諦めさせようと思っていた。今でも頭の片隅にその想いはあるが……前ほど望みが持てなくなった。  こんな辺境にお触れが届くほど半身探しは続いているのだ。至純はいるけど見つかっていなかった。それはつまり、他の場所に至純がいる可能性が低いということだ……他にいるならきっと、この村にお触れが届くことはなかっただろう。    今日は受けていた修繕依頼の最後の納品で、夕食をご馳走になった後、片付けをするカーラさんに質問することになった。パウロさんはカーラさんに怒られて追い出され、今は店の清掃をしている。少し申し訳なく思ったが、僕も知りたいことがあったので、カーラさんと話せて良かった。  そろそろ帰りますと僕が立ち上がると、カーラさんも皿を洗っていた手を拭いてエプロンを外した。   「待って、今日は私も一緒に送るわ。あなた!」   「……話は終わったのかい?」   「……ええ。終わったわ。今日は私も一緒にフィンを送っていくことにしたから」    僕は気まずげな空気に固まっていたが、パウロさんはさして気にする様子もなく頷いた。  夜道の中カーラさんに手を引かれ、パウロさんの後ろを歩いていると、カーラさんはまたポツポツと話し始めた。   「……私たちもね、半身なの。って、フィンには視えてたかもしれないけど」    僕は黙ってカーラさんと繋ぐ手に少し力を込めた。それはもちろん、初めて会ったときから見えていた。明るい茶色の魔力。地精霊に愛される二人は気質も穏やかで、優しい。その二人が僕のことで言い合いになったのかと思うと、身も凍る思いだった。   「別の人間だから意見が違うことも勿論あるし、最初はよく似ていても別々の魔力だった。初めて魔力交換したときは、そこそこ摩擦痛があったわ。でも、でもね……長年一緒に過ごして、まじり合って同じ色になって……それでも喧嘩して……そうやって暮らすのは、思ったより悪くなかった。勿論無色からいきなりエドワード殿下の鮮烈な色に染まるなんて、恐ろしいだろうとは思う。でもきっと、嫌なことばかりではないはず……」    暗い道の中でも、カーラさんの穏やかに揺蕩う魔力はよく見えた。本当に僕を心配して、不安を和らげたいと思ってくれているのだ。パウロさんの背中にも同じ色が視えて、僕は目頭が熱くなった。実の父親のことはそもそも分からないし、母さんはもういないけれど、二人は間違いなく僕の第二の両親だ。  今しかない気がしてそう伝えると、二人の魔力が同時に震えて、ようやく僕は少し笑った。    家の前に来ると、またしても中から明かりが漏れていた。この感じはルドラだと思い至って、今日は迎えもしてくれていたパウロさんは不審そうに足を止める。二人でちゃんと施錠を確認して出てきたのだ。   「ルドラがいる……」    もう少し近付くと、壁越しなのに怒りに燃えるルドラの内在魔力が透けて見えるようで僕は身震いした。   「なにか、すごく怒ってるみたい……」   「フィン……」   「お触れのこと、知ったのかしら」   「そうだろうな。それ以外考えられん。カーラ、もしかしたら荒事になるかもしれない。そうなったらお前は助けを呼びに行ってくれ。フィンはカーラの側に。まずは私が行こう」    僕はカーラさんに肩を抱かれ、入り口の様子を覗える距離の物陰に隠れた。   「……フィンは、何か身を守る魔法は使えないの?」   「僕は……魔力があるだけで、大したことは……いや、丁度いいのが一つだけ。カーラさん、僕の手を離さないで下さい。今から少しだけ存在感を隠します」    我ながら情けないセリフだったが、この場面で使わずいつ使うのか。僕は透明らしく、少しの間自分と自分に触れている人間の存在を隠す事ができる。物音を立てたり、声を上げると効果はほとんどなくなってしまうが、今はそんなささやかな効果でも有り難かった。  僕は意識を集中して魔法をかけた。僕は他には簡単な治癒程度しかできないくらい才能がない。いや、透明な魔力の性質の所為かもしれないが、とにかくこの場を鮮やかに切り抜けるようなものはなかった。それは地属性の中でも穏やかな魂と魔力を持つカーラさんも同じだろう。    文字通り気配を消して耳を澄ます。