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第40話 愛を込めてホワイトバレンタイン

 セックス後のまったりとした時間すら宝物だなんて、思いもしなかったな。 「郁登、水」 「んー……」  ベッドの上で腰の辺りから下だけを隠した郁登が気だるそうに返事をしている。背中にはあまりないけれど、ひっくり返したら、その肌の上にはチョコと間違われたみたいに、舐めて齧られた痕が残っている。俺にも同じような痕があって、水を取りに行くついでに鏡で見てはつい笑ってしまった。 「口移しがいい?」 「…………自分で飲む」  答えに迷うとか、本当に可愛いな。耳を真っ赤にしながらゆっくりと起き上がって、引き締まった裸に散らばったキスマークを見せてくれる。口移しでもいいなって思ったけれど、そのままきっとキスが濃厚になっていって、キスじゃ終わらなくなって、そのまま……そこまで考えて色々と駆け巡らせた結果、顔を赤くしている。  ペットボトルの水をゴクゴクと勢い良く減らしている。喉を水が通過するたびに上下に動く喉仏すら色っぽいんだから始末が悪い。 「チョコで喉が甘い」 「甘党なのに?」  コーヒーがただの苦い豆の絞り汁にしか思えない郁登でも、一気にキスで溶けてたいらげてしまったチョコは少し多かったらしい。 「ビターにすればよかったね。後島が甘いほうがいいって言うからさ」 「! そうだ! そういえば後島って、あれ、もしかして本命チョコ?」 「……」  まさか男子高校生がこんな日にチョコを作っている目的を質問されるなんて……恐ろしい鈍感っぷりがまた可愛いって思ったら、まるで高校生みたいに下半身がキュッと反応した。  そうだと答えると、また本当に笑ってしまうくらいに驚いていて、これがほんの少し前にセックスで腰を振って、やらしく妖艶に喘いでいた人物と同じには思えない。まかさあいつが、なんて呟きながら、チョコを作るなんて乙女な行動を取った後島にも、そして高校生のどこか可愛い恋愛にも、頬をピンク色に染めている。そしてそんなあんたのほうがよっぽど可愛いって見惚れてしまう。 「なんだ……そうだったのか……」  全部を話したら、ほっと深く息を吐いて、キスマークだらけの身体から力を抜いた。 「なんか俺、ひとりでアホみたいだな」 「ゾクゾクするほど興奮した」  だってそこまで俺を欲しがってくれた。誰よりも何よりも俺を欲しいって思って、今までにはしなかったことをしてくれた。  絶対に有り得ないけれど、あそこで俺が女といたとしてもきっとこの人は奪ってくれる。俺をその身体で閉じ込めて、虜になるように、窒息させてくれる。 「最高のバレンタインだよ」 「俺も、こんなバレンタイン初めて」 「ホワイトバレンタイン」 「は?」  ポカンと大きく開けた口も可愛い。チョコは普通にカカオのチョコだった。それがなぜにホワイト? って顔に書いている。  何も答えずに顎をペロって舐めたら、それでもよくわからないらしく、まだ開いた口は閉じそうにない。 「ほら、白いの」 「……! なっバカ! 変態! バカ!」 「そんな変態が好きなんでしょ?」  ホワイトバレンタイン、白……郁登が散々飛び散らせた、白い蜜は顎にまでつくくらいだった。感じまくって勢い良く射精した姿はものすごく気持ち良さそうで、ものすごく興奮するやらしい姿だった。 「好きだよ! バカ!」 「俺も一生、郁登だけが好きだ」 「は?」  いきなり声のトーンが変わった俺に、きょとんとしている。今日までに何度も好きって言ってきた。初めて酒の勢いでセックスをした翌日からずっと言い続けてきた言葉だけれど、そのどれよりも本気の言葉は少しだけ震えてしまった。 「これ……」  部屋の隅にあった鞄、その中からビニールに入ったままの鍵を出して、郁登の手の中に押し込んだ。