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ノルニ村3

「では、フィシェル殿の家に泊めてもらうというのは?もちろん、フィシェル殿が嫌でなければだが」    母さんが亡くなって以来空いているベッドが一つあるので、誰しもがその可能性を考えたが、口にしたのはエドワード様だった。夫妻は苦しげな表情だったし、僕は混乱して「はい、どうぞ」と答えていたし、一体何がどうしてこうなったのか。  王子と対面している緊張をようやく意識したかのようにガチガチになる庶民三人を眺めて、エドワード様はふむ、と顎に手を当てた。そうして尤もらしいことを言い放った。   「やはり、これから共犯者として振る舞うのだからな。フィシェル殿の普段の暮らしぶりを見て、不自由の手助けができるように、一度一緒に泊まるのは良いことではないか?それに、幸いにもベッドが二つあって、掃除もしているという。俺にも、皆にも、利があることだと思うが。とはいえそうだな、フィシェル殿は男性に襲われかけたばかりだった……俺が怖いか?フィシェル殿」    僕はぷるぷると首を横に振った。怖いか怖くないかと言われれば、怖い。不敬を働いてしまうのが怖い!  先程までの話し合いもよくよく考えれば王子様に何をそこまで気遣わせているのだという話でもあり、僕は気が遠くなった。  結局他にいい案もなかったので、エドワード様は僕の家に残った。夫婦は最後まで不安げだったが、エドワード様が綺麗な姿勢で王子様の笑顔を見せて見送ると、顔を赤くして帰っていった。ドアを閉め、改めて綺麗に直ってしまったドアを見る。捩じ切られて曲がっていた取っ手も、それを繋ぐ金属の留め具や鍵穴も、焼けて炭化していた木のドアも、そんなことなど初めから無かったかのように直っている。   「すごい。前より建付けがいいくらいです」   「綺麗に直っていたなら良かった。それよりも……もし良ければ夜食を何かいただけないか?俺は普段は携帯食料ばかり食べているので、気負わず普段食べているものを出してほしい……というか失礼だが、フィシェル殿は料理は出来るのか?」    僕はギクリとして固まった。あれを……あのスープを料理と呼んでいいのだろうか……   「ぅ、か、簡単なスープくらいなら」   「……そうか。では……要求が多くてすまないが、作ってもらっている間に、軽く汗を流させてもらっても?」   「あ、はい。浴室はこっちです。えーと……安物の魔力温水器なので、温まるまでちょっと時間がかかりますが……たぶん殿下なら、人差し指分くらいの魔力を注げば、一時間はお湯が出ますよ」    僕が着替えはどうすればいいんだろうと首を捻ったところで、エドワード様が固まって僕を見ているのに気が付いた。体内の困惑がありありと見て取れて、さっと血の気が引く。   「え、あ、ど、どうされました?僕何か……」    失礼なことをしましたか、と言おうとして、ガッと肩を掴まれる。片側は先程床に打ち付けた所だったので痛かったが、エドワード様の魔力の揺らぎが視えているので、不思議とあまり怖くはなかった。僕を害そうとする意思はまったくない。気になってる……そう、何かが強烈に興味を引いたのだ。 「何がそんなに、気になって……」    そう呟いて、これだ!と口に手を当てた。   「そういえば……フィシェル殿は、魔力が視えると言っていたな……ルドラとの話は聞いていたが、真に受けたわけではなかった。まさか、本当に?視えるとは……それは、どの程度?俺も剣に魔力を流して戦うことがあるから、針仕事に必要だと聞いてその程度のことだと思っていた……」   「あ、の、それは」   「人差し指分と言ったな?それは、つまり……フィシェル殿には俺の魔力総量まで視えているということか?濃度も?感情によって生じる小さな魔力の揺らぎさえも、本当に視えて……?」    今のあなたの揺らぎは小さくないですと叫びたかったが、僕は一つ深呼吸をしてから基本的なことを訴えた。   「で、殿下……肩が、痛いです。