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旅路1
準備を終え、近くまで馬車が来て待機しているというので、僕はとうとう家を出ることにした。慣れ親しんだこの家とも、これでお別れだ。
食べきれなかった食材や使わなかった日用品などは、パウロさんたちに処理を任せることにした。母さんの形見や裁縫道具くらいしかない僕の荷物は大して多くなく、それはラロが運んでくれている。
母さんの形見を持ち出したからか、思ったより家を出る際の感傷はなかった。
エディに手を引かれながら馬車まで歩く。
馬車が停まっている所に村人たちが総出で見送りに来てくれていて、とても驚いた。
ルドラと一瞬目が合い、向こうは僕を見ると真っ赤になって固まっていたが、口々に告げられる村人たちの別れの言葉に、そちらを気にする余裕はなくなってしまった。
「フィシェル、元気でね」
「殿下と仲良くね」
「素敵な刺繍をありがとう」
「いつも助かっていたわ」
「さようなら」
「……フィン。元気でね」
僕は皆に頭を下げ、最後にパウロさんとカーラさんに抱き締められた。
ないと思っていた感傷はここでやってきて、僕は涙を零さないように何度も瞬きをした。
母の形見は一緒に行くけれど、みんなとはここでお別れ。人生の中で、もう二度と会えない人もいるのだろう。
涙を堪えつつ、ラロに支えてもらいながらなんとか馬車に乗り込む。
座席は柔らかいソファのようになっていて、天井には天窓があった。座席には痛む背中を優しく受け止められ、座っている部分もふかふかなので、油断するとすぐにでも眠たくなりそうな心地だ。
僕はずず、と軽く鼻を啜って嘆息した。
エディが僕の向かいの席に乗り込んで、扉が閉まる。するとすぐに合図があり、馬の嘶きが聞こえた。少し揺れて、馬車が進み出す。
村を出る頃に、エディが馬車の小窓のカーテンを開けた。
「そういえばエディ、アルアは……?」
「他の者に任せてきた。今後は分からないが、今日はより美しくなったフィルと一緒にいたくて」
「う……」
僕が戸惑うと、エディは小声で付け足した。
「練習も、結局中途半端だったからな。普通に話すと御者には聞こえるかもしれないから、ちゃんと振る舞うように。まあでも、まずい会話はルシモスがなんとかするだろうから、あまり気負わず練習していこう」
「あ、ぅ……でも、容姿を褒められても……なんて言えばいいのか」
「嬉しいとか、ありがとうじゃないか?」
自分でコンプレックスのある容姿を褒められても嬉しくはなかったが、そういうものなのだと自分に言い聞かせる。
「嬉しいです、エディ。ありがとう……こんな感じですか?」
「上手いな。その調子だ」
エディに褒められると、どうもむず痒くなる。これだけ凄い人になら、もういっそ何を褒められても嬉しく思えるようになる気がした。
「さて、フィル。今後の予定の話を少ししておこうと思う」
「あ、はい。お願いします」
「今日はこのまま山を降り、川沿いに南下しつつ野宿になる。明日にはイツラの村に付く。そこでまた一泊。フィルの体調を見ながらゆっくり行くつもりだ」
僕はこの村からほぼ出たことがないので、他の村や地理の説明をされてもちんぷんかんぷんで、途中から頭に入らなくなってしまった。
でもその後もエディは行程を説明してくれるので、ほどほどに相槌をうつ。
「……で、ここから少し海沿いに進む」
「う、海!?海が見えるんですか?」
上の空だった意識は、海と聞いて慌てて舞い戻ってきた。
「ああ。そこそこ大きな、テアーザという港町に五日程滞在しようと思っている。……フィルは海を見るのは初めてか?」
僕はこくこくと頷いた。母さんの話の中に、海もよく出てきたのだ。
「あ……正確には、生まれて間もない頃に見たことがあるらしいんですが、覚えていないので」
「なるほどな」
「でも、そこに五日も滞在するんですか?」
僕が首を傾げると、エディは苦笑した。
「まあ……皆にも休憩は必要だし……それに、フィルは物心ついてからの旅は初めてだろう?恐らくテアーザに着く頃には相当疲れていると思うぞ。馬車に乗っているだけでもな。だから大きな街で少し休む。もちろん体調をみて日数は調整する。それで……」
珍しくエディが言い淀む。僕は首を傾げつつも続きを促した。
「それで……?」
「もし、フィルがある程度元気なら……日差しの弱まる夕暮れ時に、高台から少しだけ顔を出してもらい、国民へのお披露目の練習をすることになるだろう」