すぐに、パウロさんに気付いたルドラの刺々しい声が聞こえてきた。    「……フィーは一緒じゃないのか?」   「ルドラ。家には鍵が掛かっていたはずだが」   「オマエもその扉から入ってきたなら、分かってるんだろ」    ガラン、と机の上に硬い何かが投げ出された音がした。  ……まさか、ドアの取っ手を捩り開けたのか!?  想像を超える怪力に身震いする。いや、ルドラの魔法で熱を加えれば、案外簡単なのかもしれないが……どの道鍵を壊して他人の家に強引に上がり込んだ事実は変わらない。  今はパウロさんをそんな男と一人で対峙させてしまっている。とてつもない罪悪感と恐怖が襲ってきて息が詰まった。   「他人の家を壊すのは……」   「他人じゃねェよ!」    ダン!とルドラが机に拳を振り落とした音が響く。   「半身なんだ。もうすぐ成人もする。そうなれば、他人じゃなくなるんだ……ッ!」   「……その様子じゃ聞いたんだろう?」    声を荒げるルドラと対照的で、パウロさんの声は静かに響いた。声が少しこもって聞こえるのがカーラさんの魔法で地中を伝う音を拾っているからだと、僕は今更気が付いた。   「至純が王都にいく話か?アイツはもう至純じゃない!この前オレが染めてやったからな」    カーラさんの手に力が入る。僕の為に怒ってくれているみたいだ。僕は努めて優しく握り返す。 「いいや、あの後フィンは君の魔力を全部吐いてしまったそうだよ。彼はまだ至純のままだ。髪も目も、染まってはいない」    その時、ドン、だかバン、だか、とにかく大きな音がして、パウロさんが家の扉から外へ吹き飛んでいくのが見えた。カーラさんの声なき悲鳴が痛い。   「……ッッ!!」    こうなっては最早僕が行く他ない。そもそもこの村の誰も、ルドラに敵わないのだ。僕は必死に目を凝らしてパウロさんの魔力を探した。弱々しいが、自分の身を守る為の魔法を発動させている。無事だ。しかし回復のためにも、半身であるカーラさんを向かわせたほうがいい。  二人は同じ魔力だが、使える魔法の種類は魂の性質によっても変化する。パウロさんは防御は上手いが、治癒はカーラさんの方が上手だ。  僕はカーラさんに小声で囁いた。   「カーラさん、パウロさんの所へ……僕はルドラと話しに行きます」   「そ、そんな……でも」    確かにパウロさんの勇気を無碍にする行為ではあったが、ここに隠れていてもじきに見つかってしまうし、焦れたルドラに家へ火でも放たれたら堪らない。母さんの形見も燃えてしまう。僕の家は村の隅にあって、周りは森だ。火の粉が何処へ飛ぶかも分からない。   「村長のラウェさんとか……ルドラを落ち着かせられそうな人を……呼んできてください」    自分でも絶望的な提案だったが、これしかない。僕の言葉でルドラが落ち着いてくれるとは思えなかったが、例えば家族なら言葉が届くかもしれない。   「フィン……」    戸惑っていたカーラさんが立ち上がったので、僕は会話でほとんど効果が無くなってしまった魔法を止め、入り口から隠れるように動き出したカーラさんを見送った。二人の魔力が確実に近付くのを確認して物陰から顔を出し、玄関に向かう。   「……帰ってきたか」   「ルドラ……パウロさんに、何をしたの」   「フン、ちょっとぶん殴っただけだ」    ルドラが座っている場所から、僕がいる玄関にかけて、机やドアが一直線に炭化しているので、魔法で勢いをつけて拳を振り抜いたのだと思った。恐らく、守りに特化した地属性のパウロさんでなければ、死んでいる……  今はカーラさんが向かってくれている。地属性は人が地に足を付けて生きる以上、地形の恩恵も受けやすい。パウロさんはきっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。   「フードを取れよ、フィー」   「あ、明かりが眩しいんだ。少し、落として……これじゃあ何も見えないよ」    僕がダメ元で頼んでみると、意外にも明かりがスッと小さなものになった。僕とルドラをぼんやりと照らす程度だ。僕は言われた通りフードを取った。   「ああ……」    僕の顔を見た途端、ルドラは顔を歪ませ、呻いて頭を抱えた。 