さっきぶつけたところなので」   「あ……ああ。すまない。申し訳ないことをした。フィシェル殿の嫌がることはしないと言っておきながら……」    エドワード様が自分の行為に驚いたかのように手を離したので僕はそれ以上なにも言わなかったし、痛かったけれどその素振りも見せまいと決めた。   「僕は……そうですね、人の体内の魔力ははっきり視えます。魔力は感情で揺らめくので、弱視で表情がよく見えない分、それを視て会話を補ってました」   「じゃあ例えば、嘘をついたら?」   「嘘……たぶん、嘘をついたときの魔力の揺らぎで、ある程度は分かります。ただ、全く感情を動かさなかったり、それ以上の大きな揺らぎに隠して嘘をつく人もいるので。そうされると分からないです」   「……驚いた。凄まじいな」   「総量や濃度という話なら、うーん、多分、視えているんだと思います」    そう言いながら、僕は数歩引いてエドワード様の全身を視界に入れた。何度見ても鮮やかな暖色のマーブル模様。   「うん……殿下の魔力は、暖かな色合いで、きれいですね……」    僕自身の魔力は透明なので色がついておらず、糸や針に流したときの魔力光で見分けて仕事をしているので、確かに多くの色糸を使う刺繍には向いているのかもしれなかったが、自分の魔力自体は味気なく感じていた。多分、僕と同じ目を持つ人が僕を見ても、無色透明なので揺らぎなんて視えないし、そこから感情を探ることも叶わないだろう。  だからこそ、エドワード様の鮮やかな魔力は鮮烈で美しかったし、憧れた。量も流石に凄まじく、全身隈なく色が満ちている。   「ちょっ、ちょっと待ってくれ。まさか色が……魔力の色が、そこまではっきりと視えているのか?」   「え、あ、はい。殿下は濃紅、赤、オレンジ、時々黄色が混ざって、層になって……とっても綺麗なマーブル模様ですよ。たしかにこんな色の半身は……そう見つからないでしょうね」    そうしてしげしげと眺めながら呟くと、エドワード様の魔力は驚愕に打ち震えた。慌てて表情を伺おうとすると、エドワード様はいつの間にか頭を抱えていた。   「フィシェル殿……これは、秘密にした方がいい」   「え?」   「いいか、フィシェル殿。国が俺と同じ色の人間を探し、いないと決めるのに三年、至純がこの国に存在していると分かるまで四年、国内唯一の至純である君を見付けるのに二年かかっている。精霊から賜ったと謂われる魔道具を駆使してだ」   「あ、え……ほんとに、そんなとてつもない魔道具があるんですね……」   「その途轍もない魔道具が、ゴミになる程……いや、俺の中でゴミにしたのが、君のその目だ。仮に君と同じ目の者が王宮魔導師をしていたなら、俺の半身探しなんて馬鹿げたことはやらないか、始まったとしてもすぐ至純探しになっただろう。本来なら協力してくれる役職の者たちも、何故か俺の半身探しには口を出さないし……おかげで相当時間がかかってしまった」    言われてみればその通りだった。僕の目があれば、簡単にいうなら半身お見合いの仲介のようなことをしてしまえる。同じかそれに近い魔力を持つものを探すのは、それほど大変だそうだ。  パウロさんたち夫婦のように似た魔力の人が偶然出会うこともあるが、それはレアケースなんだろう。  僕は透明なので実感することはないが、色が違うもの同士は魔力を流すと摩擦があって痛いらしい。色相の対極、混ざると黒に近い色ほど鋭く痛むとか。そして黒く濁ってしまえば死に至ることもある。  治癒魔法は自分の魔力を相手に流す行為に等しいので、できるだけ同じ属性の魔導師を使うのだ。だからこそ、特に怪我をしやすい守り手にとって、摩擦痛のない半身は重要だった。    こんな田舎で限られた人たちとだけ接し、視たことのある半身同士と言えばパウロさんとカーラさんの夫妻だけだったし、二人ともそこまで魔力量に優れているわけではなかったので、自分の目の凄さについては、全く意識したことがなかった。  僕はこの魔力視を、弱い視力を補えて便利程度にしか思っておらず、気にかけるにはもう普段の生活に馴染みすぎていた。