「あ、ぇ……お披露目、ですか」
「ああ。作るかはずっと迷っていたんだが……やはりベールがあった方がフィルにもいいかと思ってな。……しかしそのベールがあると、人前に出られてしまうだろう」
「あ、そうか。ベールがあれば、日の中でも顔を出せますもんね……」
元々、日光が体質的に駄目だったからお披露目はしないという話だった。でもこのベールがあるならそれは解決してしまう。最初の共犯の説明とは変わる為に、エディは悩んでいたようだ。
でも僕はこのベールを素直に喜んでいたので、話の続きを聞くことにした。
「お披露目の練習って、僕は何をすればいいんですか?」
「……フィルは魔力視のこともあるからな。かなり遠目から少しの間群衆に顔を出して、挨拶するだけだよ。それでも気分が悪くなるかもしれないが……まあこれは、王都で正式なお披露目ができるかどうかのテストなんだ。王都は広く、お披露目の規模も大きくなる。テアーザで無理そうと分かれば、王都ではお披露目をしなくても良いようにする予定だ」
「……練習にも、人がたくさん見に来るんですか?」
「大勢来るだろう。具体的には、街中の大きな広場に、人がずらりと列んでこちらを見ているだろうな」
「…………」
僕は大きな広場も、たくさんの人も見たことはないが、とても怖いことだと思った。仮に魔力視の問題が大丈夫だったとしても、そんなに沢山の人に自分の顔を見られるなんて……ぐらりと足元が揺らぎそうな感覚がして、僕は自分の額に手を当てた。
「……ちょっと、想像がつかないです。できれば……やりたくは、ないですね」
「……そうだな。俺は国の行事や戦いの後の凱旋で慣れているが……フィルには難しいかもしれん。とりあえず、この旅が進むごとに大きな街に着くから、少しずつ想像してみてくれ。テアーザに着いてからフィルの気持ちをもう一度確認するから、無理そうなら遠慮なく言うように」
「はい……すみません」
大勢のひと、と話を聞き、僕は窓の外の森を眺めながら……いつの間にか、エディと二人きりで過ごした数日間に思いを馳せていた。
……とても楽しかった。誰かと一緒に暮らすのがこんなに楽しいなんて、母さんが亡くなって以来忘れていた。
ずっとエディと二人きりなら良かったのに。
どうしてたくさんの人に見てもらわなくてはならないのだろう。
僕はそんな考えを慌てて振り払った。お披露目は必要なことだからやるのだろう。それにこの国で一番強くて王子様でもあるエディを、こんな田舎に、しかも僕なんかと一緒に閉じ込めておくわけにはいかないのだ。
そう思うと少し寂しかった。
「……エディ。ノルニ村では、僕のことを助けてくれて……ありがとうございました。とても感謝しています。エディがいてくれて、本当に良かったです」
「フィル……まだこれからだろう?」
僕はそうではなくて、と緩く首を振った。
いい機会だから、ちゃんと伝えておきたいと思った。僕の気持ちの区切りの為にも必要なことだったけれど、エディに僕の気持ちを聞いてほしかった。
庶民の僕なんかがエディに対してこう思うのは、烏滸がましいことかもしれない。でも、どうしてもエディに話したかった。
「僕は……あの家でまた誰かと暮らせたことが、かなり嬉しかったんです。昔、母さんが亡くなった後……パウロさんたちが一緒に暮らそうよ、と言ってくれたこともあったんです。そ……それでも僕が、不自由をしながらも一人で暮らしていたのは……あの家できっと母さんに、僕は大丈夫だよ、母さんが色々教えてくれたから一人でも生きていけているよ、って……見てもらいたかったからなのかもしれません」
「フィル……」
面食らったような表情のエディを安心させたくて、僕は精一杯笑顔を作ってみせた。
「でも……エディと一緒に暮らして、お互いができることをやって……と言っても、エディは一人で何でもできちゃいますけど。でも、僕がそうして誰かと一緒に過ごしてみて……ようやく、母さんに本当に見せるべきだったのは、見て欲しかったのは……これだったのかもって思ったんです」
「これ、とは……?」
「……自分一人で生きていけるというのは、もちろん大事だと思います。あの日々が無駄だったとは思いません。でも誰かと一緒に、毎日笑って……楽しく賑やかに過ごしていたほうが、きっと僕の母さんは……喜んだと思うんです。そういう、明るい人でしたから」
エディは真剣に僕の話を聞いてくれていた。
自分の気持ちをこんなに誰かに話したのは、思えば初めてかもしれない。僕が聞いてほしいと思えた人であるエディが、一心に聞いてくれている。
