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太陽と月4(エディ視点)

 俺はため息をついて目の前の美少年を眺める。  公夜会へ参加するという話を聞いた後、自分の正装と揃いのものを急いで仕立てさせた。俺は殆ど軍服を着ているので、フィルをそれに合わせるのは少々浮くかもしれなかったが……せめてもの抵抗だ。アーニアは確かに素晴らしい働きをしてくれているが、フィルは俺のものだ。    長い髪を上げ、夜会用に飾りがたくさん取り付けられて華美になった正装を身に纏うフィルは、それは美しかった。俺の手で白手袋をはめてやると、フィルは一度俺を見上げ、照れたように目を伏せた。    ……やっぱり、夜会なんてやめてしまえたらいいのに……    そう心の中で呟き、しかし唇はしっかり引き結ぶ。ちゃんと意識して気を付けなければ、互いに魔力が視える今はお互いの気持ちは殆ど筒抜けだったが、それでも言うべきではないこともある。  フィルが慣れないダンスに苦戦しつつも、努力を重ねて何とか形にしたことを俺は良く知っている。後半は俺も仕事の合間を縫ってできるだけ練習に付き合った。アルヴァトが言うには、白竜の御子は知識を吸収しやすい特性があるそうだが……フィルが努力したことに変わりはない。その成果を取り上げるような言葉は選べなかった。    そんな俺を視て、部屋にいたアルヴァトが笑う。俺はため息をついてそちらを見やった。フィルのことばかり気にかけてしまって、アルヴァトにも魔力が視えることを時折失念してしまう。  アルヴァトはオルトゥルム王族の正装を身に纏っていた。オルトゥルムは暖かい南国であることと、王族には大抵竜の尾があることから……リグトラントの服装とはまるで違う。  上着の袖も下衣もゆったりと膨らんでいる。その形の白地の服の上に、落ち着いた暗い色合いの上着を羽織っている。上着は布地の色合いこそ落ち着いているが、王族らしく金糸の美しい刺繍がこれでもかというほど縫い込まれていた。フィルがそれに興味津々で近寄るので、もう既に三度ほど引き離した。  アルヴァトは長い紫髪を一つに編み込んで前に流し、上着と同じ色の刺繍の帽子を被っている。手袋は習慣にないそうなので、していなかった。    一方、隣では閑吟の儀式用の正装を身に纏うルストスが不機嫌そうな顔で立っている。思えば閑吟の正装はリグトラント国の衣服の中でも、アルヴァトが今着ている服の形に近いかもしれない。  ルストスの魔力色に合わせられた薄緑の上下のうえに、豪華な蔓草の刺繍のされた袖無しの長い貫頭衣を被っていて、左右の腰紐で絞ってある。ルストスの方は布手袋をしっかりとつけていた。   「ああもう、うるさい」    ルストスが呟くと、貫頭衣の裾が一度風でひらりと捲れる。どうやら精霊が騒いでいるらしい。今夜一体何が起こるのか、閑吟はやはり教えてはくれなかった。そんな弟にルシモスは呆れていたが、心配なのか最終的には珍しく自分も夜会へ行くと言い出した。    ルシモスは俺の一つ下で独身だが、あまり結婚に積極的ではないようで……どうやら俺の補佐官として夜会に付いてきた時に、一緒に女性に囲まれた事がトラウマになっているらしい。  ウィリアムもルシモスも、いい相手が見つかれば良いのにと思うが……フィルと出会う以前は俺も間違いなく彼等と同じだったので、何も言えなかった。    それにしても、良くウィリアムが夜会へ……それも公夜会へ出る気になったものだ。一度会いに行ったら女性に囲まれる事については心底嫌そうな顔をしていたが、どうやら兄上にミーシャのことを頼まれたらしい。  リチャード・リル・リグトラントに頼み事をされて断れる人間はそうそういない。何せ精霊の加護が強すぎるほどに強くあまりにも美しい人なので、俺たちが精霊国民である以上、本能的な部分で兄上には逆らえないのだ。    王城に用意させた俺たち専用の控室に、控えめなノックの音が響く。  アーニアが到着したようだ。   「どうぞ、着替えは終わっていますよ」    フィルが出迎えると、アーニアは部屋へ入り挨拶をして……しばらく部屋の男性陣を眺めて呆然としていた。   「さすがに、皆様……お美しいですわね……わたくし、自信なんて持てそうにありませんわ……」   「大丈夫。アーニアはとても綺麗ですよ」   「フィシェル様……」   「リボンも、コサージュも……使ってくれているんですね。嬉しいです。