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後島クンと市川クン編 赤と青のチョコ

 足だけがもつれそうになりながら、前へ前へって勝手に進んで行く。  息が乱れて、心臓もバクバクだけど、それが全力で走っているせいだけじゃないってわかってる。  男が男にチョコを渡すって、きっとそれだけで市川にはわかるはずだ。俺が好きなんだってことが。今からチョコで告白をするせいで、心臓が止まりそうなほど緊張していた。  家はクラスの山下んちの近くってわかっていた。青い屋根で、車が二台分とチャリの分までスペースが確保されているでかい庭、芝生があって、これで犬でもいたらドラマにでも出てきそうな良い感じの家。  “市川家”そう書かれた表札の前に立っただけで、野球の大会決勝マウンドに向かうよりも緊張した。  電話番号を交換するほどの仲じゃない。っていうか、たぶん嫌われてるだろうし、それに知らない番号からの電話なんて出ないかもしれない。ラインで繋がってる市川の友達に昔の図書委員関係でどうしても番号が知りたかったんだ、なんて無理やり聞き出してしまった。半分、もしくはそれ以上にストーカーっぽいかもしれないけど、もう海外に行ったら、手なんて到底届かないんだ。それならストーカーって思われても、ホモって気持ち悪がられても、最後の最後に言ってしまいたい。  好きだって。  呼び出し音が何回か続いて、俺としては十回まで鳴らしてダメだったら諦めようって考えていた。普段はそんなに鳴らさない。大抵、五回くらいで切るし、市川も延々に呼び出し続ける知らない番号を気味悪いって思うかもしれないけど、それでも震える指先で何度も市川を呼ぶ電子音を聞いていた。 『もしもし?』 「!」  七回目で繋がった電話に、遅い時間、誰もいない道端でひとり飛び上がってしまった。 「あ、あの! 俺、図書委員で一緒だった、あれ! 後島!」 『……え』 「き、切るなよ! あっ! っていうか、脅してんじゃねーから、っつうか、あの、えっと」 『……』  ヤバイ。絶対にビビらせた。  もう電話に出ないだろうって半分思いながら、五回目以降は諦めつつ鳴らしていたから、心の準備ができていなかった。市川が出た瞬間、言おうと用意していた言葉はすっ飛んで、慌てて乱暴な口調でしか話せていない。 「あれ……あの、もう行っちゃうだろ?」 『……』 「だから、その、今、お前んちの前にいるんだけど」  人の家に来るにはあまりにも遅い時間。怖がらせてしまうのは当たり前だろって時間だ。一度目でちゃんとテンパリングってやつをやっておけば、もう少し早い時間に来れたのに。 『待ってて』 「え? あのっ」  電話は繋がったまま、ゴソゴソとかカタカタとか何か音だけが聞こえて、人が誰も通らなくて静かな住宅地の中で、耳をすませて聞いていた。  突然、少し離れた所から市川が親に話す声が聞こえた。少しだけコンビニに行ってくるって言うと、親が「気を付けなさいよ」って返事をして、それから数秒後、芝生のでかい庭の向こう、玄関の明かりが点いたと思った、次の瞬間には市川がひょこっと顔を出した。  し、心臓が……止まる。  少しだけ肩を竦めて、学校でよく見かける紺色のダッフルコートじゃなくて、深緑のダウンを着ている。初めて見る市川にちょっとだけ嬉しくなった。 「こ、こここんばんは」 「こんばんは。もう電話切っちゃったよ」  へ? って思ってから、言われて気が付いた。市川はついさっきまで繋がっていたはずの電話をもう持っていない。俺は玄関に現れた初ダッフル以外の市川に目を奪われていて、電話を握り締めたままだったことに今気が付いた。 「びっくりして、嘘みたいだったから、電話しながらテンパっちゃった」 「……」  テンパったのは俺のほうだ。 「あの……後島、君……放課後探したけどいなくて、忙しかった?」 「へ? あ、あぁ、忙しかった、かな、うん」  金沢先生んとこにチャイムと同時に走って向かったから、忙しいと言えば忙しかった。 「え? っていうか、探したって市川が? 俺を?」 「うん……後島君は何か、僕に用が?」  市川とこんなに長い時間、この距離で話をしたのは委員会の時以来だから、つい見惚れてしまった。ふいに顔を上げて、覗き込むようにされると、薄暗くて、少し影になっている瞳が少しの光りに反射して綺麗で、目が離せない。そんな市川とばっちり目が合ってしまって、身体がぎゅっと縮こまる。  用……そうだ、チョコを渡すんだろ。