「だから……きっと、エディと一緒にあの家で過ごせたのが、僕は嬉しかったんです。もし母さんが……あ、あの家で見守ってくれていたなら、絶対に……喜んで……くれたし……安心してくれたと……っ思うん、です……だから、ありがとう、ございます……」
僕はいつの間にか泣いていた。それを見兼ねたのか、エディが馬車内のカーテンを引き、天窓にブラインドをして、僕の隣に座った。その間、不思議と馬車は揺れなくて、それもエディがなにかしているのかも知れなかった。
馬車の中は、カーテンの隙間から漏れる日光だけになり、随分と薄暗くなっている。
エディは僕のベールを上げ、ハンカチで涙を拭ってくれた。
躊躇いがちに、僕の長い袖から覗く指先を優しく握られる。エディの高めの体温で、僕の冷えた指先が温められ、じわりと痺れた。
「すみ、すみませ……」
「大丈夫だから。ゆっくり息をして」
時折しゃくり上げながら、ポロポロと涙を流す僕の隣に、エディはずっといてくれた。流れる涙をハンカチに吸わせながら、手をずっと握ってくれている。エディの親指が僕の指を撫で、僕は何とかそれに応えようと、呼吸を整えながらエディの優しい手を握り返した。
「フラトワ殿はきっと見てくれていたよ。……フィルが優しく素直に育った理由が分かったような気がした。……俺はもちろんフラトワ殿と直接会った訳ではないが……とても良い母君なのだなと、フィルの話でしっかり伝わってきた。だからきっと、フィルの思いも届いているよ」
「え、エディ……そんな、涙が……せっかく、っちょっと、落ち着いてきてた、のに……」
「ここには俺しかいないから、大丈夫。今のうちに思い切り泣いておくといい」
エディの言葉が身体に染み込んでいくようで……僕は体が震えて、指先の力が抜ける感覚を味わった。
「エディは……本当に、優しいですね」
「……そんなことはない。常にどす黒くて邪な自分と戦っているよ」
エディがとびきりの笑顔でそんなことを言うものだから、僕は泣いているのに可笑しくなって笑ってしまった。感情が行ったり来たりで忙しい。この国で黒を例えに出すなんて、よほどのことがない限りやらない。こんな状況で聞くそれは逆に軽く聞こえて、笑いがこみ上げてくる。
「ふ、は……っエディでも、そんなこと、あるんですね」
「あるさ。フィルは俺を優しいと言ってくれるが、俺は……嘘つきで、結構低俗な部分もあるし、戦場では容赦をしない一面もある」
「ふふ。でも、僕には優しく感じられているから、いいじゃないですか」
最近のエディが気持ちを隠していても、あの日、僕の刺繍を見てくれていたときの感情は嘘じゃない。優しい人だと僕は知っているし、例え他の一面を持っていても構わないと思った。
人間は誰だってそういう生き物のはずだ。パウロさんでさえ、カーラさんには内緒の話を僕にしてくれたこともあるし、その逆もあった。
だから僕の目にエディが優しく映っているのなら、それでいいじゃないかと思ったのだ。
「フィル……」
「エディが、努力してくれているのは、分かっているつもりです。優しくしてくれて、嬉しいです。僕のために、昨日も湿布を貼ってくれてありがとうございました。さっきだって、無理して容姿を褒めてくれて」
気持ちが読めないから、嫌な気分になったりもしているのかもしれないと、僕は気遣ったつもりで何気なくそう口にした。
だけどエディから射竦めるような視線を向けられて、僕はハッとして言葉を切った。
「あの、エディ……」
「ずっと、どう言おうか悩んでいた。フィルは自分の容姿にコンプレックスがあるから、どんな言葉を使えば信じてもらえるだろうかと」
「え……?あ」
「フィル。触れてもいいか」
「ど、こに……」
戸惑う僕の頬に、エディの手が触れる。
……いいなんて、言ってないのに。
これから言われる言葉に、僕にしては珍しく想像がついてしまった。それくらい、いつか僕が誤魔化すことができない人からはっきりと言われることに怯えていた。
「フィルは醜くはない。その珍しい色彩も相まって、とても美しい。この先人前に出ることも増える。その際、あまり過度な謙遜は角が立つこともあるんだ。……そろそろ、己の美しさを自覚しておくれ」
目を見て真剣に諭すように言われて、僕は自分の心臓がどくりと跳ねる音が聞こえた気がした。背筋に冷たいものが走る。とうとうこの時が来てしまったのだと思った。