この話を知っている夫妻や村長も、「その目ならギリギリ一人暮らしができるね」くらいの認識だったので、この村の田舎具合がよく分かる。  そもそも貴重らしい至純の名前も知らず、村一番の力自慢とくっついてくれたらいいな、と考えているのが村長という時点でお察しなのかもしれない。    僕が正直にこの村での認識を話すと、エドワード様は「末端の教育が足りていない……」なんてブツブツ言っていたが、僕にはさっぱりな話だ。        狭い風呂だが、馬に乗って単身駆けてきたエドワード様は久しぶりの湯船だと喜んでいたので、浴槽にちゃんと湯を張って、ゆっくり入ってもらうことになった。  スープはまた適当に折ったり千切ったりした野菜と干し肉を入れ、塩を振っただけなので、本当にこれでいいのかと思いつつも、他にやりようもないのであっさりと出来上がってしまった。  僕はふと思いついて裁縫箱を取り出した。僕の家にある中で一番上等な布束と、大事にとってあった仕事用の型紙も取り出す。  エドワード様はルドラほど身体が大きいわけではないが、随分と筋肉が付いていそうなので、やはり一番大きいサイズでいいだろう。  簡単なズボンとシャツをいそいそと縫っていると、流石に間に合わずエドワード様がお風呂から上がってきてしまった。   「勝手に洗濯用の洗剤を借りた」   「あ、洗濯したんですか?」   「ああ、とりあえず下着と下衣だけだが……」 「でも、濡れたままのものをはいているんじゃ……」    僕が心配すると、下こそ穿いているが裸の上半身には上着を羽織っただけのエドワード様が脱衣所から出てきた。 「俺は乾かすことは得意なんだ」 「あ……そうか。そうですよね」    僕はそちらには視線を向けず、また黙々と作業をする。が、ハッと我に返って慌てて立ち上がる。   「あっすみません。ご飯……本当にこんなものでいいのか心配ですけど、ご飯はできてます。あと今簡単な寝間着を作っているので……」   「すまない。助かるよ」    ……心の底から感謝しているらしい。僕は自分で覗き視たくせに、優しく揺らめくエドワード様の魔力を視ていられなくて、伏せ目がちにスープと切ったパンを出した。   「すみません、こんなもので……本当に大丈夫でしょうか?お口に合わなかったら、無理しないで残して下さいね」    僕の目にも引き千切っただけの野菜と干し肉だと分かるので、今すぐ消え去りたい気分だったが、エドワード様は黙ってスプーンを手に取った。が、やはり……流石に野菜と肉の惨状が気になったのだろう。   「包丁は……やはり、見えないから?」   「そ、そうですね……やっぱり、刃物は怖いです。針はもう慣れてしまったんですが。あと……火も眩しくて……怖いんです。強火は使ったことがないです。あとは……最低限の生活をしているので、あまり調味料も多くないというか……」   「……なるほど。頑張ってくれてありがとう、フィシェル殿」    こんなスープを出したというのに、優しく微笑まれてしまって、体内の魔力もその微笑みが嘘ではないと言っていて……僕は真っ赤になってお盆で顔を隠した。  このスープにお礼を言ってくれたのは……そもそも他人に振る舞いもしないからだが、母さん以来だった。病床で僕のスープを飲みながらありがとうと笑ってくれて……   「フィシェル殿?どうした……泣いているのか?」   「あ、す、すみません。この家で料理を食べてもらったの、実の母以来で……思い出してしまって」   「……良ければ聞かせてもらえるか?」   「は、はい……」    僕は涙を拭いてお盆を片付けると、裁縫を再開しながら母さんのことを話した。  名前はフラトワ・フィジェット。金髪に青い瞳の美しい人だった。ある程度魔導の知識があったらしい母さんは、僕がお腹にいるときからその魔力の異質さを感じていたらしい。父親のことは話してくれなかったのでよく知らないが、母さんはとにかく一人でリグトラント王国のことを調べ、そこならば特殊な魔力の我が子も安心して暮らせるだろうと、身体の弱い赤子の僕を背負ってなんとかノルニ村に辿り着いた。  