1 / 3
第1話
去年の文化祭の日、軽音部のステージ上で流暢な英語で二曲歌い上げた周 くんは、バンドメンバーとお揃いの黒いパーカーを身につけていた。
それまで僕は、周くんを単なる同級生としてしか見ていなかった。
けどきっと、心の底ではずっと気になっていたんだと思う。
目立つ彼は、学校内で一、二を争う美男子として噂になっていた。
僕とは圧倒的に見た目も性格も違う。君みたいになりたいという憧憬 の念は、日に日に大きくなっていった。
今年、周くんと同じクラスになった。
もちろん彼とは、話した事は無い。きっと彼は僕の名前を知らないし、僕に興味も無い。
周くんが真剣に授業を受けている時、落ちてくる髪を耳に掛ける癖とか、シャープぺんを二回鳴らす仕草、フードから時折見せる首筋を遠くから見るのが好きだった。
周くんは黒いパーカーがお気に入りみたいで、肌寒い日はいつもブレザーの下に着ている。
黒以外のパーカーを着ている所を見た事が無いので、余程好きなのだろうと観察していたら、微妙に形の違う三着で着まわしていることが分かった。
それに気付いた僕はどうかしている、と思ったけれど。
大きく膨らんだ気持ちはもうパンク寸前で、爆発してしまう前に鍵の掛かった部屋に閉じ込めた。そこに一度でも空気を与えてしまえば、僕は爆風で吹っ飛んでしまう。
なるべく、目を合わせないように。
彼の視界に入らないように。
ある日、僕は体育の時間にハチマキを忘れて、教室に取りに行った。
自分のロッカーに手を伸ばしかけた時、ふと振り返って周くんの席を見た。椅子の背もたれに、いつもの黒いパーカーが掛かっている。
僕はゴクリと唾を飲み込み、辺りを見渡す。
何をしようとしているのか、自分でも分からない。
ただ足は、勝手に周くんの席に向かっていた。
フードの部分を持って、椅子からズルッと引き上げる。
結構重量があって驚いた。どうやらLサイズらしい。
胸のところにはアルファベットでバンド名が小さく刺繍されていた。これは軽音部のみんなとお揃いで作ったパーカーだ。
少しだけ色あせている。きっとあれから何回も着て、その度に洗濯もしているんだ。
耳まで熱く火照り始めた。
ここで僕がこのパーカーに顔を埋めてしまったり、袖を通してしまったら変態の仲間入りなんだろう。
そこまで理性を崩壊させる勇気はない。
僕は気持ちに蓋をしたまま、大人しく高校を卒業するんだ――
「――佐々木も、ハチマキ忘れたん?」
びくりと肩を跳ねさせ即座に振り返れば、クラスメイトの綿貫 くんが笑ってドアの前に立っていた。
周くんと仲良くしている人だ。
僕は一瞬にして背中に大量の冷や汗をかいた。
見られた――しかも周くんの友達に。
「めんどくせぇから黙ってやってたんだけど、取ってこいって言われてさ。予備とかねぇのって訊いたら怒られた」
綿貫くんは持ち前の人懐っこさと明るさで、誰にでも声を掛ける癖がある。今向かって行った窓際の後ろの席も、先生を色々と持ち上げて自ら勝ち取っていた。
綿貫くんは、僕が黒いパーカーを持ったまま固まっている事を気にも止めていないらしい。机の横の手提げ袋から赤いハチマキを取り出して、さっさと教室の外へ向かっていってしまった。
もし、周くんに密告されたらどうしよう。今教室行ったら佐々木がいてさ。お前のパーカー持ってたぜ。え、なんで。さぁ、匂いでも嗅いでたんじゃね。マジで? きも――
「床に落ちてたから、拾ってあげようとして」
半ば叫ぶように言うと、綿貫くんは一旦歩みをやめ、目をしばたたかせた。
「ん、何?」
「だから、このパーカー」
本当に分かっていなかったのだろうか。
背もたれに黒いパーカーを掛け直してもう一度綿貫くんをじっと見つめると、ようやく納得したように「ああ」と何度か頷いた。
「佐々木って優しいんだな」
ニコッと笑って、綿貫くんは教室を後にした。
僕も周くんの席から転がるように離れて、自分のロッカーに手を突っ込んでハチマキを手に取った。
ともだちにシェアしよう!