なんでかポケットにチョコを入れているほうの手が、ぎこちなくしか動かなくて、寒さのせいなのかもしれない、緊張のせいなのかもしれない。全然スムーズに出てきてくれない。ポケットの端に引っ掛かっているのか、何度か引っ張るようにして取り出したせいで、リボンは解け掛かっていた。 「あの、さ、これ、その……バレンタイン、だろ」  これで伝わって欲しい。もう限界だ。心臓が止まる。っていうか、爆発する。 「え? あの……」 「い、いいからっ! 受け取るだけでいいからっ!」  本当にそれだけで充分なんだ。好かれていないのはわかっていたから、自分の気持ちをただこのまま消化不良にしたくなくて、チョコだけでも渡したかっただけなんだ。  チョコを渡すだけで気が付くはずだ。俺にだって、もし同じことをされたらわかる。こんな時間にわざわざチョコを渡すのは“好き”だからって、そんくらいはわかる。 「別に受け取ってもらえたらそれでいいんだ。そのまんま捨ててもらって全然」 「あっ! あの……これ!」 「へ?」  市川の、俺よりも少し小さい手、野球のボールを握るにはほんの少し小さい手、その中から青い包装紙に包まれた、金と緑、二本のリボンがクルクルとカールして、綺麗に結びついていた箱をこっちに見せている。  どこからどう見ても、それは高級そうで、しかもこの時期じゃ俺にはチョコが中に入っている気がしてならない。 「チョコ」 「は?」 「後島君に……」  ヤバい、頭が混乱する。なんで俺を嫌っている市川が、俺にチョコを? まさか唐辛子入りとか? それをわざわざこんな丁寧にラッピングして? 「チョコ、渡したくて、放課後探してたんだ」 「……」  俺でもわかる。チョコを渡すだけで気が付くはずだ。男同士でこんな時間にこんな感じでチョコを渡したら、義理とかじゃないって。  押し付けるように市川の手の中へ押し込んだら、市川がポンと優しく置いてくれた。 「あの……後島君って僕のこと嫌ってるのかと」 「は、はぁ? そそんなわけねーだろっ! っつっても、この前怒鳴ったし……ビビらせたもんな」 「……」  お互いの手の中には全然違うチョコの箱が乗っている。俺の手には青、市川の手には赤。ものすごく豪華っぽいラッピングの箱と、手作り感丸出しで、リボンも解け掛かっている箱。 「す……」  チョコだけのはずだったのに、市川がすげー嬉しそうに箱を見つめているから、勝手に言葉が出てきてしまった。ずっと胸の内だけにあった言葉が。だって市川は、よく見たら赤い包装紙がよれていて、ポケットに引っ掛けた時になったのか、角だって潰れているその箱を、まるで宝物みたいに見つめたりするから。  俺の言いかけた言葉に、パッと見上げてくる瞳が、びっくりするくらいに輝いていた。 「す、き……だったんだ」 「……」  このまま心臓が止まるかもしれない。男なのに、男の市川を好きになって、チョコまで渡すことができただけでも、予想外だったのに。まさか告白までするなんて。 「……僕も好き」 「あ?」  ヤバ、また怒ったような口調になった。またビビらせてしまう。 「ぷっ! 一個見つけた。後島君って困ったりすると怒った口調になる」 「は、はぁ?」 「ね、このチョコって手作りだったりする?」  はしゃいでいる市川を見たのは久し振りだった。委員会の時に一度だけ席が隣になったことがあって、その時に、俺の三色ボールペンを物珍しそうに見つめていた。自分で色を選べるタイプのやつなのに、全部黒って変なのって。だってノートに赤だ青だって書き分けるのが面倒だったから、全部黒にしてたんだ。それを何度も手に取って、クスクス笑っていた。 「ありがと、大切に食べる」 「お、おう」 「あのさ、遠距離恋愛とか……してみない?」 「は、はぁ?」  今までだってほとんど話をしなかった。クラスも違っていて、委員会でちょこっと一緒になっただけ、それ以外では電話番号も知らないくらいに接点がなかった。 「僕は後島君のこと、ずっと好きだった」 「!」 「だから僕らなら遠距離恋愛もできる気がするんだ」  そう言って微笑んだ市川はマジでどんなアイドルよりも可愛く見えて、口を開けたまま、俺はしばらくじっと目を離すことができなかった。 “最後の一粒になっちゃったよ” 「こっちはまだ二粒残ってるぞ……送信、と」  そんなメールと一緒に、そのテンパリングが大成功したツヤツヤのチョコを艶々の唇で頬張る市川の写真が、遥かシンガポールから送られてきたのは、人生初のバレンタインから二週間後のことだった。

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