思った通り、よく似合っています」    ……何?リボンはともかく……コサージュだと?  俺はアーニアの纏う、濃いブラウンのドレスへ目をやった。あまり不躾に眺めてはいけないと思いつつも、胸元の花のコサージュが目に入り、それをフィルが作ったのだと理解した。  夜会へ着ていくドレスに合わせて渡すとは……やはりフィルは、女性への贈り物が上手すぎるのではないだろうか……  万が一にもフィルの心が他へ向くことはないと信じているが、夜会に参加したことで交友関係が広がり、フィルの上手な贈り物に勘違いをする女性が出てくるのではないかと不安にもなる。 「エドワード、魔力だけじゃなく顔にも出ているぞ」    アルヴァトの指摘に小さくため息が漏れる。   「くっくっく……お前、今からそんなことで大丈夫か?まだ肝心の夜会は始まってもいないんだぞ」    アルヴァトの長い尻尾が愉快そうに揺れているのが憎たらしい。俺は兄が四人もいるのでこの類いのからかいには慣れている方だが、アルヴァトは魔力視もある為本当に遠慮がないのだ。   「流石に心配にもなる。フィルは今日、誰よりも多くの人間を魅了するだろうから」   「まあそうすべきなんだから、いいだろ。それで……結局、最後に言う手筈で良いんだよな?」    今日はいよいよ、フィルがオルトゥルム王族であるということも発表する。せっかくアルヴァトもいるので、共に話してもらうことにした。   「ああ。その後で俺とフィル、アルヴァトとルストスで踊ってみせて、今宵は終わりだ」    そう伝えるとルストスが心底嫌そうに呻く。   「うぅ……こんなことならまだ楽団に混ざっていた方がよかったかも……」   「なんだ?こっちの未来は不都合が多かったか?」    ニヤつくアルヴァトの言葉にルストスは露骨に顔を顰めた。   「都合が良すぎても、嫌になることもある……今回は、ここまで関わるつもりじゃなかったんだけど……」  ルストスは珍しく疲れた声をだし、フィルの元へと行ってしまった。そちらの会話を聞こうとしたが、アルヴァトに話があると言われたので渋々振り返る。そこにはいやに真剣な顔をしたアルヴァトがいた。アルヴァトに促され、黄昏の窓辺へ近付く。   「……エドワード。最近までヴォルディスにべったりだったオルトゥルムからこのような事を言うのは気が引けるが……閑吟はなんとかした方がいいぞ」   「……閑吟?ルストスのことか?」   「リグトラントは庶民への教育が遅れているな。オルトゥルムもそうだが、何百年も歴史を刻んだ人の国としてはあり得ぬ。他国はもっと技術も研究も進んでいる。圧倒的な武力と魔力を誇るとはいえ、我らはじきに取り残され、危機に瀕するだろう」   「それは……分かっている」    ここ数年で、他国の密偵も増えた。彼らは精霊の目を欺き、リグトラントの森を越えてくることがある。我々には無い技術だ。  閑吟の話が繋がり、アルヴァトの言いたい事は俺にもよく理解できた。  精霊の助言に依存してきたリグトラントは、呪いにかかっていたオルトゥルムほどではないとはいえ、自分たちで考えて決める力が衰えている。騎士学校にも通った俺は、自分の力を磨くよりも他者を妬み蹴落とそうとする学生たちを見て痛感していた。このような体制では光ある未来など訪れまい。   「お前がそう感じていることを、優秀な閑吟であるルストス本人が感じていないと思うか?」   「……アルヴァトの言いたいことはよく分かる。しかし、閑吟は……昔より数は減っているが、確かにまだここにいる。俺とて教育環境は整えたい思いがずっとあるが……彼らは、自分の好きなときに耳を塞げるわけでもない」   「……そうだな。現にルストスも、絶えず聞こえてくる大きな流れに抗えないようだ」    抽象的な例えにさらなる説明を促すと、アルヴァトは一度ルストスのいる方を見てから俺に小声で囁いた。   「以前ルストスから聞いた例え話なんだが……精霊の伝えてくる未来は、大きな川の流れのようだと言っていた。ルストスや我々は、船に乗ってその流れを進んでいるのだと」   「川か……まあ歴史も"流れる"などと言うな」   「此度のオルトゥルムとの戦いも、それは大きな流れがあり……川に浮き出る大きな石に船が躓かぬよう、ルストスが舵取りをしたというわけだ。石に躓いて船が揺れれば、そこから落ちて取りこぼす命もあるからな」  俺は納得して頷いた。ルストスはリグトラント王族である俺にはあまりそういう話をしないが、他国の人間であるアルヴァトにはむしろ話しやすかったのかもしれない。