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第2話

 大丈夫。大丈夫だ。  綿貫くんだったら信じられる。  もし綿貫くんが周くんにこの出来事を話したとしても、大ごとになることは決してない。  そうだ、僕は何も悪いことはしていない――  しかし、体育の授業が終わり、昼休みに入る前に一人の生徒が放った一言で状況が一変した。 「あれ? 財布無いんだけど」  ざわついていた教室内が一気に重たい空気に変わった。  その人と仲の良い友人は、一緒になってそいつの机の中をひっくり返している。  接点のない僕は、遠くから眺めているだけだった。  ちょうどトイレから戻ってきた周くんと綿貫くんに、自然と視線が行く。  机の上のものをすべて出し終えてしかめっ面の男に気付いた周くんは「どうしたの」と声を掛けた。 「俺の財布知らない?」 「財布? 無いの?」  周くんの品位ある声が、遠くにいる僕のところまで届いてくる。  男は、周くんの隣にいる綿貫くんをジッと見つめた。 「綿貫さ、体育の時間、ハチマキ取りに教室戻ってたよな?」  ドクン、と心臓が大きく跳ねた。  この後、僕のところにも同じ質問が必ず来る。  綿貫くんは表情を変えずに「うん」と言うけど、周くんは思いっきり眉根を寄せてそいつを見下していた。 「何それ。綿貫がそんな事するような奴だと思ってるの?」 「違ぇよ。そん時に誰か見てないかどうか聞きたかっただけ」  一触即発の雰囲気に、男は慌てて否定した。  周くんはため息を吐く。  綿貫くんは伏せていた目蓋を持ち上げて、視線を彷徨わせた後に僕の姿を捉えた。   「佐々木もハチマキ忘れたって取りに来たんだよな」  クラス中のみんなの視線が、針のように僕に突き刺さる。  周くんも、真っ直ぐに僕を見つめている。  きっと周くんも、疑っている。僕がやったんじゃないかって。  パーカーを勝手に持ってしまったという罪悪感もあってか、すぐに弁明の言葉が出てこない。  財布なんて盗んでいないのに、本当にやってしまったんじゃないか。いま僕の通学カバンや机の中身をひっくり返せば出てくるんじゃないか。  唇がわななく。  男が僕に何かを言おうと口を開いたのが見えた、その瞬間だった。 「佐々木だって、そんな事するような奴じゃないだろ」  この声、知っている。  文化祭で、ギターを弾きながら格好良く歌っていた彼。  まさか、僕の名前を知ってるだなんて思わなかった。  どうして。  こんな僕のことを、どうしてそんな風に。   「財布ってこれじゃないの?」  新たな声にみんなの視線がロッカーの方に集まる。  声を出したやつの手には茶色の二つ折りの財布があった。  男は「あっ」と少し気恥ずかしそうに声を上げる。 「そうそれ。どこにあった?」 「お前のロッカーの中だよ。奥の方までちゃんと見なかっただろ」 「マジかよ。悪いな、みんな」  ふっと空気が緩んで、クラスメイトのみんなに笑顔が戻る。  でも僕は、いつまでも表情を硬くしたままだった。  周くんはそんな僕を見て男に何かを言った。  男はどこか渋々頷くと、僕の目の前までやってきた。 「あの、悪かったな、疑って」  周くんに、謝ってこいとか言われたんだろうか。  やっぱり疑ってたんだ。  でもそれが普通だ。自分と特段仲が良くなければ、よく知らない相手ならば疑うに決まっている。  なのに周くんは、僕を疑わなかった。  どうして。会話をしたことも、しっかり目を合わせたことさえも無いのに、どうして庇ってくれたの。  男は、なぜかぎょっとした顔で僕を見た。   「お前、泣くなよ」  ふと頬に手をやると、生温い雫が指に触れた。  僕は知らぬ間に、涙を流していたらしい。  パニックになった僕は、教室から飛び出した。  顔を見られないように鼻と口を手の甲で隠しながら走った。リノリウムの床に上履きの裏がギュッと擦れて嫌な音を立てる。気付いたら僕は立ち入り禁止とさせている屋上に来ていた。

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