「ルドラ……?」   「なァ、嘘だよな?王子の半身になるなんて」    僕は戸惑ったが、素直に自分の想いを打ち明ける事にした。   「正直僕も……明日にでも『もう他の至純が見つかってます』って言われたらいいと思ってる」   「フィー……じゃあ、オレと……オレと逃げよう。オレが守ってやる。オマエだけの守り手として、オレが、ずっと」    僕は静かに首を横に振った。   「僕は、誰とも……半身にはなりたくない。ルドラが嫌だからじゃなくて、誰とも想像できないんだ。もし殿下が来られても、正直にそう言うつもりだ。それで罪に問われたとしても構わない」    僕の告白に、一度は落ち着いていたルドラの魔力が燃え上がる。ハッとしてルドラを見ると、あのギラリとした視線が僕を突き刺してきた。   「だから、吐いたのか?オレを薄めたのか?そんな理由で!」   「そんな理由……?」   「オマエは美しい、フィー。それを生かして生きず、ひ弱なまま一人で生きるなんて馬鹿げてる!オレがいれば、オマエは何も不自由しない。オレが稼ぎ、オマエは家で美しく着飾っていればいいだろ!」    あまりにも傲慢な言葉に、僕も頭に血が上る。   「だから!そういう風に生きるのも、そういう生き物だって思われるのも、嫌なんだ!僕は……僕は都合のいい女のような、半身にするための生き物なんかじゃない。僕だってこんな……こんな身体じゃなければ……君とだって、普通に友達になれたかもしれないのに」    僕が絶望的な気持ちで呟くと、ルドラは苛々と鼻を鳴らして立ち上がった。一気に見上げる体勢になって、怯えに喉が引き攣った。   「……普通に、友達だって?言っておくけどさァ……オレはオマエをそんな風に思った事は一度もない。いつもフードの怪しい奴だと思ってた。そんなやつと番えと言われて、はらわたが煮え繰り返る思いだった。でも、フィー……オマエをひと目見たときから、オレの心は変わった。オマエとなら……オレは、半身になってもいい」    僕はルドラの強い瞳から逃れたくて、目を伏せて後退った。   「僕は……君を、そんな風には……思えない……」    酷く恐ろしかったし、先程のパウロさんのことも思い出していた。大して魔法も使えない至純の僕では、ルドラの拳を防御することも、受けた傷を回復することもできない。  それでも正直に言ったのは、どうしてだろう。ルドラのことは怖いし、好きではない。でもここまで真っ直ぐに気持ちをぶつけられたのなら、僕も言わなければと思ってしまった。  ルドラの魔力は相変わらず苛立っていたが、思ったより静かだった。それを読み解いてみる。  落胆、苛立ち、決意……決意?  それに気を取られた一瞬で、僕はルドラに腕を引かれていた。突然のことに足がもつれて、僕はルドラに倒れ込んでしまう。そのまま足を払われ、床に転がされる。強かに打ち付けた肩が痛い。   「うっ……痛ッ」    僕を見下ろし、覆い被さろうとしてくるルドラの魔力を視て、僕は驚きに目を見開いた。   「ああ……?あーそうか、確か……魔力の流れが視えるから、イロイロ分かるんだっけ?」    ルドラが何か言っているが、それどころじゃない。逃げなくては。  僕は痛む肩を庇いながら、必死で這いずって逃げようとした。しかし、足を掴まれ、簡単に引き寄せられてしまう。その執着から逃れたかった。娯楽のない村でおもちゃが壊れて泣いていた子供のような、そんな揺らぎ。その対象が自分であることが恐ろしかった。   「細ェな……」   「嫌……いやだ、止めて」   「自分が今から何されるか、分かるんじゃねェの?じゃあオレがやめる気なんて無いっていうのも、分かるよな」 「そんなことは、わ、分からな……やめ……」 「大丈夫、分からねェならゆっくり教えてやるよ」    僕が必死に抵抗しているのに、ルドラはどこ吹く風で、根本的な力の違いを改めて思い知らされる。  しばらく抵抗はしたものの、ルドラに僕のコートを剥ぎ取られてしまった。途端に何もかもが心許なくなって、僕は思わず自分の身を抱いた。コートの下にはシンプルな長袖の上下しか着ていない。   「ああ……やっと取れた。このコートがずっと邪魔だったんだ……オマエをいつもいつも隠す、このコートが!」    