まあ本人が歩く国家機密のような存在なので、話しすぎるのも看過できないのだが……   「つまりルストスにできるのは正確な舵取りではあるが、流れ自体には逆らえないと……」    「そういうことだ。今宵の川は別の分岐を選んだ先で、また同じ大きな流れに合流してしまったらしい」   「アルヴァトは何が起こるか聞いているのか?」   「悪い事ではないはずだ、とだけ」   「そうか……」    俺は広い部屋の中で、少し離れた場所で笑い合う三人へ視線を向けた。この控室に待機してフィルの着替えを手伝うラロも混ざり、この後着るフィルのドレスについて話しているようだ。  そこへまた新たなノックの音が響く。  フィルが一度こちらを振り向いたので頷いてやると、それを確認したラロが扉を開けに行った。    ルシモスに連れられ、アレビナとルドラが入ってくる。二人とも式典用の制服を着ており、そして……ルドラは髪を短く切っていた。いち早く気付いたフィルが目を丸くする。 「こんばんは、二人とも……あの、ルドラ……髪を切ったんだね」   「こんばんは、フィシェル様」 「前から切りたかったんだけど……良い機会だったから。騎士学校にいるとさ、今まで守ってきた風習とかそういうの、バカらしくなるんだよなァ」   「る、ルドラ!」    アレビナが慌てているが、俺は如何にもルドラらしい台詞に、フィルと共に笑ってしまった。分かっていなさそうなアルヴァトに説明してやる。   「リグトラントでは魔力の色が強く出る髪は精霊との一番の繋がりだと言われていて……伸ばしている人間が多いんだ」    俺は戦闘に出ることが多いので顔にかかって邪魔にならないよう、襟足だけを伸ばしている。俺のように一部分だけを切らない人間も多い。例えばルストスも、横髪だけが長い。   「ふぅん、どこも似たようなものだな」   「オルトゥルムにもそういう風習があるのか?アルヴァトも髪が長いようだが……」   「こちらは王族だな。竜の特徴が体に濃く出るオルトゥルム王族には、色々と制限が多いんだ。竜から賜った体を無闇に傷付けてはならないとか……前髪や横髪を整える程度ならば構わんが、髪はできるだけ伸ばしていた方が先竜に敬意を払っていると言われ、民の心証が良くなる」   「…………アルヴァトは髪を切りたいと思うか?」    俺が問うと、アルヴァトはニヤリと笑った。   「いいや?この程度の事で民が付いてくるならば、俺は喜んで伸ばすぞ。それが無いなら当然切ってもいいがな。どうせ俺ならどちらも似合う。だが……そうだな……今までの体制と決別するなら、髪を切るのは分かりやすくていいかもしれん」    やはり察しのいい男だ。流石に呪われた国の中でただ一人まともだっただけはある。  俺たちがそこから更に込み入った話をしようとしたところで、フィルたちがこちらへ近付いてきた。俺はもちろんそうだがアルヴァトも当然のようにフィルを優先するので、内心苦笑する。  酒を飲み交わし腹を割って話したのでアルヴァトの真意は分かっているが……アルヴァトは生き別れの弟君を可愛がりたくて仕方がないようだ。俺が聞いて呆れるほどだから、相当重症だ。   「そろそろ時間だそうです。エディとお兄様たちはどうされますか?」   「俺たちも一緒に行こう。下見の通り、王族はホールの端の階上に専用席があるから、そこから見ているよ」   「フィシェル、応援しているぞ」   「う……やっぱり、見てるんですね……でも僕、ちゃんと頑張りますから」    フィルは一度恥ずかしそうに目を伏せたあと、意を決したように顔を上げた。フィルもこの数ヶ月で随分と内面的に成長したように思う。出会った頃のフィルは不自由な生活が長かった事もあり、不安げな様子が目立ったが、今はあの頃よりずっと自信がついている。  もちろんどんなフィルも大事な事に変わりはなく、見ているだけで心の中が暖かくなる。    さて会場へ行こうかとしたところで、ルドラが立ち止まってジッとアルヴァトを見つめ出した。   「あ、あの……アルヴァト殿下」   「……お前は確か、ルドラと言ったか。フィシェルの幼馴染だそうだな」    会話に気付いたアレビナが不安そうにルドラを見上げつつそばに寄ってくる。アルヴァトは聞く気があるようで、ルドラに話の先を促した。   「フィーの……フィシェル様の、兄君なんですか?本当に?」   「ルッ……ルドラ!お前!バカバカ!