「フィル……そんな可愛い顔をして、どうせ信じていないんだろう?何を考えているか、怒らないから話してごらん」
「ぁ……う…………ぼ、僕は……、自分が……母さんに……似ているとは、思っていま……した」
「……そう、なのか?いや、確かにそう聞いてはいたが……」
母さんが美人だったと話したことがあるので、エディは少し驚いているようだった。
容姿の色味は確かにコンプレックスだったが、造形自体は美しい母さんにとてもよく似ていると……分かっていた。
でも、僕は自分が美人な母親似なことを、認めたくなかった。
認めてしまうと、ルドラが僕に言い放ったことが答えになってしまう気がして……
女のような見た目で至純だから、僕の意志は関係なしにとにかく強い者と一緒になればいい。そういう都合の良い存在として扱われ続ける自分を、自ら認めるようで怖かった。
それを許してしまえば、僕はあんなに恐ろしかった"誰かに染められる"ことも受け入れなければならないんだと思った。
「そうするべきだから」と、周りの人が当たり前に扱う自分の価値を、僕自身が受け入れることができなかった。
だから自分のことは、ずっと醜いものとして扱ってきた。僕にとってそれは、心身を守るための自己暗示のようなものだった。
結局のところ、どんなに頑張ったところで僕は一人で生きていくことはできない。僕は要領も悪く、知識もなく、想像力にも乏しい。そんな僕が今後、透明や珍しい色味の人間を欲しがる人たちから逃れ続ける為には、エディの提案に乗るしかないらしかった。
でもエディは、そんな僕の気持ちを尊重して、「無理に染まる必要はない。半身のフリをしよう」と言ってくれた。僕は……僕は、本当のことをいうと、それだけで救われた気持ちになっていたのかもしれない。
エディが分かってくれているのなら、それでいい。
そのことを改めて意識すると、動揺は随分と落ち着いてきて、僕はちゃんと気持ちを話すことができた。
「僕は……知らないことばかりで……結局、お姫様のような役割になってしまうって、昨日知って。女の人と同じ扱いなのは嫌だったけど、でもそれは……エディのそばにいるためには、必要なことなんですよね。……エディは、いつか静かに暮らせるようにすると、言ってくれましたから。その為には必要だ、って、今……思えています。僕はそれが果たされるまでは、ちゃんとエディと一緒にいたいんです」
エディにとってのメリットが僕にあるうちは、それがなくならないよう、努力しなければならない。嫌なことでもやらなければならないときはあるのだ。
僕の気持ちを尊重してくれたエディが、僕がお姫様のような役割をすることも必要だというのなら、やるしかない。もちろん、上手くできるかなんて分からないけれど……
「エディにも必要なら、僕は頑張れます。ちゃんと覚えてその役割を演じます。だってエディは……僕の刺繍を褒めて、あの家で一緒に過ごしてくれたひとですから。僕もエディにとって必要な役割を頑張りたいんです。だから……僕は……その為に必要なら……ちゃんと自分の見た目を、意識します……」
一通り話してエディを見ると、エディは辛そうに顔を歪めていた。
思わず魔力を覗こうとしてしまったが、表情が見える距離ならその必要はないはずだと自分を押し留めた。ちゃんと顔を見て話をして、コミュニケーションをとればいいのだ。
僕は癖になっている覗き見を恥じた。
「フィル……すまない。俺も、俺も君の覚悟に応えなくては」
「エディは僕を十分助けてくれていますよ。……あの、必要なことだったら、ちゃんと言ってください。僕の方が……エディよりも女性らしい姿が似合うのは、分かっています。そうする方がエディの隣にいて映えるんだろうということも……ぼ、僕は美人だった母に……似ていますから」
エディに向かって口にするのは、思ったほど苦痛ではなかった。寧ろ至純として生まれてしまったのなら、この容姿で良かったのかもしれないとさえ思えていた。この顔がエディの隣に居やすいのならば、少しは好きになれそうな気がした。
朝の短時間で僕を整えてくれた、腕のいいラロもいる。例え変わった色味でも、エディが美しいと言ってくれるなら、受け入れるしかない。その役割を果たせばエディの隣に長くいられるのならそれで構わない、と少しずつ思えてきている。
「……そう、だな。フィルは……辛いだろうが、俺の方がこんな見た目だから……隣に並ぶときは、フィルが姫のように飾り立てられることもあるだろう」