あ、と思ったときにはもう、コートは炎に包まれていた。  ……が、なぜだか一瞬で炎が掻き消えてしまう。ルドラも僕も目を丸くしてコートを見たが、僕はすぐにルドラの後ろの人物に視線を移した。  ひと目でその内在魔力の美しさが分かる。暖色系のあらゆる色がマーブル状に揺らめき、体内にあるのに魔力が眩しいほどだ。  その人物はゆっくりと部屋に入ってくると、驚くルドラの手からコートを取り上げ、軽く広げて確認した。   「……うん、特に焦げも穴も汚れもないな。上手く干渉できたようだ。君……君大丈夫か?」    ちらりと視線だけ寄越されたのが分かって、僕は慌てて頷く。肩は痛いが、これくらいなら僕のへなちょこ治癒でもなんとかなるだろう。    コートを腕に掛けた青年に手を差し出され、思わず取ろうとすると、我に返ったルドラに僕は手を叩き落とされた。   「痛っ」   「なに勝手なことしてんだよ、フィー……オイ、アンタ誰だ?オレとフィーの邪魔をするなら……容赦はしない」   「ルドラ、この人……いやこの方は」   「くくく……容赦はしないだって……?俺に向かってそんなこと言う奴、初めてだ」    青年……エドワード様は可笑しそうに笑うと、小さな溶岩の粒を幾つもルドラの周りに浮かべて、ルドラに王子の微笑みを投げた。   「俺……私はエドワード・フレル・リグトラント。不敬に問われたくなければ、今すぐ其処を退け。今彼を染めることは、国家に対する反逆である」    ルドラが息を呑むが、体内の剣呑な感情は消えていない。だがルドラの周りの溶岩がふた周りほど巨大化する頃には、それも霧散していた。ルドラは全身に滝のような汗をかいていた。上に乗られている僕は、今まで見た事もないルドラの表情にこそ汗をかきそうな心地だった。    「うん、素直でよろしい。さあ、君のことは御父上が呼んでいるよ。早く行きなさい」    ルドラが肩を落として素直に従い、僕から離れると、エドワード様は溶岩を消した。僕はその精密な魔法に圧倒されていた。火を操るルドラでさえ全身に汗をかくほど熱を感じているようだったのに、僕は溶岩を目の前にしても一切その熱を感じることはなかった。一度は燃え上がったコートが焼けなかったのも、こうやって熱を制御したからなのだろうか。  ルドラが出ていくと、パウロさんとカーラさんが部屋に駆け込んできた。   「パウロさん!大丈夫ですか!?」    僕が目を丸くして言うと二人は顔を見合わせて困ったような顔をした。   「もう、フィンったら……」   「私は大丈夫だ。それよりもフィンは?」   「僕は大丈夫です。その……殿下が、助けて下さいましたから。あの、ありがとうございました」    そういうと、二人はハッとしてエドワード様を振り返り、頭を下げた。   「ご、御前で大変失礼を……」   「ああ、良い良い。聞けばお前たちが彼の親代わりだったそうだな。寧ろ邪魔をしているのは俺だろうが、他に行くところもない。なので俺に構わず……と言いたいところだが……まあ、王子の前では、それも無理か……」    エドワード様は苦笑すると、息をするように魔法を使ってドアを直し、家具の炭化を消した。よく見ると木製の家具やドアが同系色の石でコーティングされている。呆然とする僕たちの前で、更に机の周りに石の椅子を追加し、エドワード様はこちらに座るようにと僕らを促した。  僕はエドワード様が背もたれにコートを掛けた椅子に座り、それを取って羽織った。仄かに暖かく、陽だまりの匂いがして、不思議と気持ちが落ち着く。 「あ、あの、殿下……」   「そうだな、まずは自己紹介をしてくれ。話はそれからにしよう。俺……私はエドワード・フレル・リグトラント。リグトラント王国の第五王子だ」    僕が困惑してパウロさんを見ると、僕から名乗るよう視線で促される。   「ぼ、僕は……フィシェル・フィジェットです」   「パウロ・レデ……村で商店をしています。こちらが妻の……」   「カーラです、殿下。気が付かなくて申し訳ありません。今、お茶をお淹れします」    カーラさんが席を立ったので僕も慌てて立ち上がろうとすると、そっと押し戻される。   