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第1話

とにかく家を出たくて、関東の()る研究学園都市の国立大学に進学した。 大学卒業後、何度か転職した。 1度目は、阪神大震災の年。 バブル崩壊(ほうかい)後の就職難の中、なんとか決まった会社だった。 3月はじめに内定式があったのだが、被災の影響で、3ヶ月間、無給の自宅待機となった。 学生時代にアルバイトで貯めた貯金を削りながら生活していたが、出社後すぐに始まったリストラを見て、転職を決意した。 2度目は、東北の震災の後。 何度目かに転職して間もなかった広告会社に勤めていたのだが、震災後の経営不振で(ひど)い状況になり、パワハラ等の一言で済まされない事態が横行する毎日に嫌気(いやけ)がさしていた。 そこへもって、友人から頼まれて作ったwebサイトの件を「副業禁止の社則違反」と(とが)められ懲戒解雇(ちょうかいかいこ)処分を言い渡された。 正直、(あき)()てたとしか言いようもない。何の未練もなかった。 しかし、懲戒解雇となれば次の会社探しは難航するだろう。 それまで、ステップアップする会社へ移って来ただけに、それは痛い。 そんな頃、友人の誘いがあり、インドネシアのバリ島に渡った。 のんびり友人のビジネスを手伝っていたのだが、色々あって新しく会社を作り直すことになった。 “色々”というのは、友人の会社が、現地の会社設立協力者によって勝手に転売されていたという恐るべき事実が発覚したからなのであった。 インドネシアでは割とよくあるパターンらしい。 そんなわけで、今回は僕が筆頭株主となる外資系企業を立ち上げることになったのだ。 長々と続く効率悪い手続きで、申請からすでに2年が経とうとしている。ここへきて、僕の大学卒業証明書が必要だという。一体この国はどうなっているんだ。 ここへ来ても、色々と思うところはあるが、まあ、日本いた頃に比べればのびのびしていられる。僕には合っているのだろう。だいたい、どこでどう暮らしたって、生きていく以上、面倒はつきもの。そういうものなのだろう。 そんなわけで、5年ぶりに帰国して、懐かしい研究学園都市を訪れることになった。 卒業以来ほとんど訪れることもなかったので、この町は本当に久しぶりだ。25年ぶりか。 25年というと、四半世紀だ。 自分の人生を“世紀”単位で語る日が来ようとは。 特にこの5年間はバリ島でのんびり好きな事をやっているものだから、時間が過ぎているという事に対して現実感が持てない。 そんな事をあれこれ考えながら、成田空港に降り立った。 トイレも洗面所も(こわ)れていないし、トイレットペーパーがきちんと(そな)わっている。 そんな事が新鮮に感じられるなんて。自分が可笑しくてフッと笑えてくる。

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