しかし産後間もない体で無理な旅をした所為で、それから十数年ほどしか生きられなかった。  僕の方も赤子だった旅の間こそ大人しくしていたが、成長するにつれ目の不自由が目立ち、母さんには随分と苦労をさせてしまった。それでも母さんは生きている間に、僕になんとか一人で生きていけるだけの知識を詰め込んでくれた。   「フラトワ殿は、素晴らしいお母様だな」   「……はい。自慢の母です」    エドワード様は話の間にスープとパンを全部平らげてしまった。   「美味しかった、フィシェル殿。ご馳走様」   「あ、いえそんな……お粗末様です……」    僕は恐縮しながら皿を洗おうとしたが、エドワード様に皿を取られてしまった。   「俺がやろう」   「え……えぇ!?お、王子様に、皿洗いをさせるなんて……!」   「俺は戦地で野営もするからな。こういうことは皆で分担しているんだ」    それは大変、素晴らしいことかもしれないけれど……  僕が渋っていると、エドワード様はちらりと裁縫道具を広げている辺りを見た。 「それよりも、寝間着を作ってくれているんだろう?流石にそろそろ服を着たいから、続きをお願いできるか?」   「あ、は、はい!すみません、わかりました!」    僕は皿洗いをエドワード様に任せ、大人しく作業の続きをした。もう仕上げの段階だったので、糸を切って裏返し、ズボンに腰紐を通して、本当に簡素な寝間着が完成する。  ……いや、簡素すぎないか?こんな明らかに平民が着るようなものをお渡しするのかと思うと、また身体が固まってしまいそうだったが、上着を羽織った状態のままのほうがまずい。  僕は皿を拭いているエドワード様に恐る恐る声を掛けた。   「あ、あの、できました……」   「……もうできたのか?速いものだ。もう一刻ほどは待つものかと思っていた」  着てもらうと、少し大きい程度で、寝間着ならこれでいいだろうと思えた。流石というかなんというか……生成色のシンプル過ぎる上下なのに、何を着ても似合う。   「おお……?ピッタリだぞ、フィシェル殿。ちょっとこれはすごいな……速いし正確な仕事だ。城でも布や糸を用意させるから遠慮なく言ってくれ」   「本当ですか?実は……僕も、城へ行くときは裁縫箱と母さんの形見の服だけは持参したいと思っていたんです。こんな目ですし、大したことはできませんから……裁縫が続けられるなら、嬉しいです」   「この腕は大したものだと思うが……確か、刺繍も刺すと言っていたな。見てみたいのだが」   「ええと……刺繍はほとんどパウロさんのお店に納品してしまっているので、家に残っているのは簡単な物しか無いんですが……例えば先程殿下が使っておられた、皿拭きの手拭いにも……少しだけ刺していますよ」    言ってから、僕が手拭いに刺すような刺繍はとても簡素なので、後悔した。素朴な野草が一輪、控えめに刺してある。これだけでは余りにも恥ずかしかったので、一言断ってから寝室に取りに行く。枕入れに刺したものが家にある中では一番新しいので、それを外して持ってきた。  こちらも寝心地を考えてそこまで凝ったものを刺しているわけではないので、少し迷ったが、母の形見も持っていく。これは僕の作品ではないが、頑張ればこれを刺せますと伝えるにはちょうどいいかと思ったのだ。    戻ってくると、エドワード様は未だにしげしげと手拭いの隅に刺された野草を眺め、時折指でなぞっていた。思わずどんな心境なのかと魔力の方を視てしまったが、僕は魔力を視たことを後悔した。  慈愛に溢れたさざ波のような穏やかな揺らぎ。こんなの視たことない。知らない感情だ。  なぜだか恥ずかしくもなってきて、僕は慌ててエドワード様に枕入れを差し出した。   「こ、これが家にある中で一番新しいものです」    シンプルな花と蔦を刺し、タイルを組み合わせた模様のラインを入れてある。エドワード様は枕入れを受け取ると、広げてまたじっくりと眺め始めた。  自分の作品をこんな風に見てもらうことは初めてじゃないのに、それがこの国の第五王子なのだと思うと感情がぐちゃぐちゃになってしまう。  