またなんてこと聞いてるんだ!!」   「だって全ッ然似てねェからさァ……エドワード様たちは腹違いの王族だけど、みんな少しずつ似てるじゃんか……」   「だ、だからって……そんな……直接聞くなッ!」   「いてェ!なにすんだよ!」    アレビナの肘がルドラの脇腹に突き刺さる。   「アルヴァト殿下、申し訳ありません……お恥ずかしい事に彼はまだまだ勉学が足りておらず、大変失礼を……」   「良い良い、構わん。実際に似ていないからな」    アルヴァトはおかしそうに笑うと、話に気付いて心配そうにこちらを見ていたフィルを手招きした。   「お兄様……」   「ちょっと並んでみようか、フィシェル」    二人が並んでみると、服装から顔の造形、背丈や体格まで……何から何まで正反対なので、ここまで違うといっそ清々しい気さえする。   「まず、フィシェルは白竜の御子だから……俺と同じような鱗はない。一般的な竜人の特徴が抜け落ちているから、顔付きも母親にのみ似たようだな」    アルヴァトは広口の袖を僅かに捲りフィルのそばに差し出した。フィルも真似をして手袋を外して袖を上げ、透き通るような白い手首を並べてみせる。そこにはアルヴァトにあるような緑の竜鱗はない。   「もう太陽に染まってしまっているから、はっきりとは分からんかもしれんが、幼馴染ならばフィシェルの……いやフィーだったか?フィーの今までの特徴は知っているだろう」   「お、お兄様!」    フィーという呼び方をあまり好いていないフィルは怒ったように兄を見上げたが、アルヴァトはさして気にした様子もなく弟の袖と手袋を直してやっている。   「知ってる……いや、知っています」    敬語がすぐに抜けてしまうルドラを見上げつつ、アレビナは呆れたようにため息をついた。   「白竜の御子は竜人の特徴を持たないが、フィシェルは王族の血を引いている為に、魔力視だけは受け継いでいるようだな」    それを聞いてルドラも納得したように頷いたが、ここまでの話はルドラも少しは聞き及んでいるはずだ。その上で兄弟かどうかを疑っているのならば……オルトゥルムへ行って国王にでも確認しなければならないぞ。  そう思っていたが、アルヴァトは改めてフィルの手をとった。   「今は断魔材の手袋をしているから……魔力は流れない。フィシェル、お前は竜気を使って姿を隠す事ができただろう。今あれをやってみせてくれるか?」   「えっ……でもあれは……見られていると効果が出ないんです。本当に消しているわけではなくて……意識をそらす程度のものなので」   「以前、兄弟は竜気の質が似ていると話したのを覚えているか」    それを聞くとフィルの顔がたちまち真っ赤になった。おい、アルヴァト……一体フィルにどんな話をしたんだ?   「ふふ……似ている竜気ならば、相手の能力を増幅できる。フィシェルの力を俺の竜気で強化してみよう。面白いことが起きるぞ」   「は、はい……お兄様が、そう言うなら……」    フィルがちらりとこちらを見たので、静かに頷く。するとフィルは小さく息を吐いて目を閉じた。アルヴァトは目を細めてそれを眺め、何やら集中をし出し……そこで誰かが、「えっ」と声を上げた。  俺も声こそ上げなかったが、内心動揺した。  人間は、瞬きをする。その瞬間は短くとも、確かに目の前の人間を視界から遮る事になる。各々のタイミングで瞬きをし、再び目を開けた時……目の前から二人は消えていた。  フィルの術はそもそもここまで強力なものではないと俺も良く知っているので……かなり驚いた。   「すごいすごい!本当に消えて見える!」    無邪気な声に振り返ると、ルストスがモノクルを外して両目でジッと二人がいるはずの場所を眺めていた。   「……とまあ、このような事まで出来るのは、血の繋がった兄弟だけだ」    再び瞬きをすると、手を繋いだオルトゥルム王族の兄弟が変わらずそこに立っていた。   「……すごい、なんでも消せちゃいそうな気がしました」    フィルが珍しく物騒なことを言う。しかし確かに強力だった。フィルは疲れた様子もなく、アルヴァトと繋いでいた手を眺めている。   「……さて皆様、そろそろ行かなくては、遅刻して悪い意味で目立ってしまいますよ」    ルシモスがそう呟いて、ようやく俺たちは我に返り、控室を後にした。  

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