「カーラさん、僕がやります」   「フィン……あなたは目のこともあるし、座っていて。大丈夫よ。さっき放り出しちゃった荷物もしまわないと、と思っていたの。任せて頂戴。台所、借りるわね」   「う……はい……すみません。前にいただいた来客用の茶葉は、戸棚の右側、下の段に入ってます。荷物の中の食材は、保冷庫の空いてるところに……適当に入れておいて下さい……」   「わかったわ」    カーラさんは殿下にペコリと頭を下げて、お湯を沸かし始めた。  僕が机に向き直ると、殿下の視線が刺さる。びっくりして思わず目を逸らしてしまった。失礼になっただろうな……と内心怯えていたが、殿下の魔力はとくに揺らいではいなかった。   「それで?フィシェル殿。何か言いかけてなかったか?」    先程言いかけたことを聞かれているのだと分かって、慌てて口を開く。見ていたのはその所為だったんだ。頬に熱が集まるのがわかる。   「あの、すみません。そうでした。殿下はどうしてここに?もう迎えが来たのですか?」   「至純がノルニ村にいると早馬が来たので、迎えを用意したのが五日程前。今はテアーザ辺りだろうな。俺は……正直至純などもう見つかるものではないと思っていたから、単身先駆けて確認にきたんだ」   「単身……先駆けて……?」    僕が呟くと、エドワード様は苦笑した。王子が一人で山奥の村までやってくるなんて聞いたことがない。まあ確かにそこらの魔獣や盗賊なんかは相手にならないのだろうが……  村に着いてからの話はパウロさんが引き継いでくれた。   「ルドラに吹っ飛ばされた後、カーラに癒やしてもらって……急いで村長の家に行ったんだ。なんとかルドラを説得してもらおうと思ってね。するとそこに、ちょうど到着されたばかりの殿下が居られたんだ。そこで事情を説明して助けてもらったというわけだ。村人では誰もルドラに敵わないからな……殿下、本当にありがとうございました」   「助けて下さって、ありがとうございました」     二人で頭を下げる。ちょうどお茶を持ってきてくれたカーラさんも、一緒に頭を下げてから僕の隣に座った。上座にはそこへ新しい椅子を用意したエドワード様が座っているので、向かいにはパウロさん一人だ。夫婦なのにいいんだろうかと思いながらも、僕は何も言えずお茶を一口飲んだ。   「あの青年……ルドラといったか。中々骨がありそうだった。うちの隊に欲しいくらいだよ」    本気なのか冗談なのか分からなくて、僕は押し黙った。失礼な態度を取っていたルドラも思い出されて、頭を抱えたい気分だ。夫妻も困惑したようで、パウロさんが気まずげにお茶を啜る音が響く。   「ところで、フィシェル殿。貴殿が至純というのは本当か?」   「は、はい……たぶん……」    この頃には、もう諦めが入り始めていた。そもそもエドワード様を視た時点で、僕はきっと分かっていた。    「不快かもしれないが、確認させてもらっても?」   「えっ……それ、は」    どうやって?と聞こうとしたが、エドワード様が不安げな僕の顔を見てすぐに付け足してくれた。   「ああ、指先に少し魔力を流してくれればいい」   「は、はい。それなら……」    僕は真っ赤になりながら、エドワード様の指を取って意識を集中させた。自分の魔力がエドワード様の指に染み込む感覚を確かめて、指を離す。エドワード様は興味深そうに指先を眺めていた。   「へぇ……本当に、痛みも何もなく薄まるんだな」    エドワード様の指先に集まっていた魔力が薄まり、すぐに濃い暖色のマーブルに戻っていく。それを眺めていると複雑な気持ちになった。   「フィシェル殿。実はさっきのルドラとのやり取りは、少し聞いていた」   「ぁ、え?」   「貴殿が……誰かと半身になるのは嫌だという話だ」   「あっ……それは」   「その場を逃れるための嘘というわけではないんだろう?」    赤とオレンジ、鮮やかな虹彩のオッドアイに問われて、僕は力なく頷いた。夫妻が緊張に強張るのが分かったが、ルドラにも言った通り、嘘を付くつもりはなかった。 「正直に言えば、貴殿を逃してあげることは難しい。国内唯一の至純として、国はどこまででも貴殿を追うだろう。