嬉しいような、苦しいような、情けないような、恥ずかしいような。  透明の僕の魔力は誰にも視えないけど、もしも視えたなら、笑ってしまうほどのたうっているに違いなかった。   「フィシェル殿、それは?」   「あ、これは母の形見なんです。僕が刺したわけではないのですが、いつもこれらを参考に図案を考えているので……」    そう言いながら、一枚広げてみせる。これは恐らくスカートの上から巻く飾り布だ。少し透け感のある材質の布地に、美しい花々がこれでもかと刺してある。   「すごいな、刺繍とは……ここまでできるのだな」   「殿下も、刺繍された服をよく着ているのでは?それに、刺繍されたドレスを着ている方々を目にすることもあるでしょう?」   「いや……そうだな。恥ずかしい話だが、フィシェル殿の話を聞くまで意識したことがなかった」    照れたように笑うエドワード様に、僕もおかしくなって笑ってしまった。王家お抱えのお針子なんて、僕なんかより遥かに丁寧で素晴らしい仕事をしているだろうに……やはりエドワード様の意識は王宮での出来事よりも、戦場に向いているらしい。    その後僕もお風呂に入ったり、エドワード様の荷物を片付けたりとしているうちに、もうすぐ日付も変わるいい時間になってきた。僕は裁縫箱や形見をしまって、枕入れに枕を戻してベッドに置いた。迷ったが、やはり先程見せた枕入れをエドワード様に使ってもらうことにした。  すぐに居間の明かりを消したエドワード様も部屋に入ってくる。   「お、先程の枕入れだな。なるほど、これは優しい夢が見られそうだ」    そう言いながら、僕が腰掛ける向かいのベッドにエドワード様も腰掛けた。部屋には月明かりが差し込み、柔らかい光が僕とエドワード様を照らしている。  先程からエドワード様は僕の針の腕を褒めるようなことばかり言うので、性懲りもなく自分の顔が赤くなるのが分かった。今日は何度頬が熱くなったのか、最早分からない。   「部屋はかなり月明かりが入るんだな」   「はい。このほうが僕が活動しやすいので……朝日で火傷したことがあるので、寝る前には遮光カーテンを閉めてしまいますけど」   「火傷か……やはりその体質は大変そうだ。俺に手伝えることがあったら、遠慮なく行ってくれ。そういえば肩は?治癒魔法は使えるのか?」   「ありがとうございます……肩は無理に動かさなればこのままでも平気なんですが……治癒魔法がへなちょこなんです。というか僕は魔力が透明な所為なのか、大して魔法は使えなくて……殿下の鮮やかな魔法に比べたら、とても……これでも母さんは、頑張って教えてくれたんですけど」    そうしどろもどろに言い訳しつつ、意識を集中させて肩の痛みを和らげる。軽く内出血していたので、それをできる限り取り去った。弱視ゆえ、身体をよくぶつけるので慣れているが、自分の体でこの程度の怪我ならば、へなちょこ治癒でもなんとかなるようだ。   「何とか……痛みを抑える程度はできました。そういえば殿下は……どのくらい魔法ができるんですか?」    尋ねてからしまったと思った。国一番の魔導師に向かって僕は何を言っているんだろう。   「大体はできる」   「だ、大体……?」   「火と地に属していて、フィシェル殿が想像できるものなら、大体」    やはり目の前にいる人はとんでもなくすごい人なのだ。エドワード様は僕の刺繍や裁縫の腕を褒めてくれたが、とんでもない……僕は「どのくらいの絵柄を刺せる?」と聞かれても、「大体刺せます」なんて答えられる日は来ないと思う。  魔法を多少なりとも皆扱うこの国の人間ならば、今の言葉でエドワード・フレル・リグトラントという人間がいかに魔導に優れているかを痛感するだろう。  月明かりの中、僕が尊敬の眼差しで見つめていると、エドワード様は困ったように笑った。   「そうだ、フィシェル殿。日付が変わるほど夜も更け、共犯者として大分親睦も深まったと俺は思うのだが、フィシェル殿はどうだ?」   「あっはい。そ、そうですね。