まだ何がなんやらわからないらしく、混乱している郁登は、自分の中にある鍵に視線を落として、じっと見つめている。 「本当はさ、これをチョコと一緒に箱に入れるはずだったんだけど、俺のことが大好きな郁登が部屋に押しかけちゃったから、ラッピングする暇なかった」 「な、何、それ……なんか」  少し怒ったような口調だけど、その視線はずっと掌に落とされたままだから、どんな顔を今しているのか、ここからじゃ見えない。 「誰かにこんなにずっと、一生そばにいて欲しいって思ったことがないんだ」 「……」 「自分がまさかプロポーズをする日が来るなんて、想像もしてなくてさ」 「……」  だから気の効いた言葉も、タイミングもわからなかった。全部が全部予定外なんだ。この愛の告白だけじゃない、目の前で困っているのか喜んでいるのか、俯いて顔を上げようとしないで返事もくれない、この人の登場自体が予定外だよ。 「男同士だから、結婚とは違うかもしれないけど」 「……」 「一緒に暮らさないか? とりあえずは俺の部屋で」 「な、なんで俺んちじゃダメなんだよっ!」  だって郁登の家、学校に近すぎるだろ。それに狭すぎて、完全にひとり暮らし用だし。こっちならもっと風呂場で手足伸ばしてセックスできるよ? そう訊いたら、キラキラと輝く涙を目に溜めて、ハッとして眩暈がするほど魅力的な人が泣き笑いをしている。 「バカ、なんで手足伸ばして風呂に入れる、じゃないんだよ」  それは仕方がないでしょ。俺はどんな郁登にだって夢中で、いつだって襲い掛かりたくてウズウズしているんだから。  郁登は裸のまま俺に抱き付いて、耳元に何度も何度も返事をしてくれた。嬉しくて、切なくなるくらいに温かい腕に抱かれながら、俺はこれから何度だって「あ~あ、落っこちた」って実感させられるんだろう。 「ちょっ! なんで、ここでそんな、でかくすんだよ!」 「だって抱きつかれたら、ね?」  跨って俺に覆い被さる郁登は熱を孕んで、また硬くなったそこに触れて、呆れて笑っている。貴方の中に挿れさせてよ――そう誘うように熱を郁登の唇へ流し込んだら、熱くて甘い舌に、身体ごと気持ちも全部を囚えられてしまった。 「ねぇねぇ、林原先生!」 「なんだよ、ほら、体育倉庫の鍵持ってけって言っただろ」 「後島が先生、彼女いるってぇ、ねぇねぇ、それ誰? このあいだはいないって言ってたのにぃ」  真横で会話を全て聞かれている郁登は耳が真っ赤だ。 「いてもいなくてもお前らには関係ないだろ!」 「ある! あるある! ねぇ、どんな人?」  本当に嘘が苦手な人だな。高校生相手に真剣に答えなくたっていいのに。 「あの、金沢先生」  遠慮がちにお茶と一緒に現れたのは、いつものように及川先生だ。 「チョコの……」 「ああ、ありがとうございました。これ、お礼の茶葉も、どうぞ」 「ああの、もし宜しければ、今度、一緒にお食事でも」  諦めないな、この人は。お礼は茶葉よりも夕飯デートとでも言いたそうな感じだ。及川先生に顔を向けている俺の耳は、背後から聞こえる、郁登と生徒の会話に集中している。 「すみません、俺、恋人が」 「え? 恋人?」 「ねぇねぇってば! どんな彼女―?」  席が隣同士にならなければ始まらなかったかもしれない恋。 「もぉ~お前らうるさい! ここは職員室! んで、俺の彼女は見かけによらず力があって、ちゃらんぽらんなようでいて、実はものすごく可愛い人だよ!」 「えぇ、恋人がいるんです。ものすごく可愛くて、素直で、ちょっと天然ボケの」  でもその恋はいつしか形を変えて、一生モノになった。 「呆れるくらいに夢中なのっ!」  コツンと腕が当たっただけでも眩暈がするような、やばいくらいに夢中にさせる人。  きっと一生、この人の色々な部分に惚れて、笑えるくらいに虜になってしまう。そんな甘い愛になっていた。

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