それに報告にもあったが……フィシェル殿は身体や目が弱いようだ。国外に逃れて暮らしていけるとは思えない。更に言えば、リグトラント以外の国では至純の存在に敬意を払って接することはないだろう。フィシェル殿の美しい見た目だけを珍しがり、どこぞに売り飛ばすような人間もいる」    俯く僕の背中に、カーラさんの気遣わしげな手が添えられる。  国内唯一。その言葉に頭がいっぱいになって、他はあまり聞こえなかった。エドワード様がここに来た時点で分かっていたことだが、やはり代わりはいないらしい。   「とはいえ、魂が拒んでいれば、とくに至純の魔力は他者とは混ざらない。無理矢理注いでも身体から吐き出される。もちろん体に直接作用する治癒のような魔法を使ったり、フィシェル殿の意識がない状態では話は変わってくるだろうが……城の文献に過去の至純についての記録があったから、間違いはないだろう」    それには身に覚えがあったので頷く。ルドラの魔力を吐いてしまったのは、そういうことだったのだ。   「貴殿は体が弱い。おまけにルドラの執着はかなりのものと見た。至純がいるかもしれないという報告はすでに広まっているから、ここで暮らし続けるとなると貴殿を狙う人間も今後出てくるかもしれない。フィシェル殿は嫌かもしれないが、俺の半身候補として城で過ごすのが一番安全かと思う。半身候補でいる間は、城で貴殿の体質に最大限配慮した生活を保証しよう。勿論、今のご両親の前でフィシェル・フィジェット殿を無理矢理染めようとしないと誓う」  僕は改めてエドワード様を見た。赤とオレンジの瞳、金茶の髪に鮮やかな深紅の差し色。肌は外に出ることが多いからか、王族にしては珍しく、少し日に焼けていた。それがまた健康的で、生命力に満ちているようにみえた。僕と対照的だ。少し長い襟足も、差し色の為か酷く絵になっていて、正しくお伽話の王子様のようだ。  そんな鮮やかな人の隣に、こんなどこもかしこも生白い僕が居ていいのだろうか。しかも僕が嫌がることはしないという。  僕は、はっきり言って王族というのは、もっと高慢で強欲な生き物なのかと思っていた。母さんが話してくれた物語に出てきた王族と、随分印象が違う。だがエドワード様の前ではそんなことを思うことすら失礼に思えてくる。   「ああ、騙すようになってはいけないので、考えられる俺との接触を先に言っておく。と、その前にまず、確認なんだが……目はどのくらい見える?肌も弱いと聞いたが、どの程度なんだ?」   「僕は……その、身体の色素がない、体質だそうで……目も透明で、赤いのは血の色が透けているからなんです。そのせいで、明るいところへ行くと瞳が光を遮れなくて……ひどく眩しく感じられます。日中の日向で、フードの影もないところでは、眩しくてほとんど何も見えません。それでいて、更に僕は近いところ以外あまり見ることができないです。肌も同じで……太陽の光を浴びると、すぐに火傷して爛れてしまいます」    打ち明けながら、我ながらなんて貧弱なんだと思ったが、事実なので仕方がない。エドワード様は顎に手を当て、僕の言葉をゆっくりと飲み込むように考えて、それから再び口を開いた。   「うん……そうだな。普通ならば、国民には王族の半身のお披露目がある。だが日のもとに出ることができないのならば、それは免除となろう。だが王族の前では口付けてみせることもあるだろうな。あとは……フィシェル殿のその見た目。人前に出るときは、かなり気合を入れて飾り立てられるだろう。更に俺は戦場に出るから、後方の安全な陣地までは半身として付いてきてもらうことになる」   「…………」   「当然口付けと言っても魔力を流したりはしないし、お披露目の儀式は一瞬のことだ。戦場もできるだけ安全な場所にいてもらうようにする。どうかな?我慢できそうか」    身分のある人に気遣われ、ここまで言わせてしまうと、僕が駄々をこねる子供のようにすら感じられてしまって、悲しくなった。あれほど生理的に嫌悪していたと思っていた。そういう人間として王子様にあり得ないほどの配慮をしてもらっている。だからこそ、ここは頷く他なかった。   「……それなら……大丈夫です。殿下のお心遣いに感謝致します。できるだけ半身候補に見えるよう、僕も努力します」   「ああ。