僕も殿下と……良い共犯者になれそうだと思っています」    僕の言葉遣いにエドワード様はまた一つ笑みを落としてから、こう続けた。   「ではそろそろ、呼び方を変えないか?いつまでもフィシェル殿ではな、と……」   「そっそれはもう、お好きにお呼び下さい!」   「そうか……確かルドラはフィー、レデ夫妻はフィンと呼んでいたな」    顎に手を当て、考える仕草のエドワード様に、僕は慌てて一つお願いを付け加える。   「フィーは……女の子みたいなので、あんまり好きではありません」    僕がそういうと、エドワード様はちらりとこちらを見て、あろうことか立ち上がった。   「あの、殿下……?」   「隣に座っても?」   「う、ぁ……はい。どうぞ」    僕は面食らいつつも、エドワード様が座りやすいように体を枕側に動かした。久しぶりに二人分の体重を乗せられたベッドは、ギィと抗議の音を上げる。   「俺のことは、どう呼ぶ?」   「え、エドワード様……とか?」    心の中ですでにずっとそう呼んでいるとは、流石に言えなかった。   「そうだな……皆の前では、それでいい」   「皆の前では……じゃあ」    今は、なんて呼べば……  心臓の音がうるさくなってきて、慌ててエドワード様の内側を覗き視たが、暖色のマーブルは異様な程静かで僕は息を呑む。僕だけが恥ずかしがっているのだ。きっと王子様は、こういうことに動揺したりしないんだろう……   「二人のときは……エディと呼んでくれるか?……そうして時々、皆の前でもエディと口を滑らせてしまうといい。周りの者もさぞ良好な関係だと思うだろう」   「な、なるほど……」    そういうことかと納得する。流石エドワード様だ。よく考えている。余程半身探しの騒動に嫌気がさしていたんだろうな……僕も頑張らなくては。  いつの間にか心臓の音は落ち着き、僕の魔力もきっとエドワード様の魔力と同じように、静かに凪いでいた。   「俺は……そうだな。いくつか呼び名は使い分けることになると思うが……二人のときは、フィルと呼んでもいいか?」   「フィル……」    自分で呟いてみて、頷く。今までそう呼ばれた事はなかったので、どことなくこそばゆくて、嬉しいと思った。   「フィル。迎えが来るのはいつ頃かわからないが……村長殿の家ではルドラのこともある。俺はできれば、しばらくここで過ごしたいと思う」   「そう……ですね。分かりました。大したおもてなしはできませんが……お好きなだけ居てください」   「それで、なんだが。フィルは嫌かもしれないが、迎えが来てしまえば大っぴらに練習できなくなってしまう」 「練習?」   「共犯者の……半身として親しげに振る舞う、練習」   「あ……そうか、そうですね」    流石に王子を連れる一団ともなれば、従者も付っきりなのだろう。僕はそういったことには疎いので拙い想像でしかないが、色んな人に取り囲まれ、会話を聞かれるかもしれない状況では、立ち振る舞いの練習なんてとてもできるものではないだろう、というのはなんとなく分かる。  僕は納得して頷き、背筋を伸ばしてエドワード様に向き直った。   「練習は、どんなことをしたらいいですか?」  僕がそう言うと、エドワード様はニヤリと笑った。  ……でも、体内の魔力に特別な揺らぎはない。一体どうして?と思考を深くしようとしたが、告げられた言葉にそれは吹き飛んでしまう。   「今日から、エディと呼んで」   「え……ぁ……」    僕は本当に間抜けにも、この練習が何を意味するかようやく気が付いた。親しげに振る舞う。つまり、そういうことなのだ。一般的な恋人のような振る舞いを、エドワード様相手に練習しなければならない。  短い凪だった。静かになっていた心臓がまた早鐘を打ち始め、落差に目眩がしそうだった。   「え、エディ……」   「フィル。もう一度」   「エディ……」   「もう一度言って、フィル」   「エディ……あの、恥ずかしいです」   「では恥ずかしくなくなるまで、呼ばなければ」   「ええっ!?」    