「……はい。大丈夫です。やります。その方が半身らしく見えるというのなら。僕も、自分にエディよりかっこいい王子様はできる気がしないですから……役割分担です」
いつぞや聞いた騎士たちの生活の話を思い出してそういうと、エディは力なく笑う。
ずっと握っていた僕の指先を、エディが自分の額にくっつけた。ぎゅ、と目を瞑って、祈るように呟くその姿は、まるで何か悪いことをして打ち明けるみたいに見えた。
「エディ……?」
「すまない。フィルにとって辛いことを強要する俺を許してくれ。それでも俺は……できるだけ長く、フィルに……俺のそばにいて欲しい」
僕は空いている手でそっとエディの目尻に触れた。泣いているわけもなかったが、今にも泣きそうな気がして、どうしてもそこに手をやりたかった。
エディが何を考えているのかは、魔力視がないと結局分からなかった。
魔力の些細な揺らぎがどんな感情なのかは分かるくせに、実際の人の表情からはこんなにも気持ちを察せられない。
半身探しが嫌だったからということが、エディにとってこれほど重みのあることなんだ。でも何となくそれだけじゃない気がする。僕がエディの隣にいるメリットが他にもあるのなら……嬉しいと思った。
エディが辛そうな顔だと、僕も胸が痛む。エディにはいつも笑っていて欲しい。その為に僕ができることがあるといいな。
エディが自分の頬に触れる僕の指に、熱い手を重ねてきた。僕がこうやって触れていることが許されたのだと分かって、どうしてだか僕まで泣きたい気持ちになる。
矛盾しているようだけれど、手を重ねていると僕は少しずつ……エディの気持ちが分からないならそれでもいい、と心の何処かで思い始めていた。
こんなことは初めてだった。今までは……そう昨日だって、湿布を貼ってもらったとき、感情が読めないことが不安で仕方が無かったのに。
エディの気持ちが分からなくても、それでもいい。
……こうして許される限り、ただそばにいたかった。
エディは、自分を嘘つきだと言う。でもたとえ騙されていたのだとしても、エディが今僕にそばにいてほしいと思っているのなら、それでいいじゃないか。
僕はエディの頬を親指の腹で撫でた。さっき、エディが僕の指先をそうやって撫でてくれたみたいに。安心させる為にそうしてくれたように。重なるエディの手に少しだけ力が籠もって、僕の気持ちがちゃんと伝わっているのだと分かった。
不思議だった。魔力も視ず言葉さえも使っていなくて、確かなことはなんにもないのに、それでも思いは伝わっている。それがお互い分かっている。その事に背筋がざわりとした。
こんなこともあるんだ……
エディと一緒にいると、今まで知らなかった自分が顔を覗かせる。こんなに誰かに触れたいと思う日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「やっぱりエディは、優しいです。……こんな僕ですが、エディの隣にいる為に、精一杯頑張ります。だから静かに暮らせるようになるまで……僕を、そばにおいてくれますか」
本音を言うなら、ずっとこうしていたかった。でも僕は、それはいけないことだと分かってもいる。
僕はあまり詳しくは知らないけれど、王族ならそのうち誰かと結婚して、子供を作る。そうやって王族というのは血を繋いでいくはずだ。
多重霊格のエディがどうするのかは分からないけれど……僕は半身のフリをしているだけの、仮のお姫様だ。至純としてのその務めがいつまで続くかは当然まだはっきりとは決まっていない。でもエディにはきっと……将来、本物のお姫様が現れる。フリでも仮でもない、本物のお姫様が。
変だな……あんなに自分が都合のいい至純として求められることに怯えて、その役割をフリで誤魔化そうと言ってくれたエディを嬉しく思っていたのに。気持ちが通じたと自然と分かった、この奇跡みたいな体験をした後だと、決まっている別れが少し寂しい。そう思うことが烏滸がましいのだと、頭では分かっているのに。
僕がエディのそばに必要なくなるまで……許される限りいさせてもらおう。そう思って区切りを意識した言葉を選んだけれど、エディの表情は固かった。
「……言っただろう?お互いに利のある関係だと。もちろんだよ、フィル。お互い我慢しなければならないことも多くなるが、これから協力して頑張っていこう。いつか必ず、フィルが静かに暮らせるようにする。改めて約束しよう」
エディは珍しく、泣きそうな顔のまま笑ってそう言った。
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