俺たちはこれから共犯者だ。俺自身もここ数年、半身探し騒動に随分と辟易していてな。これで解放される。おまけに……こう言ってはフィシェル殿は嫌かもしれないが、フィシェル殿の体質も正直有り難い。下手な催事や式典に出るより、俺は戦場に出る方が余程いい」   「あの、でも……戦いには、半身の存在が必要だったのでは?」 「フ……自慢するまでもなく、俺は強い。その心配は無用だ」     余りにも正直なエドワード様の言葉に、僕はいつの間にかくすくすと声を上げて笑ってしまっていた。   「ああ、貴殿の笑顔はいいな、フィシェル殿。そうしてくれたなら、城のうるさい連中も見惚れて押し黙るだろう」   「……ふふ。まさか、そんなことはないですよ。殿下の方が余程目を奪う容姿では?」    心からそう思って言ったのだが、エドワード様は肩をすくめた。   「どうかな。褒められるのは主に、体の強さばかりだ。リグトラント王族にしては珍しく頑丈に生まれた所為かな」   「僕からすれば、羨ましいですけど……幼い頃は皆と同じように、日の下を思い切り駆け回ってみたいと思ったものです」    僕が何気なく言うと、エドワード様はお茶を飲んでいた手をピタリと止めた。   「そういえば……フィシェル殿はここで暮らしているようだが、まさか一人で?失礼だが、どのように……」   「僕は……魔力の流れなら、ある程度は視力に関係なく視えるので。針と糸と、布に薄く魔力を流して、お針子をして生計を立てていました」   「品物はうちで買い取っていました。フィンの腕は評判で、村人たちからも刺繍や修繕の依頼があったので、それを管理して仲介していたんです」   「なるほど。ルドラとの話はそういう意味か。その仕事は好きか?フィシェル殿」   「はい!亡き実の母さんの持ち物にも、いくつか綺麗な刺繍があって。好きでやっていました。僕は……こんな身体ですけど、好きなことで食べていけていたので、かなり幸運だったと思っています。パウロさんとカーラさんの協力のおかげです」    話の成り行きをほとんど静かに見守ってくれていた、何処までも優しい夫妻に僕は改めて万感の思いで頭を下げた。するとすぐ様隣のカーラさんに起こされる。   「もう、フィンったら!前にも言ったけれど、私達はあなたを実の息子か弟のように思っているわ。だからそんな他人行儀なこと、やめて頂戴」    そう言って抱きしめてくれたカーラさんの瞳は潤んでいて、魔力も寂しさに震えていた。本当に今更ながらに、この二人とも別れなくてはならないのだと思い知って、僕は涙を流した。  横目に見たパウロさんの目もいつもよりキラキラしていて、僕は益々涙が止まらなくなる。  そんな僕たちをみてエドワード様が苦笑した。   「なにも今生の別れというわけではないだろう。なにか行事があるときには、二人にはフィシェル殿の保護者代理として絶対に王都に招待させていただくぞ。そのときにはもちろん、家族の時間を設けよう。それに……何年後かは分からないが、俺が戦場に必要なくなれば、フィシェル殿に対する王家の関心も、良い意味で薄れる。静かに暮らせるよう取り計らうこともできるはずだ。そうなったときには、もちろん家族で過ごせるように尽力しよう」   「まあ。殿下……本当に、本当にありがとうございます。噂以上にお優しい方ですね……フィシェルをどうか、よろしくお願いいたします」   「先程も言ったが、これはお互いに利のある話だ。大丈夫、悪いようにはしないさ。……それで、話は変わるが」    エドワード様が急に真顔になったので、僕たちは驚いて居住まいを正した。   「俺は今晩、何処に泊まればいいだろうか」  旅人が来たときは常にそう答えているので、全員が村長の家と言おうとして、そこにはルドラがいることを思い出した。ルドラにエドワード様をどうにかできるとは思えなかったが、失礼な態度を取らないとは言えなかったので、全員しばらく沈黙した。  そもそもこんな山奥の田舎の村に、いきなり王子様を泊めることができる家なんて、存在しないのだ。

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