思わず目を見開くと、エドワード様は面白そうに笑って僕の頭を軽く撫でた。   「いや、すまない。余りにも可愛いので」   「かわ……っぼ、僕は、女の子じゃないです!」    僕は咄嗟に頭を撫でていたエドワード様の手を掴んで止めさせた。   「ああ、もちろん分かっているよ、フィル」   「分かってないです。だって……え、エディは、かっ可愛いなんて……言われないんでしょう?」   「そうでもないが……特に御婦人方は俺のことを、よく可愛いと言う」   「えっ?そうなんですか?」   「……フィルは随分素直に育ったようだな」    僕は幼い頃から可愛いとしか言われたことがなく、エドワード様の容姿ではそんなことはないだろうと勝手な想像をしていた。  田舎者の古い認識なんだろうかと思って、僕はスッと頭が冷えた。途端にエドワード様の手を掴んでいたことを意識してしまい、慌てて手を離す。   「す、すみません」   「……いや?もっと触ってくれても構わないが?どうせそのうち、お互いがある程度触れることにも、慣れておかなければいけないからな」   「う、まぁ、そう……なのかもしれませんが」   「……フィル。俺が怖いか?」    家にエドワード様が残ったときと同じことを聞かれて、僕は改めて考える。いつの間にかそこまで怖いとは思わなくなっていて、僕は驚きに目を瞬いた。   「いまは……あんまり……怖く、ないです」   「今は……あんまり?」   「しょ、正直に言うと、僕は田舎者で、言葉遣いも殿下に対して合っているのかどうか、分からなくて……何が不敬になるだろうかと、ず、ずっと怯えていました」   「フィル、エディと呼んで」 「え、え、エディ。ごめんなさい。忘れてました」   「うん、そうだな……俺には言葉遣いを気にする必要はないよ。大体、俺は普段もっと粗野な連中と遠征しているんだ。あいつら、良いところの生まれのくせに俺のいないところではずいぶん……いや、話が逸れたな。とにかくフィルの言葉遣いで気になったところなんて、ない。寧ろもっと砕けて話して欲しいくらいだ」   「エディ……」   「とはいえ、城についたら作法の教師は付けることになると思う……陛下の御前に出たりすることもあるだろうし、流石にな。目のこともあるから、あまり細かく求めようとは思っていないが」    エドワード様は話しながらそっと僕の手を掴まえると、優しく握って撫でてきた。作法の話に意識がほとんどいっていたのと、あまりに自然な仕草だったので、僕はしばらく気付けずにされるがままになっていた。   「……フィル?これは恥ずかしくないのか?」    そう確認されてようやく、僕の手はギクリと強張った。   「あ、ぇ、エディ。はず……恥ずかしいです……」    僕は、僕よりずっと温かいエドワード様の手の中から、そっと抜け出した。   「残念。今日はもう遅いし、続きはまた明日にするか」   「続きは……明日?」   「そう、明日。毎日一緒に過ごして、練習するのだからな」   「あ、そっか、毎日……」    毎日!?こんなに恥ずかしいことを、毎日!  思わず俯く僕に、エドワード様の苦笑が降ってくる。   「これもお互いの平穏な暮らしの為だ。これから一緒に頑張っていこう、フィル」    僕は顔を上げた。そうだ。こんなに気遣ってもらっているのに、多少恥ずかしいからって投げ出していいわけがない。エドワード様は僕が嫌がることはしない。それは大丈夫だ。   「……はい。不慣れなので迷惑をかけると思いますが、頑張ります」   「フィル」   「……エディ」   「うん。おやすみ」   「おやすみなさい」    エドワード様はそう言って立ち上がり、窓の遮光カーテンを下ろし、向かいのベッドに入っていった。  先程の話を聞いて、エドワード様は何も言わずにカーテンを閉めてくれる。  本当に……こんなに気遣いをして下さるエドワード様の為に、僕も頑張らなくては。

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